第4話 ここにフラグを立てよう

「一つ聞いていい?」

 優也は十姉妹ドバトと睨めっこしたまま千尋に問うた。

「VTuberって大体がこんな感じなの?」

 こんな感じとは、どのラインまでを示しているのだろう。

 その質問に千尋は右手人差し指を自身の唇に当てて、数秒考える。

 一度PCモニタに視線を向けて、優也が見ている仮想現実を共にする。

 バーチャルドバトこんなかんじ

「そうですね……私が見た限りでは大体十人中三人くらいがこんな感じ?」

 三割の人間がこんな感じ。

 過半数は下回っているが、それでも三割。

 先ほど見ていたプロ野球の解説者が言っていた。「この世界三割打てたら一流ですよ」と。

 ではこの業界は一体何なのだろう。三割を満たすこの業態は果たして何の一流なのだろう。

 優也は答えのない迷宮の入り口に立った。

 そして優也も千尋も知らざることだったが、流石にこの手の変化球タイプは三割もいない。一夜漬けで調べた情報が偏っていた弊害であった。

「続いてバーチャル」

「一旦ストップ」

 優也は歌手四天王の残り三を発表しようとする千尋を差し止め提案する。ここで止めたら果たして四天王最弱が一体誰なのか、その真相が藪の中に隠れてしまうが、必要な犠牲と判断した。

「ちょっと個人的に調べたいVTuberがいるからそれを検索してもいい? 分からない単語があるならその都度聞くから」

 そうすることとする。

 この業界全体への興味が無いとは言いきれないが、それよりも可及的速やかに調べたいことが優也にはある。

「……調べたい人がいるなら昨日教えてくれても良かったじゃないですか」

「それはごめん。ただ俺にもちょっと躊躇というか踏み込みたくない領域があるというか」

 しかし同時に踏み込まなければいけない領域でもある。

 さながら居合いの勝負に似ている。

 敵の制空権に侵入せねばこちらの刀も当たらない。しかしこちらの刃が届くということは敵の刃も届くということ。殺意という名の不可視の剣が何時自分の首を刎ねるかも分からない。

 ――あれが姉でなければ、勝ち。

 ――あれが姉であったなら、負け。

 勝てば平穏が手に入り、負ければ姉が一切更生しておらず、一つ屋根の下、常時貞操の危機に晒されているという実感が伴う。

 そのVTuberの名前を確か……。

 席を立った千尋と入れ替わり、優也がPCの前に座る。

「流石に起きてるよな」

 同時にポケットからスマホを取り出して、友人の一人、中田建士へ連絡を取る。時刻は午後二時、いくら相手が日頃昼夜逆転生活を謳い、休日は基本爆睡していると語っていても、流石にこの時間帯なら起きているだろうと予測して。

『こないだ見せてもらったVTuberの名前って、雪那で合ってるよな?』

 文面はシンプル。送信ボタンを押して、秒で既読が付き、十秒で返事が返って来た。

『雪那「お姉ちゃん」な』

「……」

 返事をしばし凝視する。

「うわぁ」

 え、普通に気持ち悪い。優也はそう感じた。

 既読が付くまでの早さも気持ち悪いし文面も気持ち悪い。

 なので素直に、奇を衒わず、ありのままの気持ちを素直にしたためることとする。

『キモ』

 二文字。

 極端まで余分を廃した引き算の美学がそこにあった。

『えっ』

『なんでそういうこと言うの』

『ぴえん』

 文末にあの微妙に腹立つ黄色い顔が付随された返事が三等分されて返って来た。

 しかし優也はこれを当然の如く既読スルー。ゼロというインドが生み出した偉大なる数字を文字数に引用することに成功。

 友人をガン無視して確認の取れたVTuberの名前を早速検索し始めた。

 

 ――雪那。

 バーチャル雪女の雪那です。読みは「せつな」。好きなものは弟くん。結婚したい相手も弟くん。一緒のお墓に入りたい人も弟くん。弟くんとの結婚費用、生活費を稼ぐ為に日々勉強中。応援よろしくお願いします。

