3章 プロローグ 遺書
――これは遺書である。
「赤点しんどい」
そんな風に机に突っ伏した師岡雫が随分と厳しい眼差しを向けてきたから、俺は首を傾げる。期末テストの結果はお互いに散々だったので、今日も今日とて机をくっつけて補習の対策を行っているのだった。
「わたしはこうやって一生懸命勉強をしているのに、テンコーセーは最近遊び歩いているって聞いてます」
「え、遊び歩いてるってなんだよ。俺は普通に――、」
例えば先週の日曜日の事を思い返して言葉が詰まった。悪魔ちゃんに付き合って、ショッピングモールに行っていたからだ。別に遊んでいた訳ではないのだけども、小さな女の子もとい悪魔と出かけていました、と説明するのはなんだか無理がある気がしたからだ。
「目撃情報があがってるんだよ。観念しなさい」
師岡は頬を膨らませながら、シャープペンを器用に指先だけで回転させる。
「親戚の女の子に付き合ってただけだけど」
母さんの姿に寄せている現在の悪魔ちゃんの姿形を考えれば、あながち間違ってもいないはずだ。瞳だけは完全に人外のそれだけども、外出する際にはカラーコンタクトをつけて誤魔化しているので問題はない。
「
「え、なにさっきから。やきもち?」
「ちっ、違うわい!」
机を叩いて立ち上がった師岡に、俺は苦笑を浴びせる。こうやって頻繁に二人で話しているからか度々勘違いされるのだけども、師岡と俺の間に恋愛感情はないと断言できる。
「わたし、テンコーセーが好きな人知ってるよ?」
「え、突然なに? 俺は基本的に可愛ければ誰でも好きだけど」
「そうやって誤魔化したってわかってるんだから」
どういう訳かしたり顔である。譲原に度々指摘される俺の脳内に広がるお花畑に種を蒔いたのはきっと師岡だ
「――譲原は違うからな?」
譲原と付き合おうモノなら即日で尻に敷かれるに決まっている。
「うん、怪人金属バットじゃないよ」
「え、じゃあ誰だよ」
心当たりはなかった。いや、心当たりがありすぎて逆にわからない。あの子可愛いなぁとか、あの子と付き合ったら楽しいだろうなぁ、と日々妄想しているからだ。師岡はともかくとして、女子にこうやって親し気に話しかけられようモノなら勝手に妄想が膨らんで、半自動的に好きになってしまう。
「
「かみえだつづりって誰だ……?」
ドヤ顔で腕を組んで首肯を繰り返す師岡に、俺は首を傾げる。
クラスの女子ならまだしも、別のクラスの、あるいは別の学年の女子生徒の名前を出されても、文字通り転校生である俺の頭の中にはあまり記憶されていなかった。そもそも一ヶ月以上は悪魔ちゃんに体を乗っ取られて、一週間は入院をしていて、と実際に学校に通っていた期間は見た目よりも少ない。
「またまたぁ。そうやって照れちゃってる所とかもうバレバレです」
「何を言ってるんだよお前……」
成績が悪いのだから当然なのかもしれないけれど、推理力も酷いモノだった。
「そもそも俺はその紙枝綴とかいう子を知らないんだけど」
「え? もしかしてもう振られちゃったの?」
「いや、だから違うから。好きでもなんでもないどころかどんなヤツでどんな顔かもしらない訳」
守備範囲は広い方だと自負している俺ではあるが、さすがに何も知らない相手を好きになったりはしない。
「冬休みに入る前ぐらいに、毎日のように彼女の事を聞いてきたじゃん」
「いやいや、聞いてない――……けど」
あ、と途中で悪魔ちゃんの顔がちらついて言葉が濁った。その時期の俺は、譲原の家ですやすやと眠っていて、実際に学校に顔を出していたのは俺の体を乗っ取った悪魔ちゃんだったからだ。
「あいつが気にしてたの?」
「紙枝ちゃんは別にテンコーセーの事は気にしてないけど」
「あ、いや違う。俺が気にしてたの?」
「うん。忘れちゃったの? あ、そういえば頭を打って入院してたんだっけ? まさかその時に?」
「あー、そうかもしれない」
実際は妖刀を胸に突き刺したからなのだけども、それはひとまず置いておくとして。悪魔ちゃんが気にかけていたという部分は気になる。
「俺はどんな風に気にしてた?」
「紙枝ちゃんがどういう人か、とかそういう事をいっぱい聞いてきたよ」
「それで、その紙枝っていう人はどういう人なの?」
俺の質問に、師岡は「完璧超人」と即答する。迷う事なくそう答えたのだからそうなのだろう。優しい、とか可愛い、とかそういう曖昧な意見ではない。
「顔以外は頭を打つ前のテンコーセーみたいな感じ」
「……まあでも別に珍しい話ではないよな」
うちは進学校とはいえないまでも――いや、進学校ではないからこそ、完璧超人のハードルは低いだろう。要はこの学校基準で勉強が出来て、運動が出来て、顔が整っていればそれでいいのだから。
でも、その程度の人間に悪魔ちゃんは興味を抱くだろうか。否、そんなはずはない。悪魔ちゃんを惹き付ける何かがあるのだろう。とはいえ、
「……俺には関係ないよな」
「美少女だしねぇ」
「なんで美少女だと俺とは関係なくなるんだよ。関わりたいよ!」
「だって紙枝ちゃんはとんでもない美少女だよ? わたし芸能人とかも含めて、紙枝ちゃんよりも整った顔の人を見た事がないもん。顔面ツヨツヨ勢だよ。そんな人に告白したって玉砕するのが目に見えてるじゃん」
「え、マジかよ……」
お近づきになりてぇ……。でも、関わり合いにならない方がいいって事くらいは俺にだってわかる。先の一件で俺は理解したのだ。俺如きが踏み込んではいけない領域がある事を。悪魔ちゃんの加護を失った今、俺に出来る事は殆ど何もない。下手に首を突っ込んだって、譲原がいなければ何も出来ないのだ。そしてその譲原は、今いない。
「でも、前の紙枝ちゃんは顔は可愛かったけど、全然そんな風ではなかったんだけどねぇ」
「……そんなん確定じゃん」
確定でヤバイ奴じゃん……。関わったら色々な厄介事に巻き込まれるヤツじゃん。譲原にため息を吐かれて「先輩って馬鹿なんですかぁ」って言われるヤツじゃん。
俺は頭を振って、紙枝何某を振り払う。俺だって馬鹿ではない。この程度の線引きくらいは可能だ。
「とにかくだ。今はそんな話に現を抜かしてる場合じゃあないんだよな」
このままでは留年だと脅されているのである。そんな事になったら譲原と同じ学年になって「先輩ってやっぱりアホだったんっすね。あ、もはや先輩でもないしただのアホか。アホが移るんで話しかけないで下さいね」と言われるに決まっている。……なんだか頭の中の譲原に腹が立ってきた。
結局、ろくに公式も理解できぬまま解散となった。
帰り際、カエルの傘を片手に持った師岡は「また明日ね」と言って、帰路についていく。なんで朝から晴れていたのに傘を持ってるんだ? と夕空を仰いだ俺の額に、雨粒がひとつ落ちてきた。
降り始めた雨は翌日になっても止む事はなく、「また明日」と口にした師岡が学校に来る事もなかった。何故なら師岡は、原因不明の昏睡状態に陥ったからだ。
そうして俺は、紙枝綴と邂逅を果たす事になる。自分が死ぬとも知らずに。
だからこれは遺書で、俺が死ぬまでの物語だ。
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