2章4話 因果

「ぶべべべべべ!」

 そんな変な声を口にしながら、廊下に俯せのまま移動しているのは悪魔だ。急がなければならないのに、随分とふざけた野郎である。


「違うわ! ボォォォケッ!! アーホ!! オマエが引きずってるんよ!」

「え? 引きずられてるの? お前」

「気づけバァカ! ウチとオマエは一心同体なんだから当たり前だろォがアーホ!! 誰が好き好んでこんな移動するん!? エクソシストかよ! バァ――クァばばばばばばばば! え? 待って! ねぇ、階段はダメだと思わない? 普通!!」

 階段に差し掛かったのをいち早く察知した悪魔が声を荒げたので、俺は立ち止まる。仕組みはわからないけども、コイツは俺から物理的にも離れられないらしい。


「普通はダメかもしれないけどさ、俺はお前の事憎んでるんだぜ?」

 地面に寝転がったままの悪魔にそう告げる。全ての元凶。そして母親の仇。別に仇討ちがどうとか、そういう格好の良いモチベーションで生きてきたわけではないけども、そんなヤツとヘラヘラと仲良くやったりなんてできるわけがない。あくまでもコレは、譲原を救うための道具に過ぎないのだ。多少乱暴に扱ったって構わないだろう。


「だからさァ! それがおかしくない?」

「なんもおかしくねぇよ」

「おかしいよ! ウチがオマエに何をした⁉」

「俺の母親を殺しただろうが! 俺の体も乗っ取ったしさ!」

「殺してないが?」

「はぁ⁉ しらばっくれんのかよお前! 最低だな」

 階段をひとつ降りる。その背中を掴むように「違うじゃん!!」と聞こえてきた。


「なぁ? 落ち着け? オマエの母親は事故死だぞ?」

「あん⁉」

「事故の原因はウチじゃないじゃん? むしろウチはオマエの命の恩人じゃん? 冷静に考えよ?」

「確かに原因はトラックだけどさ! お前は――、」

「本来なら死ぬはずだったオマエを救ったのもウチじゃん? 体は確かに奪おうとしたけど? でもウチの力のお陰で轢かれそうになった師岡雫を救えたんじゃん?」

「でも祖父ちゃんはお前が!」

「それも違うじゃん。あの金髪女も違うって言ってたじゃん。その辺大事な事だから忘れないで?」

「……あれ?」

 あれれ? 首を傾げて一考する。母さんは事故死で、祖父ちゃんは病死だ。俺の体の乗っ取りも結局のところ失敗に終わって、残ったのは譲原との関係だ。


「憎かった相手が、ついこの前までオマエの悩みの種だったウチが突然飛び出てきたんだから、オマエの混乱もわかるよ? でも、ソレはソレ。コレはコレじゃん」

「……いや、でも……、ほらお前はアレじゃん……。悪魔じゃん」

 思わず目を逸らしてしまった。

 

「うっっわぁサイテー。反論できなくなった瞬間にレッテル貼りとか、オマエ悪魔みたいヤツだな」

 悪魔が立ち上がる。随分と小さな背丈。大きな瞳。艶のある黒髪。見た目だけなら実に可愛らしい女の子だが、その正体は悪魔なのである。悪魔が何をするのかは知らないけど、いいヤツでない事は確かだ。


「しかも今度はウチが! あの金髪を助けるんでしょ? やってる事、もはや天使じゃん。そこは感謝しなきゃじゃん普通」

 大きな身振り手振りで己の無実を訴えてくる。恩着せがましい気もするが、正論ではある。それになにより、今はいがみ合っている場合ではない。こうしている間にも譲原の身に危険が差し迫っている。


「――わかった。仲直りしよう」

 悪魔に向かって手を差し伸ばす。満面の笑みでその手を握るかと思った悪魔はけれど、小さな手のひらで俺の胸を力強く押してきた。背後は階段。不意をつかれた俺の体は容易く宙に放り出されて――、


