第7話 能動的青春間
「いやぁ……」
「夏ね」
教室内にて優也の友人たる中田建士が呟いた。
窓の外では雨がざんざんと降っている。
優也はこの天候で夏を感じるのに疑問符を浮かべたが、しかし涼しさなど欠片もなく、ただただ蒸している熱帯のような状況に「……まあ、ね」と呟いた。
建士が団扇代わりに顔面へ風を送っている下敷き、それがたわんでぺっこんぺっこん音を立てる。
「来週には、夏休みね」
「そうね」
期末試験も終わり、今週が一学期最後の週である。教室内の空気はどこか浮ついたというか弛緩したというか、浮き足立った雰囲気が支配している。
「どうよ、なんか予定ある?」
「……ないね」
夏休みに入っていきなり樹理の友人がやってくるらしいが、それは姉のスケジュールであり。優也個人としては土日を除く午前中部活に出て午後予備校である。
「つまんないわぁ」
受験の天王山は二年の夏と言われても、実際にやる気が出るかどうかはまた別だった。学校の授業がない分時間の融通は取れるが、イベントは今のところ予定されていない。
「そういうお前はどうなの予定」
「俺はさァ、実はさァ」
会話のボールをそのまま建士に投げ返してみると、建士は思わせぶりに優也をちらちらと伺い見ながら言葉を濁す。
「いやあちょっとさあ優也くんにはお願いがあってさァ」
「物による」
「じゃあ言うけどさァ……優也くんさァ」
「はい」
「俺の理性になってくんね?」
「理性?」
意味が分からなかった。
「実はさァ、俺さァ、気付いたんだよ」
「その小さい『ァ』やたらめんどくさいからやめて」
「はい」
優也が真顔で言うと建士もすんと真顔で頷いた。
「だからね、俺もこの夏、いっそVになろうって」
「うーん?」
V、Vとは。優也は一瞬思考が止まり、やがて答えに辿り着く。
「VTuber?」
「その通り。楽しそうじゃないですか、見てたら。そうなるとやってみたくなるのが人情てもんでしょうよ」
「分からないでもないけど」
優也からすればVTuberというものに向けてそんな感情は抱かないが、中にはテレビか何かで見て面白そうだと感じるものもある。中学から始めたテニスも最初は面白そうだという気持ちが半分くらいあった気がする。
「なんか色々必要になってくるんじゃないの、機材が。それにやめといた方がいいんじゃないの。黒歴史なりそうだし」
「調べたけど一番手軽なのならウェブカメラがあればいいらしい。俺のPCスペックは結構いい方だから、多分いける」
中田建士、去年の冬に貯金を叩いて自作PCを組んだ男。
「最悪スマホアプリにもそういうのあるから、余裕よ」
ズボンポケットからスマホを取り出して、見せ付けてくる。
「へぇー」
優也は生返事を返した。
「黒歴史には多分なるだろうよ。だけどさ、そういうの気にして行動に移さないっていうのもサ、青春の浪費っていうかサ」
建士はへへ、と笑って人差し指で鼻の下を掻いた。
「今の年齢だから出来ることってあるじゃん? 後悔はいつでも出来るしサ……!」
優也からしてみれば良いこと言ってるようで絶妙に響かない言葉が届けられた。そして非常に臭い、台詞が。意図していてやっているがやはり臭い。
VTuberというものに対してそこまでの情熱も愛情も持っていない人間からすれば、そこで将来の後悔を、枕抱えて「俺は何故あんなことをしたんだ」という煩悶を覚える確定事項を行わなくてもいいだろうに。
――まあそれは俺の価値観だからいいけど。
建士は建士である。そして優也は優也である。
冷たいようだがやりたいのなら勝手にやってればいい。友人とはいえ、そんなもんだ。友人だからこそ、強く止めないということでもあったが。犯罪でもなしに。
「それで? お前がVとやらになるのになんで理性云々が出てくるの?」
「それなんだけどさ。俺一人で動画取ってたり配信してたらさ、絶対ブレーキ分かんなくなると思うのよ」
テンション上がっちゃうと思うし。
