3章 1話 魂
俺は頭が悪いけども、妙なところでいつも冷静だった。
あるいは、冷たい人間なのだろうか。それは悪魔に長い間侵されていたのが原因なのかもしれないし、元来そういう性質なのかもしれない。
だから
師岡の容態は教師も詳しくは知らないらしい。ただ、目を覚まさないのだという。
こんな時に譲原がいたら真っ先に話を聞きに行くのに、当の譲原はもう二週間近く不在のままだ。お姉さんが亡くなったという話は、悪魔ちゃんから聞いている。そもそも俺は本人から死期が近い事を報されていたし、彼女のあんな姿を見たらそんな事は誰だって察する事が出来ただろう。
俺の周りで何かが起こっているはずなのに、俺ではその何かが何なのかという事すらわからない。焦燥が常に胸に居座っていて、ずっと落ち着かなかった。それを解消する為の方法は、恐らくふたつのみ。
ひとつは、悪魔ちゃんを頼る事。
そしてもうひとつは、紙枝綴本人と接触して、潔白を証明する事だ。
犯人が紙枝なのかはわからない。直前に紙枝の話を耳にしていたから、勝手に結び付けているだけ。師岡は単なる病気で眠り続けている――いやいやいや、と俺は首を振る。それで快復するならまだしも、そうじゃない事を考えたらそれは最悪のパターンではないだろうか。
超常的な何かが要因となって、師岡の意識が戻らない。そう、それの方がまだマシだ。それならその要因を取っ払えばいいだけなのだから。
犯人がはっきりとしない以上、俺が選ぶべきなのは悪魔ちゃんだ。
譲原のような知識を持つ悪魔ちゃんなら何かわかるはずだし、何よりも彼女は紙枝の事を気にしていたらしいから、その辺の話だって聞けるだろう。
「ってわけなんだけどさ」
譲原の家に勝手に上がり込んだ俺は、テレビと向かい合ったままの悪魔ちゃんにこの一週間の出来事と俺の思考の顛末を話した。
「ウチには関係がない」
「でも、譲原もまだ帰ってこないしさぁ」
「そもそもウチにはオマエを助ける義理も最早ない」
あぐらをかいてゲームのコントローラーを握った彼女の形相は険しい。
譲原曰く、オンラインゲームに昼夜を問わず熱中しているとの事だった。まぁ、そのコントローラーとキーボードを買う為に一緒にショッピングセンターに行ったのは俺なのだけども、目線すら一切くれないのだから冷たいヤツである。
「人間と馴れ合うつもりもない」
「でもお前現在進行形で人間とパーティー組んでんじゃん」
めちゃくちゃチャットで指示しまくってるじゃん。現在はボス戦の真っ最中なのだろう。無数のエフェクトが画面の向こう側で炸裂して、素人の俺では理解出来ない量のステータスバーのようなモノが画面の端に広がっている。
「それにほら、手伝ってくれたらヘッドセットも買ってやるよ。そしたらチャットじゃなくて音声でやり取りできるから楽だろ?」
「え、マジー? あの金髪女はお小遣いを一切よこさないから困ってたんよ」
めちゃくちゃ食いついてくるじゃん……。紅蓮の瞳を文字通り輝かせて、俺を見上げてくる。
六畳のこの和室は悪魔ちゃんに与えられた部屋らしい。縁側から直接入ってこれるので、ここまでならいつでも自由にどうぞ、と譲原から許可されている。
もっとも悪魔ちゃんと馴れ合うつもりは俺だってないし、極力避けて生きていきたいのだけども、今回ばかりはそうも言ってられなかった。
「ウチは食べる必要も寝る必要もないからってお金も置いていきやしない。オマケに勝手に外には出られないように結界まで張ってあるんよ。酷くない?」
悪魔ちゃんの容姿は小学校低学年程だが、祟り神相手に立ち回れる力がある。
こんなのが好き勝手外出でもしようモノなら、この町の住民の安全が脅かされてしまう。部屋を片付ける気配は微塵も感じられないけども、ここで大人しくゲームに熱中してもらっておくべきだろう。
「それで? オマエは何だと思ってるんだ?」
「悪魔に祟り神にときたから次は鬼とか天狗辺りかね」
