ロケットマンは星をみる

緑茶

ロケットマンは星をみる

 そう遠くない未来、人類は繰り返される環境破壊と戦争から逃れるためのオアシスを、空の上、無限に広がる虚空の中に求めた。


 なにかに急き立てられるように各国は発射基地を設立、絶え間ない人命の消耗と引き換えに手に入れた技術力により矢継ぎ早にロケットが開発され、月に、火星に飛び立った。

 だが、そこにフロンティアなどなかった。そこに新たな生活拠点を作り出すという人類の夢は、荒みきった心と権謀術数の嵐の中では国同士の駆け引きと、純粋な資源調達のためという理由と、何よりも……そもそも、そんな余裕など削り取られていたがゆえに、あっさりと頓挫した。

 今では、犯罪者達が恩赦を求めて、あるいは赤貧に陥った者たちが命を削って、帰り道すら、下手をすれば往路でさえ保証されぬ粗雑な作りの鉄筒に詰め込まれて、真っ黒な闇に撃ち込まれるだけになった。かつて、船舶に奴隷が詰め込まれ、海原から海原を渡ったように。


 一介の記者である私は、各地のロケット発射基地及びその周辺に住む労働者たちを取材することを生業としていて、日々、その悲惨な現状を記事にしたためていた。

 そして疲れれば、酒場に赴いて、酒を痛飲した。

 発射基地にほど近い場所には、大概それがあったのだ。

 地獄のすぐ上に、煉獄があるように。


 そこでは宇宙に流刑される者たちが大勢集まって、常に熱気と汗と疲労を充満させていた。

 旧世紀の酒場を模した木造のそれらでは、くすんだ色の回転灯がまわって、錆色のジュークボックスからはオールディーズナンバーが常に流れていていかにも活気に満ちているように見えた。

 しかし実際は、彼らの騒がしさは押し寄せる暮らしへの不安と宇宙に対する恐怖と、人生に対する諦観に対する誤魔化しであり、しょっちゅう起きる掃除夫への暴行や乱闘事件も、その負の感情をかき消すため、大量のビールとともに提供されるメニューでしかなかった。

 私はそんな中で、彼らの現状にうんざりしながらも、状況を刻印することをやめなかった。

 彼らの悲惨さのすべてを後の世に遺すことが、希望のない地上へ何かをもたらすのではないかと、そう信じてやまなかったからである。


 それらの酒場のうちのひとつで出会ったその男も、私の筆からすれば、悲惨の代弁者だった。

 ある日、カウンターに座っていた私に対して、わけのわからない理由でナイフを突きつけ、命か金か名誉か、そのどれかを選ぶように脅してきた赤ら顔の巨漢がいた。明らかに錯乱していて支離滅裂で、プレイリーオイスターよりは、カウンセリングが必要に思えた。

 そんな彼を制止し、それでも止まらなかったそいつを、見事な体捌きでのしてしまったのが、その男だった。


「おい、兄さん。ここで踊るのはやめときな。どうせ上にあがれば、否が応でも、そうしたくなるんだからな」


 この酒場に居る人間にとってはこの上なく歯が浮くであろうキザなセリフが、あまりにも似合う男だった。

 煤けたブロンドの髪を後ろになでつけて、デニムのジャケットとタイトな革パンツを身にまとう。口元には無精髭。

 ここよりは、バイクに乗って荒野を走っているほうがよほど似合うであろう、そんな容姿だった。


「悪いな。あいつはアレを飲むと、どうしようもなくなるんだ。悪い奴じゃないんだが」


 彼は、鮮やかな手並みに見惚れてぼうっとしていた私にそう言って、そうするのが当然というように隣に座ってきた。

 そして、どんな騒ぎを見ても一切顔色を変えないベリーショートヘアのバーテンダーに、注文を2つ言った。

 ちょうどそれは自分が飲みたかったものだから、私は驚いた。視線に気づくと、彼はウインクした。

 笑った口元から、僅かに金色のインプラントが見えた。

 そのファーストコンタクトで、私は彼のことが好きになってしまった。


 彼の両頬の内側では毛細血管が破裂していて、桃のような色に染まっていたから、酔う前から酔っているようだった。

 それはロケット内で減圧と加圧を繰り返されることで起きるロケット乗りの持病のようなものだったから、それを証明として彼もいっぱしのロケット乗りだということが分かったようなものだが、それゆえに余計に違和感があった。