中田建士という男を見ていて、なるほどそれはそうかもしれないと優也は友の立場からそれを認めた。お調子者というか、おだてたら木も登りそうなタイプではある。
「だから傍で俺のこと見てて。そしてやりすぎたら止める役やって」
語尾にハートマークが付きそうな、媚びた声を優也の目の前の男子高校生は吐き出した。
「嫌だけど」
「ちょっとは思案して」
即断すると、やはり甘く媚びた低音が返ってくる。
「……嫌だけど」
少しだけ間を置くことによって思案を表現して、同じ言葉を繰り返す。
「とても、勝手にやって欲しいです」
どうぞご随意に。ただし巻き込まないでください。
「ねぇー、稲ちゃーん。アホがなんか馬鹿なこと言い出したー」
仕方ないので優也はまた別の友人を生贄に捧げることにした。
自身の座席より左に二、後ろに三離れた座席の友人、稲ちゃん。優也と同じテニス部の稲ちゃん。どことなく影が薄いことで目立っている稲ちゃん。稲ちゃんこと
「んぁい」
呼ばれた正敏はどうやら寝ていたらしく、びくんと一度身体全体脈打ってからのそりと顔を上げて周囲を見渡した。
手招きする優也を見つけて、生欠伸を噛み殺しながら席を立ち、二人の会話に参加する。
「クソ眠いんだけど」
「昨日何してたん」
「深夜ラジオ聞いてた。あと単純にクソ暑くて寝れてない」
優也の問いに答えてから、正敏は、ふぁ、ともう一度欠伸。
確かにここ数日は熱帯夜もいいところだと優也は頷いて。
「それよりさ、こいつが無駄に行動力発揮して暴走始めそうだから止めるの手伝って」
あるいは代わりに生贄になって。
建士を指差し優也は言う。
「随分物騒すね。なに、なに言い始めてんのお前」
「父さんな、VTuberになって食っていこうと思うんだ」
問う正敏に対して、建士は脱サラをして飲食業を始める父親のような言葉を吐いた。
「だからお前らも手伝って」
「……あー。成る程、了解。暑いからね、仕方ないね」
「熱で頭やられたわけじゃねーんですが?」
そら一人で相手したくないわけだと正敏は己が呼ばれた意味を知る。一人ぶんの夏馬鹿に二人はちょっと相容れなかった。
「好きなことして生きていく」
「そうか、頑張れ。優やんは夏休みなんか予定あんの?」
「いや、部活と予備校くらいであんまないよ。稲ちゃんは?」
「俺は彼女とどっか行くくらいだと思う」
「話逸らさんでもろて。てか稲村ァ! てめえ彼女いるんかァ! なら俺にも付き合えェ! 彼氏だろが俺のォ!」
「初耳ですが?」
優也のことを優やんとあだ名で呼ぶ正敏に彼女はいても彼氏はいなかった。
「なー、いーじゃんそんな頑なならんといて。ええやろ、ちょっとだけやん」
休み時間を跨いで跨いで、昼休みに突入しても未だに建士は優也と正敏にダル絡みをしていた。最早ここに至ってはその絡み方のレパートリーも底を尽き始め、似非関西弁を用いてきていた。
「何時もより随分引っ張るね。……なに、そんな本気なのお前?」
「いや、これで飯食っていくってのは冗談よ? どうせやっても再生数は二桁乗ったら御の字みたいなもんでしょ多分」
それなら単純にVTuberというものへの憧れが勝っているのか、と言ったら必ずしも建士にとってそれが全てではないらしい。
「馬鹿をやりたいんだよね、俺は」
「馬鹿」
「冬入ったらいよいよもって進路本格化じゃん? 第一寒いしテンション上がんないし冬って」
「なら高校生活で一番はしゃげるのが二年の夏までじゃん。なら、あー馬鹿やりてえーって。夏の暑さにかまけて馬鹿やりてぇーって思うわけよ、分かる?」
「それでチョイスがVTuber?」
「そこはそれ、俺の趣味」
馬鹿。
馬鹿という言葉。
それは思春期の男子にとって素晴らしい意味を持つ。
いつだって男の子は馬鹿をやりたいし隙さえあれば馬鹿をやろうとし、テンションにかまけて馬鹿をする。
小学生の時分に階段を何段目から飛び降りれるか競い合い、中学生の頃、修学旅行先で深夜騒ぎまくって教師から大目玉を食らった経験が優也にはあった。