 現在地「弟くんとの愛の巣」

 43フォロー8305フォロワー。


「……」

 尖っている。

 優也にとってこれ以上ないほど鋭利。

 自己紹介とは漢字で自己消壊とでも書くのかと疑いたくなるほどの鋭さをもって、VTuber雪那のプロフィール欄は優也の水晶体を叩いた。

 雪女だという設定は最早どうでもいいこと。

 もしも万が一、億に一つ、これが真実小笠原樹理あねだとしたら。

 優也は身震いをした。悪寒が走る。多分これは冷房に当たりすぎたせいだと眼を背けて、ひとまず自分自身を落ち着かせる。

「……せんぱい、調べたい人ってこの人なんですか?」

 肩越しにモニターを見つめる千尋が耳元で囁いた。

「……一応、ね」

「……ふーん」

 優也の応答が抑揚のない声で返される。

「……せんぱいって、姉キャラが好きなんですか?」

「いや、別に」

 優也は首を振る。

 姉キャラは好きでもないし嫌いでもない。「キャラ」と付くのだからそれは創作物だとか「姉御肌」だとかそういう性格の話だろう。

 ならば優也にそれに対する好悪はない。

 単純に「姉は好きか」と聞かれたら、「まあ、普通に好き」と返す。

 その言葉に間違いはない。優也にはきちんと家族愛が存在し、姉もその中に含まれる。

 しかし弟を愛する姉と違う点は、姉はどう見ても家族愛ではない愛情でもって接してきており、弟はどう見ても家族愛でしかない愛情で接している点にある。

「ですよね。せんぱい、お姉さんがいるっていってましたもんね」

 千尋が言及するのは現実に姉妹がいるとファンタジーの姉妹キャラに萌えることができないという論。リアルがちらついてどうにも好きになれないという話。

 優也もそれはよく分かる。

「ちっひーって兄弟いたっけ?」

「いませんよ。一人っ子です」

「だったら分かんない感覚だと思うんだけど、こういう話聞いたことない? 姉妹は自分の顔を性別逆にさせたようなもんだからそういう感情を持ちようがないって」

 つまりは、そういうこと。

 優也も樹理も、よく似た顔をしている。違いといえば性差くらいで、鏡合わせの自分に性愛を抱けというのは中々に捻くれた性癖を秘めねばなるまい。

 あるいはよほどきょうだいで顔が違うか。

 それでも肉親をそういう対象として見るのはハードルが高いだろう。

「……」

 だが何故か千尋からの返事がない。

 不思議に思った優也が振り向くと、無言の千尋がスマホ片手に携えたままこちらを見ていた。

「いや、なに?」

「せんぱい、はい、チーズ」

 かしゃり。

 スマホのライトが発光して、カメラのシャッター音が切られた。

「……本当になに? 唐突に」

 千尋は指先でスマホ画面をスライドして、タップして、やがて深く高く驚嘆の声を上げた。

「だとしたら、せんぱいのお姉さんてこんな顔ですか?」

 千尋はスマホを反転させて、画面を優也に見せ付けた。

 そこには樹理……っぽい優也が、正確には優也を性転換させたような女性の画像が映っている。

「あー、うん、こんな感じ。だから姉萌えって感覚はよく分かんないんだよ」

 否定もしないけどね、と言い残して、優也は再びPCモニタに向き合った。

「せんぱい」

「何?」

「せんぱいのお姉さん、どちゃくそに美人ですね」

「ありがと、人から見たらそうらしいね」

「せんぱい、どちゃくそに美人ですね」

「なんで二度? 大事なことだから、って奴?」

「いえ、単純に伝わってなさそうだから二度言いました」

「いや伝わったよ。姉さんにも後輩が、先輩のお姉さん美人だーって言ってたって伝えとく」

 いいえ、せんぱい。伝わってないんです。

 だがこれ以上の踏み込みは危険だと千尋は察知し、話を切り上げた。

 不意打ちで撮った優也の画像と、アプリで性転換させた同じ画像をそっとアルバムに保存しつつ。




「結局、弟くんはそこにあるだけで空気が澄んでいくんですよぉ」

 ――スピリチュアル。

 ――マイナスイオン。

 ――滝。

 ――森。

 ――空気清浄機。

 ――お前ら正気に戻れ。

 ――雪那お姉ちゃんが言うことは全面的に正しい(眼グルグル)。

 ――お薬出しておきますねー。

 ――あァー! 弟くんの音ォー!


 VTuber雪那が弟を語れば、コメント欄がバグに塗れる。

 適当に選んだ雪那の動画アーカイブなのに、それでもやはり繰り出される弟トーク。

 後輩の家で、後輩の部屋で、垂れ流れるは行き過ぎた弟愛がだだ流れる非日常っぽい日常。

「あの、せんぱい」

「どした」

「せんぱいはどうしてこのVTuberが気になるんですか?」

「それは」

「それは?」

「俺の友達が好きみたいで、こないだ勧めてきたから……あー、少しは見ないと可哀想だと思って」

「その友達って私の知ってる人ですか?」

 千尋のシルバーリムがきらりと光った。

 以前として千尋は真顔のまま、せんぱいと共にモニタをじっと眺めている。

「どうだろ。中田建士っていう、こう、筋骨隆々とした野郎なんだけど。そのくせ帰宅部で仲間内では筋肉の無駄遣いとか入手経路不明の筋肉とか言われてる奴」

「ああ、分かりました。せんぱいと一緒にいるところをかなり見る人ですね」

 

「最近はどうにか弟くんの切った爪とか集めたいんですけど皆さんいい方法ありませんかぁ?」

 ――流石の俺もそれは引くわ。

 ――こんなサイコキャラなんかのマンガにいなかった?

