2章1話 譲原薫
正直な話、譲原に対して何かを期待をしていたわけではないのだけども、緑色を基調とした中学校の名前入りジャージを着て現れた譲原には思わず「えー、ジャージかよぉ」という言葉が口をついてしまった。
「はぁ?」
と、今日も今日とて凶悪な三白眼を尖らせて、譲原は後頭部をかいてみせる。
「だって女の子の私服にドキッとしたいじゃん。スカートとか穿いてきて欲しいじゃん。てかお前、履物もビーサンじゃん! とどめとばかりにバットケースまで背負ってるじゃん! 男心をもっとわかろうよ!」
「男心なんて知らないっすよ」
上着のポケットに手を突っ込んだ譲原は「ふん」と首で道の先を指し示して「とっとと奢って下さいよ」と言った。
「え、もしかして俺って今カツアゲされてる……?」
「めんどくせぇ事言ってると帰りますよ」
「ごめん! 嘘! 嘘だから! 帰らないで下さい!」
実際のところ、本当に来てくれるとは思っていなかったから、テンションが妙な事になってしまっていた。その所為で突き刺さる衆人環視を無視して、とりあえず駅前の商店街に向かって歩みを進める。
「で、何を食べたい?」
一か月間意識を失った挙句、しばらく入院していたからお年玉がまるまる残っていた。というか、例年よりも額が多かった。叔母さん曰く、今年の俺は親戚ウケが随分と良かったらしい。
悪魔のお陰もとい所為で、金銭的な余裕があるので、ある程度のワガママには対応できる。
「ラーメンっすね」
「らーめん」
「ラーメンっす」
「じゃあまずはちょっとイイ感じのカフェでお茶でもしようぜ」
「ラーメン屋行く前にカフェでお茶する馬鹿はいないっすよ」
眠そうに欠伸をしながら、譲原は言う。まあ、ちょっとイイ感じのカフェ(漠然)に中学校のジャージを着た金髪女子と入るのは、なんだか違う気はする。
「休日でも化粧はしないのな」
「まだお肌ぴちぴちなので」
譲原は頬に両手を当てる。
「お、おう……」
そりゃあぴちぴちだけども。校則で禁止されているとはいえ、学校がある日でも大半の女子生徒は薄っすらと化粧をしてきている。その辺、染髪という校則違反を堂々と破っている譲原が守るのもおかしな話なので、本当にする気がないのだろう。
「パーツは整ってるよな」
「含みのある言い方っすね。全部が全部整ってますけど」
凶悪な双眸はもちろん除くとして、口許も鼻筋も意外と端正だ。目と頭髪を隠しさえすれば、もしかして美少女の類なのではないだろうか。
「なんで黄色く染めてるの? 譲原って染めるタイプの人間じゃないよね」
かといって黒髪の譲原っていうのも想像したら違和感が酷いのだけども。髪の毛を黒くしてもう少し伸ばしたら、今とは違う意味で、道行く異性も振り返るのではなかろうか。
「逆になんすか。染めるタイプの人間って。……まあコレは
「おまじない? 恋愛系の?」
「……先輩って、そんな顔つきなのに結構脳内お花畑ですよね。
譲原は恨めしそうに前髪を弄りながら苦笑する。
「ふむ」
と意味深に頷いてみたけども、何を言っているのかわからなかった。そんな俺に譲原は嘆息を吐き捨てて、続けてくれる。
「多方面から恨みを買ってますからね、私」
空を仰ぎながら、譲原は言う。
「あ、あぁ……、他校の生徒ボコったりとかな」
「いや、あの手の不良は人を呪ってきたりしませんよ。連中は物理攻撃でしょ、基本的に」
「譲原も鈍器による物理攻撃だもんな」
なんていっても怪人金属バットである。
「私は別に不良じゃないんですけど。……ともかく世の中には人間を呪って殺そうとしてくる輩がいるんです。その対策の一つなんですよ」
「ほえ~」
譲原は俺とは違う世界に生きている。
あんな出来事がなければ当然、関わることはなかったし、仮にこうやって話す機会があったとしても、こんな話をしてきた時点で頭のおかしいヤツだという判断を下して、ろくに耳を貸さなかっただろう。
「先輩も気をつけた方がいいですよ」
「俺は恨みとか買うタイプじゃないし」
「そんなタイプはいないんすよ。ニュースでもよく耳にするでしょう? 被害者の評判で、誰かに恨まれるような人ではなかったとか、そういうの」
「そんなことをするタイプの人には見えなかったと同じくらい定番ではある気がする」
その点、譲原や俺が何かをしでかしたら「やっぱりな」と思われてしまうのだろう。世知辛い世の中である。
「幸せに生きている。ただそれだけで、妬まれ、恨まれるんです。大半の人はその事に気づきもしないで生活していますけども」
「じゃあ譲原は今、幸せなの?」
譲原が驚いたように俺に視線を向ける。
あの広い家に一人で住んで、狭いトイレの個室で一人でお弁当を食べている。俺が知っている譲原という少女は、大体いつも一人だ。
どうしてあんな力を持っているのかとか、どうして一人で暮らしているのかとか、聞きたい事は山ほどあるし、彼女の