仲間内で集まって馬鹿をやる。
それは時に手痛いしっぺ返しや他人への迷惑を伴っていて、大人になるにつれブレーキが掛かっていくものだ。
だが、隙さえあれば、それが許されるのならば、やりたい。
考えてみれば建士からは「VTuberをやる」としか聞いていない。その内容を深く聞いてみれば、案外面白いことになるのかもしれない。
「……うーん」
「いいだろ? どうせ暇だろ? お前ら」
「……建士、知ってるか? 馬鹿やれる最後の機会が二年の夏って言うけどな、受験へ向けての天王山が二年の夏なんだぜ?」
腕を組んで思案し始める優也を尻目に、正敏が教育者がよく使う言葉を引っ張りだすと、建士がそれを鼻で笑った。
「知らんのか。高校に入った時点からもう受験戦争はスタートしているんだぞ?」
もっともな言葉だった。将来をしっかり見据えている学生はそれを理解してきっちりと勉強しているだろう。
「……お前は一年から戦争に向けての準備してんの?」
正敏が尋ねれば、しかし建士はそっと視線を外した。結局は遊びたいがための口実であった。
「まあ、建士の受験はどうでもいいから」
優也はいっそ清々しいほどに友人の将来を切って捨てる。
「俺が理性になるとか意味分からんところで止まってるから、何するのか詳しく聞かせて」
「本当に意味分からんなそれ」
というかそれさえも初耳なんだが、と正敏が眼を細めた。
「なら夏休み入ってからいっぺん俺の家来い。そこで実際にやってみて、駄目そうだったら止めっから」
「それ俺も?」
「いいけど、よくよく考えたらお前の家知らないんだけど」
「俺もお前の家知らねえよ。後で住所送るからそれ見て来い」
「なあ俺も行くことになってんの? やっぱこれもう巻き込まれてんの?」
一年と数ヶ月の付き合いなのに、建士宅を訪れたことのない優也がこの日初めてその住所を手にした。
「正敏は……どうしよ。当初の予定になかったんだが?」
「ここに来て梯子外されるのもそれはそれで腹立つんだが?」
建士と正敏が喧々諤々言いあっている最中、優也のズボンポケットが振動する。
震源はスマホだ。取り出して確認すると、一件の連絡が入っていた。建士を見る。両手は空手だ。スマホを持っていない。一瞬もう住所を送ってきたのかと勘違いした。
「ちっひー?」
メッセージを送ってきたのは女子テニス部一年の堀千尋からだった。
文面を確認する。そこに書いていたのは前後の文脈のないただ一言。
「怖っ」
それを見て優也は小さく呟いた後、周囲をきょろきょろと見渡した。何処からか千尋が自分たちを見つめているのではないかと錯覚したからだ。
それに気付いた正敏が「どないしたん」と横から優也のスマホを覗き込む。
「ちっひーじゃん。……ナニコレ怖っ。優やん何かやらかした?」
「いや身に覚えないんだけど。ないから怖いんだけど。……やっぱこれあれ? 建士の家に行くことに対しての未来予知とかなの?」
「何の話だよ。……何これ。というか誰? 堀千尋て」
更に建士が優也に送られたメッセージを気にし始め、優也は素直に画面を見せる。
「部活の後輩。女テニの」
「リア充してんねえ」
「そういう関係じゃないから。……にしても本当になんだこれ」
千尋が優也に送ってきたメッセージはただ一言。
――せんぱい、ご愁傷様です。
「マジ怖いんだけど」
優也が震える。
「やっぱこいつの家に行ったらそうなるってこと言ってるんじゃね」
正敏が「こいつ」こと建士を指差す。
「俺の家は地獄か何か?」
建士は建士で自身の家を地獄と称して。
「ああ、でも鬼はいるわ。俺の家。そういう意味では確かに地獄」
「鬼?」
「姉貴」
中田建士。一姫二太郎。
「えっ、姉いるのに姉っぽいVTuber好きなの?」
「姉がいるからなんだよなぁ。二次元に理想の姉を求めてんですわ」
「あぁ……」
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