 彼は、あのときのキザなセリフがあっけなく似合ってしまいそうなほど気持ちに余裕があって、希望を持っているように見えた。

 それは、この酒場に居る他の者たちとはあまりにもかけ離れているように思えた。


 私は興味を持ち、彼に『取材』することに決めた――相手への深入りは厳禁、という鉄則は分かっていたが、酒の酔いが気持ちを緩めていたのか、

 最初の大立ち回りの時点で記事が1本書けるのだから、ここから先は余暇の範囲ということでいいのではないか――そんな甘えた気持ちもどこかにあった。


 とにかく私は彼の渡してくれたブルー・シャンペンを啜りながら、聞いた。

 どうしてそんなにもかくしゃくとしていて、余裕のあるふるまいが出来るのだ。こんなところで、君のような男に出会うとは思わなかった、と。


 すると彼は、どこか子供っぽくも見える笑顔で、あっさりと言った。

 ――『希望があるから』と。


 これまた歯の浮くような台詞だった。

 そして、それを持っているがゆえに、ここに居る連中ほどはトチ狂わなくて済むのだと付け加えた。


「でも、俺はこいつらが嫌いじゃない。希望ってのは、持った瞬間、同時に不安も背負い込んじまうからな。だから、そういう意味では、あいつらのきもちだって、分かるんだ」


 グラスを傾けて語るその後ろでは、先程の大男が再び彼に挑もうとしていたが、連れらしき者たちに必死になって止められていた。

 その光景を尻目に、彼は、自分がそんな言葉を使いだすに至った理由を教えてくれた。



 ご多分に漏れず、男には、愛している女が居た。

 だが、彼女は、すぐさま呼び出して抱きしめられるような立場でもなかった。

 メガロポリスの排気ガスにやられて、重い病を抱いて以降――ずっと入院しているのだった。

 男はやはりというか、彼女の医療費を稼ぐために今の仕事をしているのだが、それ以上に、彼女の『夢』を叶えてやろうとしていた。

 ベッドの上では、決してかなわない夢であった。


 それは、星を見ることだった。

 夜空から消え去って久しい、黄色に輝く星のまたたき。

 絵本や古い映画でしか見られない、だけど、どうしようもなく美しく思えるそれを、いつか本当に見られたら、きっと自分の病気は完治するのだと。

 彼女は本当に信じていた。いや、あるいは、信じなければ、自分を保てないのかもしれなかった。

 要するに、そんな夢見がちな女だった。


 もちろん、現実は、女よりもずっとずっとタフで、厳しかった。

 女の病気は日を追うごとにひどくなっていった。

 魔の手は彼女の脳にまで迫って、その記憶領域や感情の引き出しから、男についての恋慕、思いやりを、だんだんと消し去っていった。

 それは彼女を傍若無人にして、男に理不尽と暴力を突きつけた。


 しかし、男はやはりどこまでも、変わらなかった。

 男は、女を愛していた。

 だから、彼女の夢を叶えることを決めたのだ。


「今じゃ見る影もないが、本当にいい女だったんだ。今だって俺には、昔のままに見える」


 次のランデヴーで、俺は星のかけらを持って帰る。そうすれば、あいつは元通りになる。

 男は、無邪気にそう言った。

 私はその気持ちを応援したのはもちろんだったが、同時に少し不安をおぼえていた。

 そして彼は、宇宙に旅立った。


 やがて、情報が入った。

 彼は、資源の中から星のかけらを手に入れることに成功したのだと聞いた。

 私は喜んだ。無論、彼はそれ以上に――。



 だが、再び私の前に、いつもの酒場で姿を見せた彼は……変わり果てていた。

 ひどく荒れ果てていた。あの溌剌とした様子は、見る影もなかった。

 ショックを受けた私は、何度も手ひどくはねつけられたが、それでも折れずに、彼に真相を聞いた。

 すると彼は、きついアラーキを一気に飲み下したあと、重い口を開いた。


「星は。輝かなかったんだ」


 考えてみれば、当たり前のことといえた。

 月の光など、とうに地上からは見えない。

 だから、それはただの石の塊にすぎなかった。

 意味がなかった。女は、彼を拒絶した。

 そして彼は、すさんでいった。酒の量が増えて、希望を語ることもしなくなった。

 私は諦観と失望を同時に覚えて、彼から距離を置くようになっていった。


 しかし、ある時。

 ひとつの仕事についての情報が酒場へと舞い込んだ。


 それは非情に危険な任務だった。

 未知の惑星への、資源採掘。

 当然、命の保証などない。だがその代わりに、目も眩むような報酬と栄誉が与えられる――。


 ロケット乗り達は一気に沸き立った。

 そして、例外なく……あの男も、にわかに、気力を取り戻した。

 聞いたことのない場所。見たこともない素材。