「先輩、アレ」
譲原が指さすその先、薬局の軒下で空を見上げて泣き声を上げている男の子がいる。迷子だろうか。そんな思考を違和感が否定する。
道行く人が誰一人として、気にも留めていないのだ。……いや、違う。気づいていないのではないだろうか。
「先輩にはアレが視えていますか?」
アレ――譲原は泣きじゃくる男の子の事をアレと言う。
「見えてるも何も、普通に泣いてる男の子がいる」
「水色の半そでのシャツに、白色の半ズボンを穿いた男の子ですか?」
「ああ、うん」
そうだ。違和感を覚えたのは、まるで無視をするように通り過ぎて行く通行人にだけではない。少年をアレと呼んだ譲原と、彼の季節外れの服装に対してもだった。
「私にはね、先輩。物心がつく前からずっと、あの手のモノが視えていました。そういう家系だったんです」
「え? 何を言ってるの?」
「先輩はきっと、先日の一件が起因となって視えるようになったんでしょうね」
「え、なに? ちょっと待って! 背筋がひんやりとしてきたんだけど! 無理なんだけど! そういうの!」
心なしかあの少年が禍々しく見えてきた気がする。幽霊と悪魔だったら、悪魔のほうが怖くないと俺は思う。
「慣れればなんとも思わなくなりますよ」
言いながら、譲原は少年に向かって歩き始める。いったい何をするのだろうか。まさかいきなり幽霊とのバトルが始まったらどうしよう。いや、アレは幽霊じゃないし……俺に霊感なんてあるはずがないし……。だからあの子はきっと、そう。限りなく存在感の薄い、年中半そでを着た小学生なのだろう。そういえば俺の小学校にも一年中半そで半ズボンの子がいたし。うん、きっとそうに違いない。
「どうしたの?」
テンパる俺とは対照的に、譲原は少年の目の前で屈むとそんな風に声をかけた。泣いてる男の子に対して視線が注がれる事はないけども、譲原に対しては違う。当たり前といえば当たり前だ。
「そっか、はぐれちゃったんだ」
だって、他の人には見えていないのだから。見えていない人からしてみたら、緑色のジャージを着たヤンキーが突然、虚空に向かって話しかけているのだ。もしかしてこいつ、ラリってんのかな? と思われたって不思議ではないし、仮に見えていたら見えていたで、小学生からカツアゲでもしてるのかな? と勘違いされるかもしれない。
俺だったらそんな風に考えてしまう。いや、譲原に対してそうやって思っているわけではなく、周りからそんな風に思われるんだろうなぁとかそういうくだらない事を考えて、譲原みたいには動けない。
電車で老人に席を譲ろうにも、まず思考が邪魔をする。今までの俺はそういう人間で、傍観者だった。だから、少しでも変わろうと思った。
「そいついきなり襲ってきたりしない?」
「大丈夫ですよ、まだ悪霊の類ではないので。うん、大丈夫だよ。おうちはわかる?」
「おうちはわかるよ、当たり前だろ」
「先輩に対しては言ってませんが。あ、うん。平気だよ。この人目つきは悪いけど、悪い人ではないから。まあ頭は悪いんだけどね」
譲原が笑って、少年の顔からも笑みがこぼれた。
「頭も悪くないけど! てかなに? 異様に声小さくない?」
「ああ、先輩には聞こえないんじゃないですか」
「英語でも喋ってるの?」
「……先輩は英語で喋られると聞こえないんですか?」
「え、じゃあなんでだよ。モスキート音的な感じか?」
「霊感っていっても、色々あるんですよ。本来、霊感っていうのは多かれ少なかれ誰もが持っているモノなんです。殆どの人は視えていないから、自分には霊感がないと思い込んでいる。でも、霊感っていうのは五感と連動しているんです。例えば視えるだけの人、例えば聞こえるだけの人、例えば匂いを感じるだけの人みたいに。先輩は視えるようにはなったけど、聴覚の霊感はないんでしょうね。だから声が聞こえない」
「え、待って。マジで幽霊なの?」
近づいて初めてわかる。その存在感が、生きている人と違わないという事が。少し怯えたように俺を見上げてくるその眼差しも、涙で濡れたその頬も。そうだと言われなければ俺は、彼の事を幽霊だとは思わなかっただろう。
例えば脳みそがはみ出ていたりとか、例えば眼球が真っ黒だったりとか、例えば足がないとか、そんな事もなく、ただ普通にそこにいる。
「じゃあ先輩、この子を負ぶってあげて下さい」
「いや、それはもうセルフ背後霊じゃん。嫌だよ!」
「だってこの子、ここに縛られちゃってるんですもん」
「なんで薬局に縛られてるんだよ! ケロちゃんかよ!」
「薬局というか、この商店街にでしょうね。まあほら、私にお礼がしたいんですよね? だったらほら、おんぶおんぶ」
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