第3話 息子の話をその思い人から聞くということ
クロシュは大きく開けたラランセラの真っ赤な口の中にスープを流し込んでやる。
うっかり丸呑みされないように気を付けなければならない。
ラランセラはどうやら牙の発達が遅い海龍のようだが、それでもクロシュの親指よりも長い牙がぞろりと生えている様には、背筋が寒くなる。
ホピの実の内側に白く層を成す果肉を削り、ぶつ切りにした海鳥の身と一緒に煮込んだスープ。
海鳥は骨っぽいから、こまごまと切り分けるとろくすっぽ食べるところが無くなってしまう。
あんぐあんぐと言いながら、とろけそうな顔でラランセラは頬張る。
龍にとってセムタムと食事をするのは貴重な体験だ。
なにせ龍には料理が作れない。
セムタムの友人を得なければ、一生に渡って生ものしか口にすることが出来ないということなのだ。
「おかわりい」
「はいはい」
二皿目をぺろりと平らげ、目を細めてゆらゆらと波に揺られる至福のラランセラを置いて、ドクターの横に座る。
行儀よく待っていたドクターに、スープをよそった。
「いただきます」
穏やかに吹いてくる風にはラランセラの背中に塗った薬剤の香りがした。
決して嫌な香りではないが、鼻の奥にツンと刺さる鋭角さを持っている。
この刺激が龍を護るのだ。
半日分の重労働に疲れたふたりは無言で昼食を掻っ込む。
クロシュが思っていたよりもずっとドクターは良く食べた。
その食べっぷりに刺激されてか、普段は「あんな土の上のもの」と馬鹿にしている芋を、ラランセラは三つも四つもぽいぽい口に入れた。
「美味しい。ぼく、大発見。来年から、沢山持ってきてよね、ね、クロシュ」
「あんたは芋が沢山捧げられる縄張りに住みなさいね」
「うん。頑張る」
たちまち、鍋一杯に仕込んでカヌーに積んでおいたスープも芋も、すっかり無くなってしまう。
昼ご飯が終わりくつろいでいると、自然と話題はトゥトゥの事に向いた。
クロシュは家出した後のトゥトゥのことを、常々案じていたのである。
「あの子のこと、どう思ってる?」
「どう、と言いますと」
「トゥトゥはね、まずデカいでしょ。乱暴でしょ。言葉遣いは悪いでしょ。付き合ってて嫌じゃないかい?」
「最初は、はっきり言って嫌でした。私の目の前で年下のセムタムを殴ったりしたし。でも、選択肢が無かったんです」
ドクターの語りによれば、彼女はこの世界に「事故で落ちた」のだという。
本当は大きな卵――それは
命からがら島に流れ着いたところに、セムタムがやってきて彼女を捕まえる。
その時まだドクターはセムタムの言葉を喋ることが出来なかったんだそうだ。
「なのによく来ようと思ったね」
「大学の卒論のテーマで」
「ソツロン」
「あ、えっと、その、余所者にとっての成人の儀式みたいなものです」
「はあ、そうかね」
セムタムは捕えた彼女を長老の前に引き出して裁決を仰ぐ。
喋れないから弁明も出来ない、それはそれは怖い時間だったとドクターは言った。
もう死ぬのだ、と思ったところに颯爽と現れたのがトゥトゥだったのである。
「後々わかったんですが、その時に私を捕まえて殺そうとしていた若いリーダーはシテハーラニという名前で、トゥトゥを目の敵にしてたんですね。だからトゥトゥがその場に来たのは、私をどうこうしようっていうのじゃなくて、ただシテハーラニに嫌がらせをしたかったんだと思うんです」
それで、余所者殺すべしといったシテハーラニに対し、トゥトゥは余所者ひとりでガタガタ言うなと啖呵を切ったのだという。
この経緯は当のシテハーラニから後日ドクターが聞き出したというから、その大胆さにクロシュは舌をまいた。
怖いもの知らずにも程があるというものだろう。
ともかく、このシテハーラニとトゥトゥの対立のお陰でドクターは生き延びる。
そしてドクターの言葉をそのまま引くならば「玩具に対する興味か情かがわいて」トゥトゥはドクターと話すようになった。
クロシュが信じがたいと思ったことに、トゥトゥはドクターに根気強くセムタムの言葉を一から仕込んだのだという。
「だから、私がいちばん最初に教わったセムタム語は、
クロシュは笑った。
ドクターの「
いかにもトゥトゥのやりそうなこと、と思う。
ドクターの背後で、ラランセラがカヌーをひっくり返さないように慎重に顔を上げた。
その髭が舷側を撫で始める。
龍の鼻の穴は大きくなったり小さくなったりせわしなく動き、その度にぷひっぷひっと微かな音を鳴らした。
まだ食べるものを探しているのだろうか?