「アホ。鬼の仕業ならウチではどうにもならないよ」
「えー」
「鬼っていうのは、いわば東洋の悪魔だ。格にもよるけど、ウチは最下級だから大抵の相手には勝てない。でも安心しろな。今回の相手は十中八九、枕返しによるモノだ」
「枕返し? 妖怪の?」
夜中に現れて枕をひっくり返して行くというアレだろうか。
「ああ、うん。そうだよ。但しオマエが想像している程、枕返しという妖怪は弱っちくない。むしろ悪魔なんかよりもよっぽど恐ろしいかもしれない。いや、戦闘力という点だけ考えればどうって事ない相手かもしれないけど」
滔々と語りながらも器用にコントローラーとキーボードを駆使してボスの攻撃を避けている。
悪魔ちゃんが使っているのは斧を担ぎ無骨な鎧を身に纏った戦士系の男キャラクターだ。気になって調べた事があるけど、僅か一週間あまりのプレイ時間で既にネット掲示板で指示厨として晒されていて、オマケとばかりに昼夜問わずログインしているせいで、自宅警備員という煽りまで受けていた。
「枕をひっくり返すだけだろ? 確かに迷惑だけどさぁ」
夜中にいきなり枕をひっくり返されたらそれはもうビックリするだろう。でも、それだけだ。怖いかもしれないけど、害はないように感じる。
「人は一生の三割を寝て過ごす。故に、魂の在処として考えられていた頭部を長時間乗せる枕には、使用者の魂が移るとされている。枕の語源は諸説あるけども、魂の倉と書いたタマクラとする説もある程だ。だからね、枕を返すという行為は魂をひっくり返すという事なんよ」
「魂をひっくり返されると眠り続けちゃうの?」
「夢から戻ってこられなくなる。人が変わってしまう。死んでしまう」
「え、怖」
「そう、怖いんよ。師岡雫は夢に閉じ込められている。紙枝綴は人が変わってしまった――二人の被害から推察した結論が、枕返しというわけ。ま、眠る必要のないウチには関係のない話だけどね」
「よし、じゃあパパっと枕返しをぶっ倒しに行こうぜ」
「無理だよ」
「戦闘力はないんだろ? だったらお前でも平気だろ?」
「枕返しはこっちにはいないもん。だからウチには手を出せない」
「あん?」
「枕返しが現れるのは、人が眠っている間だけ。つまり連中は夢の世界の住人なんだよ。ウチがこの画面のボスに干渉が出来ないように、枕返しにも何もできない。だから倒せない。故に恐ろしいんよ」
俺は目を眇める。こういう時に解決策を示してくれるのが譲原なのだけども、悪魔ちゃんにはどうやらそこまでは望めないらしい。
「師岡雫が眠っている以上、手掛かりは紙枝綴だけだろうな。ちなみにウチはもうここから一歩も出るつもりはないから」
「ひとりで紙枝に接触するしかないのかぁ」
そうと決まれば紙枝を探すか。師岡の話を聞く限り紙枝は相当な美人らしい。要するに、そこら辺の男子生徒を捉まえれば情報を聞き出すのも容易だろう。
あの頃の俺みたいに悪魔に侵食されているわけでもないので、まあ危なくもないはずだ。そんなわけで踵を返した俺を「あっ」と悪魔ちゃんが呼び止める。
「ひとつ訂正するけど、ウチは今の今まで紙枝綴なんて人間の事を知らなかったよ」
「……ん?」
「ウチが気にしていた、みたいにオマエは言ったけど。ウチはそんなヤツ知らんかったって言ってるの」
「……え? じゃあ俺が無意識のうちに紙枝に惚れてたって事……?」
さすがは美少女だ。でも師岡の言葉がお世辞でもなんでもなく事実だとするのならば、俺があれこれと尋ねたって不思議ではない。
「それと忠告だけど。名は体を現すという言葉がある」
「それぐらいは俺も知ってるけど」
「――それもそうか。じゃ、頑張ってね」
興味なさそうにひらひらと手を振る悪魔ちゃんの元を後にして、俺は再び学校へと足を向けた。
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