「ぶべべべべべべ!」

 悪魔を下敷きに階段を滑り落ちた。


「危ねぇ……! 油断も隙もないなお前」

 幸いにして無傷だったけども、何がどうなって悪魔が俺の下敷きになったのかはわからないけども、一歩間違えたら死んでいた。やはり悪魔は悪魔でしかなく、到底慣れ合えるような存在ではないのだろう。


「やっぱりじゃん……!!」

 階段の踊り場で半べそをかきながら、悪魔は俺を睥睨するが、その赤い瞳は涙で揺れていた。


「だから乗っ取ろうとしたんじゃん! オマエの母親が! オマエの幸福なんかを望むから! ウチじゃあオマエを殺せないから! こうやって失敗するに決まってるから! だから!」

「いや、だったらお前それ馬鹿じゃん……なんで押したんだよ」

「今ならもしかしたらいけるかな? って思っちゃった。魔が差したんよ」

「悪魔だけにか」

「それな! ちょびっとだけうまいなオマエ」

 ハハハと哄笑する悪魔に合わせて、俺も笑ってみる。


「このバカチンが!」

「痛ァッ――!!」

 頭頂部にチョップを浴びせて、その予想外の頭の固さに俺は悶絶する。まだ譲原を助ける段階ではないのに、病院からも出ていないのに、二人してダメージを負っていた。


「時間がねぇんだよ!」

「大丈夫でしょ」

 悪魔は涙目で頭を抑えながら、今日の天気でも話すかのように軽い調子で言う。


「大丈夫なわけないだろ。右手が殆ど使えなくなってんだぞ。息だって切れてた。お前に取り憑かれてた俺をあっさりといなしたあの譲原がだ」

「……病室のあの女。アレは怖かった。悪魔のウチが、思わずコイツ悪魔かよって思ったもん」

 指を一本立てた悪魔に、俺は思わず頷く。譲原姉には得体の知れない、底知れない何かがあった。彼女の後ろで蠢く黒いナニカもそうだけど、それ以上に彼女自身の方が気味悪かった。


「まぁな」

「でも、それよりも、ウチはあの金髪女の方が怖い」

「譲原が? 確かに目つきは悪いけどさ。根はいいヤツだぜ」

 完全にヤンキーに対する褒め言葉だったけども、事実である。


「まったくもう、オマエの頭はほんとーにくるくるぱーだなァ。あの女にびっしりと纏わり付いた糸が見えていなかなったのか?」

「糸?」

 そんなモノは俺には見えなかった。


「あの姉妹。随分と難儀な血筋の家に生まれたみたいだな」

 振り返り、病室がある方に目を向けた悪魔に俺も倣う。

 まあ、その通りなのだろう。普通の家に生まれた人間が、あんな力を持っているはずがない。あんな家にひとりで暮らしているはずもないし、右手も右目もまともに使えない状況になって、大丈夫だなんて言えるはずがない。



「だから大丈夫。帰ろ? ウチ、久しぶりにファミチキが食べたいな」

「バカ野郎。よし帰るかぁとはならねぇんだよ。大体なんだよ糸って! 意味わからん」

「糸は糸だ。あの女の力の根源。オマエが悪魔のウチに憑かれていたように、アイツはに憑かれている。まあ、あの病弱女を見た今なら大方の予想はつくけどね」

 思い当たる節はあった。あの日、電柱の上で俺を迎え撃った譲原を想起する。譲原は頑張って登った等と嘯いていたけども、そんなはずはないからだ。

 あの時の俺の移動速度を考えれば、あらかじめそこで待機していたか、で素早く昇ったかのどちらかしかない。もしも譲原がその糸とやらを自在に操れるのならば、色々と合点がいく。


「何の因果か知らんけど。なんでそんな業を背負っているのかは知りたくもないけど。アレとはあまり関わらない方がいいと思う」

 糸と聞いて連想したのは、無数の糸にからめ捕られた譲原の姿だ。譲原に助けられるまでの俺がずっとそうだったように、譲原も何かに怯えているのではないだろうか。何かから救われたいのではないだろうか。そんな事を考えてしまう。


「俺は譲原と関わりたいんだよ」

 例え譲原がそれを望んでいなかったとしても。

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