 それは、今度こそ、夢に見た、彼女にとっての星になりうるかもしれない。

 私が距離を置いていたにも関わらず、彼は、べたつく髪を振り乱しながら、熱っぽく語った。

 その様子に私は隔意を取り払って、ただ一人の友人として、忠告した。

 危険すぎる。そもそも、そんな貴重なものを地上に持って帰ることが許されるかどうかすら怪しい、と。


 だが、男は聞き分けなかった。

 目がギラギラと輝いていた。


「関係ないさ。俺は、どんなことだってやってやるさ……」


 その双眸は既に、遠い虚空に向いていて、私のことは見ていなかった。


 しばらくして、彼は酒場に来なくなった。

 噂のロケットに乗って、任務に赴いたのだろうと思った。


 それは実際にその通りだった。

 だが、その顛末は、想像もしていなかった。


 ロケットは、撃墜されたとのことだった。

 資源の独占を防ぎたい某国が仕掛けた攻撃だったそうだ。

 当然、誰も生き残らなかった。



 暗澹たる気持ちになった私は、どうすべきか考えたが、やがて、せめてそのことを彼の女に伝える必要があるだろうと思い至った。

 なかば、彼に同情しすぎるあまり、彼女に憤ってもいた。

 だから、彼女に真実を伝えるため、埃っぽい灰色のメガロポリスに出向いた。


 苦労して探しだした病院は、都市有数の巨大クリニックだった。

 彼がどれだけの稼ぎをそこに費やしていたのかが伺いしれた。

 私は病院の係員に、女の名前を告げて、彼女はどこに入院しているのかと尋ねた。

 自分の身分が役に立った珍しい例だった。


 すると、驚いたことに、係員は「彼女は先日、退院されました」と教えてくれた。

 私は平静さをいささか失いながら、チップを握らせて、続きを聞いた。

 すると、信じられないことが分かった。


 彼女は先日のロケット撃墜の際、まさにその光景を、病室の窓から見ていたのだという。

 それがあってから、急に彼女の容態はよくなったらしい。



 パズルのピースが完全にはまり込んだ瞬間だった。

 彼女には、その爆発の光が……星に見えたのだ。


 あの男は、自分の命を引き換えに、彼女を生きながらえさせたのだ。



 私は奇跡を信じないが、まったくの既知しか信じないほど乾いてもいないつもりだった。

 しかし、前者を信じ、なかばあの広大無辺の宇宙に心が奪われた男に対する仕打ちは、『奇跡』というにはあまりにもひどく思えた。

 彼女は――彼の死を知った時、何を思ったのだろう。今は、何をしているのだろう。どのパターンを考えても、気持ちは晴れなかった。


 それから私は、彼についての取材を終えた。



 しかし、私も結局は食うに困ってこの仕事を続けている。


 今日も基地を駆け巡って、いつもの店に戻ってくる。

 そして破裂した毛細血管の頬を持った男たちの忙しない動きを見ながら、その刹那の喧騒に耳を傾けるのだ。


 風を浴びたくなって外に出て、夜空を見上げると、そこには今日も星1つ浮かんでおらず、何も言わなかった。

 幾人もの者たちの命を飲み込んできたその空間は、ひどく寒々しく思えた。


 私は実際に寒気を感じて、酒場に戻ろうとした。

 するとその時、近くの基地から、またロケットが打ち上がった。

 それは途中で撃墜されるということもなく、最後まで飛んで、夜のはざまに消えた。酒場の中でそれを窓から見ていた者たち。ある者は喝采し、ある者は罵倒し。その合間を埋めるように、ジュークボックスの奏でる音楽が響く。


 あたたかく、騒がしく、明るさに満ちている。

 そうでなければ、彼らとて、すぐにでも考えてしまうのだろう。

 いつ終わるのだろう。いつ、星は見つかるのだろう。希望はどこにあるのだろう。


 答えはない。すぐに出てくるものでもない。あるいは、永遠に出てこないかもしれない。


 それでも私は、この仕事をやめないつもりだ。

 たとえ誰も星を掴むことができなくても、この地上に鎖で繋がれたまま、そこに向かう者たちを記録し続けるだろう。

 やけっぱちな意地でもあったし、もはやおごりのぶんを返すことも出来なかった一人の男への、せめてもの手向けでもあった。

 感傷は余計であると思われるかもしれないが、それを捨ててしまえば最後、いよいよ私はこの地上から放逐されて、真っ暗な闇に投げ出されてしまいそうな気がするのだ。


今日もロケットは飛ぶ。明日も、明後日も。

緩慢に傾きゆく、地上の黄昏を背景にして、煉獄のなかにいる男たちを満載にして。


そして私は紡ぎ続ける――彼らの記録を。



空の向こうにある星を諦められぬ限り、永遠に、手を伸ばし続ける。

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