2章6話 荒魂

「ここだ」

 旧校舎の三階。幽霊が出るなんて噂のある、本来なら誰も近づこうとはしない場所である。夜の学校というだけでも十分におどろおどろしい雰囲気なのに、そういう背景を知っているから余計に緊張してしまうのだけども、よくよく考えてみると俺の隣には悪魔がいるので、幽霊程度で怖がっている場合ではないのだろう。


「確かに。結界が張ってあるな」

「結界かー」

 見慣れてはいるけれど、聞きなれないその言葉に口端が吊り上がる。痛々しい中学生みたいで、何だか気恥ずかしささえ覚える単語だ。しかし、悪魔ちゃんはそんな俺に「ふっ」と、一笑を浴びせて扉に手を当てる。


「例えば鳥居。アレは神を閉じ込める為のモノ。もっと身近なモノでいうのなら箸や畳の縁でさえも結界だという。だから別に結界は、ファンタジーの存在ではないんよ。要は区切る為のモノだからね。柵だって、塀だって結界みたいなもんだ」

「……お前って悪魔の癖に妙にそういうのに詳しいよな」

 まるで譲原みたいだ。


「ここに張られているのは、人払いの類だな」

「あいつ、ぼっち飯してたから見られたくなかったんだろ」

 まあ、トイレの前の廊下にまで唐揚げの匂いが漂っていたのでバレバレだったのだけども。俺が覗き込んだ時も妙に驚いていた。


「壊すけどいいの?」

「いや、開ければいいじゃん」

「この中にはいないよ。この向こうの異界にいるんよ。だから結界を壊す必要がある」

「うん? ……うん。まあなんでもいいや」

 そういう専門的な話はよくわからないし、聞き返したらまた譲原みたいな事を長々と語られそうだ。俺は首肯して、どうぞと促した。旧校舎のドアが壊れたって、困るのはまあ譲原くらいだろう。


 悪魔ちゃんが扉に手を触れたその瞬間、まるでそれを拒否するかのようにトイレのドアは内側へと爆裂して吹き飛んだ。強い埃の臭いが辺りを漂い、妙に湿り気のある空気が体へと纏わりついてくる。まるで濃い霧の中にいるような、そんな感覚だった。


 後先考えずに随分と豪快に壊しやがったなぁ、とその場に立ち尽くす俺に「凄いでしょ?」みたいな顔を浮かべなら振り向いた悪魔ちゃんのその向こう側で、月光を反射する鈍色にびいろの凶器が振り上げられていた。


「何を――」

 それは聞き覚えのある声で、


「してるんすかッ!!」

 記憶トラウマに刻まれたままの鋭い眼光。悪魔ちゃんが「あの金髪女の方が怖い」と言った理由も、その迫力を前にすればわかる。


「タンマ!」

 譲原が凹んだ金属バットを振り抜くその間際、俺の言葉に譲原はすんでの所で従ってくれた。悪魔ちゃんはどや顔のままで硬直。ド素人でしかない俺でも感じられるその異様な殺気に動けないようだった。実際、あと一瞬でも遅かったら悪魔ちゃんの頭部はスプリンクラーが如く脳漿と血液を撒き散らしていた事だろう。


「助けにきたんだよ」

「……馬鹿なんですか?」

 譲原は呆れたように嘆息を吐き出して、トイレの床に座り込んだ。


「どうしてよりによって最悪の選択肢を選んでくるんですかあなたは」

「だってお前の姉ちゃんがさ!」

の言う事にそのまま従ってどうするんですか」

「いや、だってお前――」

「いや、すんません。私の説明不足でしたね。私はね、アレから刀を受け取ってきて欲しかったんです」

「刀? 雪花か?」

 その単語に悪魔ちゃんが身震いする。俺にとって譲原の眼光がそうであるように、雪花は悪魔ちゃんにとってのトラウマなのだろう。


「違います。それとは別の、神殺しの為の妖刀です」

「それさえあれば、あの黒いヤツに勝てたの?」

「それはわからないですけど。少なくともこんな事にはなりません」

 折れ曲がった指を顔の前に上げて、譲原は苦笑する。


「まあ、でもありがとうございます。今は使えるモノを使ってどうにかしましょうか」

 本当に譲原の事が怖いのだろう。悪魔は口を真一文字に閉じて、一歩も動こうとしない。少しでも妙な動きをしたら、その瞬間に殺される事を理解しているのだと思う。実際、譲原は悪魔から視線を外そうとしない。


「じゃあ悪魔さん。少しの間だけ、力を貸してくれますか?」

「はァ? ウチは慣れ合うつもりないんだけど?」

 俺を見たまま悪魔ちゃんは言う。強がってはいるけれど、背後の譲原を見るのが怖いのだろう。若干、瞳が揺れていた。


「まあそう言わずに。あなたを消さない理由を私に下さいよ」

「脅しか? でも今ウチを消したらオマエ等も死ぬでしょ? 困るのはそっちだと思うけどなー?」

 悪魔ちゃんの言う事は正論だ。しかし、譲原は柔和な顔で続ける。


「いざとなったら私だけでも逃げるんで大丈夫っす」

「えー。俺死ぬじゃん」

「先輩が悪いんですよ。自業自得っす。祟り神を祓うのに、それと同等かあるいはそれ以上に厄介なのを引っ張りだしてくるんですから。正直な話、今ここでコレを消し去れるのならそれも悪くないかなって思ってます」

 グリップを強く握り締める音が聞こえる。悪魔ちゃんの額から汗が流れ落ちる。


「幸か不幸か、不完全な状態での顕現ですから。今の私でもどうにかなります」

「……――、わかったから。従うから! だからやめてくんない!? そういうの! 怖いんだけど! せっかく助けにきたのに!」

 譲原が口端を歪ませる。その笑みだけをみればどっちが悪魔かわからない。

 恐らくだけど、今の譲原の状態を考慮すると悪魔ちゃんには勝てない。あれだけの身体能力を見せつけられた後だからそう思ってしまうだけかもしれないけど、ハッタリで悪魔を従わせたのだろう。もちろん、譲原の迫力があればこそだけど。


「作戦はあるの?」

 俺の問いかけに、譲原は首を縦に振る。今の譲原と悪魔ちゃんを合わせれば、あの黒いアレをどうにかできるのだろうか。


「祟り神っていうのは、要は荒魂。一霊四魂のひとつで神様の別の側面に過ぎません」

「お、おう……」

 また始まってしまった譲原の小難しい話に、俺は思考を放棄する。窓の外はどうなってるのかなぁとか。そういえばその件の祟り神は今はどこにいるのかなぁとか、そういう事を考えている間に、結構話が進んだらしい。


「祀り上げて私の守護神にしちゃいましょう」

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