いや違う、とクロシュは感じた。
ラランセラはまだ精神的に幼いが、おかわりをしたくてセムタムのカヌーを覗き込むのは無作法なことだというのは、クロシュがしっかり教えている。
視線の動きを見るに、どうやらドクターを構いたいようだった。
ラランセラが興味を持っているのは「お喋り」にかもしれない。
クロシュはラランセラが長々とした質問――生まれてから今までの経歴をこまごまと説明してからでなければ相手に質問の意図は伝わらない、と彼は考えている――で横入りをすることがないように、先を促した。
「なのに、ドクターは成人になった今もあの子とつるんであげているのかい」
「一緒にいてもらってるのは、私の方だと思います。トゥトゥは遊び――か刺激のつもりで私の研究に付き合ってくれてるんだと」
「殴られたりしてないね?」
ドクターは、まるでそんな質問をされるとは思わなかった、という風にクロシュを見た。
「まったく。冗談で殴るふりをすることすらないです。トゥトゥは優しいんですよ、本当は」
「それがあたしには不思議なわけさ。まあ小っちゃかった頃しか知らないわけだけど、あれは手の付けられないやんちゃ坊主だったからね。家出してから耳に届く話も、やれ誰それを殴って逃げたとか、どこそこの龍の鱗を寝てる間に剥いだとか、まあそれで良く生きてるなって思ってたくらいだ」
トゥトゥが家出してからすぐに、その手の苦情がクロシュのもとにわんさと届けられた。
海龍のヌーナに言うのが怖いからクロシュに言う。
成人になっているならば文句はトゥトゥ自身に言えと追い返すところだが、トゥトゥは成人の儀式を馬鹿にして、半人前の身分のまま海に出て行ってしまった。
ヌーナは頭を抱え、クロシュもまた苦しみの日々を送ったのだ。
「トゥトゥも分かっているんです。過去に自分が何をしたのか」
「あの子が説明したの?」
「いえ、トゥトゥが私に直接言ったわけじゃないんですけど」
そこでドクターは言葉を区切り、ふーっと息を吐いた。
心の底にたまった重たいものを腹筋で押し上げようというように。
「でも彼が言わなくても、ほかの
ラランセラが髭をくるくる丸めて、いつこの会話に割りこもうか探っている。
クロシュは怖い顔をして、おしゃべり好きな海龍を押しとどめた。
「彼は分かってて――暴力的な発作が出て、自分を見失ってしまうことを、悔いてはいます。最近は癇癪を起すことも減ってます。だけど、悔いたからと言って過去は変わらないし、自分を急に曲げるなんて出来ない。そうすると、変わりたい自分を見つめる
「よく見てるのねえ」
クロシュはドクターの口からどんどんあふれ出した言葉に、呆気に取られていた。
こちらの表情に何かを勘違いしたドクターが、
「えっ、あの、その……」
手をぶんぶんと振りながら弁明しようとする。
「その……、変ですよね」
「いいや、いいんじゃないの。少なくともトゥトゥには良いよ」
「そうでしょうか」
「間違いないよ。これだけ誰かに気をかけてもらえてるってのは幸せなことだと、あたしは思うけどね」
クロシュが言うと、ドクターは手の甲で目尻を拭った。
「……なーにを泣いてるの、この子ったら」
「ごめんなさい。こうして聞いてくれるひとに初めて会ったので」
泣きながら笑う。
歩み寄って抱きしめると、腕越しに伝わってきたドクターの骨は、セムタムにしては信じられないほど細くて、今にもクロシュの腕の中で折れてしまいそうな感じがした。
ふと気づく。
(俺の側に誰も近づけんじゃねえ、友達なんていらねえんだよ、くそババア!)
その言葉はトゥトゥの悲鳴だったのではないだろうか。
ほかのセムタムよりも頭一つは大きな体、信じられないほどの馬鹿力、抑えの効かない激しい気性、それに呪われた生まれの問題がある。
自分がそこにいるだけで他者を傷つけてしまうという事を自覚しているにもかかわらず、自分では自分を制御できない、誰もそのやり方を教えてくれない、という葛藤を抱えて抱えて、その末に放った悲鳴だったのだ。
友達になれるのではないかという一縷の望みを抱いて自分の息子を連れてきたクロシュにこの言葉を叩きつけた翌日、トゥトゥは家出したのである。
傷ついたのはクロシュだけでなく、トゥトゥもまた傷ついていたに違いない。
しかしトゥトゥは加害者であると同時に被害者であり、被害者であるという事を訴えるには加害の度合いが高すぎて、今までに繋がったその関係性を解きほぐすことはあまりにも難しいだろう。
「どうにもならないね」
クロシュは言った。
ふっとドクターは顔を上げる。
声を上げないように泣いていた彼女の真っ赤な目は、クロシュの言葉に傷ついているようにも見えた。
慌てて付け加える。
「トゥトゥを責めてるんでも、ドクターを馬鹿にしたんでもないよ。ただ、何かを変えるという事の難しさを、あたしなりに感じ入っただけさ」
ラランセラの髭が静かに伸びて、クロシュとアムの頭をそっと撫でた。
「良い子、良い子」
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