 ――単純にゴミ漁ればいいじゃん。

 ――なに? ごめんちょっと耳が遠いのか聞こえなかった。

 ――登録者減ってて草。僕は平気です(鉄の意志)。

 ――俺はお前らが引くライン引かないラインが分からない。空気が澄むはセーフなん?


「ですけどせんぱい」

「なに?」

「……どうして声裏返るんですか」

 優也の声はそれはもうものの見事にひっくり返っていた。

 爪を集めたい宣言に本気でドン引きしていることに対し、隠滅しきれぬ証拠が無形のものとして喉から発せられた。

「……それだけなら普通にせんぱいの家で調べられません? わざわざネカフェとか探さなくても。なんで自分の部屋だと見れないんですか? この人」

 千歳の言葉はPCの中にいるバーチャルを差している。

「家族に見られたくないとかそういう偏見はせんぱい持たないタイプだと思ってるんですけど、違います?」

 せんぱいの友達が好きな文化ですもんね。

 その通りだった。

 優也に友人の趣味を誹る気は一切なかったし、精々が当人同士でのプロレスの範疇で収まる。

 だから別に単なるVTuberを調べている姿を家族に見られるのになんら抵抗はなかった。

 だがこれは別だ。

 この人だけは別だ。

 未だその正体が判明していない、この小笠原樹理あね声で話す存在だけは別枠だ。

 これを自分が見ていると姉に察知されたら。

 日頃押さえ込んでいる欲求をこのような形で発散している事実を、隠していた当人にバレたことを姉が知ったら。

 そこからは再度ダイレクトアタックに戻るのではないか。


 樹理イコール雪那。

 その方程式は完全には成り立っていない。

 だけれど、この時点で回答を提出しても余裕を持って部分点が貰えるような気がしている。

 大いなる危険を孕んだ存在だった。この雪那は。


「……そう言えばせんぱい、もう片方はどうしてます?」

「片方?」

「盗撮盗聴とか言ってたじゃないですか。不穏当に」

「ああ……」

 そちらは優也が一人で調べていて、なんだか途中で無性に怖くなってやめた。

 その理由は語るに及ばず。

「……それにしてもこの雪那って人のブラコンぶり、凄いですね」

「そうだな」

 千尋にしては珍しく話が飛んだなと優也はいぶかしむ。そして同時に、靄の掛かった漠然とした不安がひたりと忍び寄ってきた気がする。

「狂的って言ってもいいかもしれませんね。こんなだと」

「そうだな」

「ひょっとしたら弟くんに盗撮盗聴とか仕掛けててもおかしくないかもしれませんね」

「……いや、流石にそれは良心の呵責ってもんがあるんじゃない?」

 靄が急速に形を持って優也の首根っこを掴んだ。

 優也のワイシャツの中で、滝のような汗が一気にどうと溢れた。

 乾いたはずなのに、じめりとする肌着。

 姉がやばい奴というのは、知られたくない。

 いや、まだこれが姉とは決まっていないけれども! だとしても!

 千尋が優也の肩を乗り越えて、顔をじっと見つめている。

 脳が全力でブレーキを掛けているのか、不思議なことに優也は服の下に精神性の嫌な汗をかいていても、顔や腕には一切その様子が現れていなかった。

 見つめる千尋。

 モニタを見据える優也。

「……なんて」

 すっと千尋の顔が避けていく。

「流石にここまでのブラコンは作りものですよね。現実にいるはずないですよ」

 ファンタジーじゃあるまいし。

「うん、俺もそう思う」

 全くファンタジーじゃあるまいし。

 姉は高校三年間の寮暮らしを経て、大分まともになって帰ってきたのだ。

 それを否定するのは姉の三年間の否定にも繋がる。

 大切な家族なのだから重要なのは信じることだ。

 優也は真理を得て、残り再生時間が少なくなってきたアーカイブ動画を閉じようとマウスを動かした。


「そうですねぇ。この間は本当にびっくりしちゃいました、寿命縮みましたよもぅ」

 ――親フラならぬ弟くんフラ。

 ――あの回結構再生数伸びてて草。

 ――イマジナリーブラザーでなく実在したことが証明された回。

 ――個人情報一切出てないからセフセフ。

 ――弟くん「姉さん晩飯出来たってー」

 ――お姉さん、弟くんの声可愛いかったから僕に下さい。幸せにしますんで。

「……」

 ――オイオイ死んだわアイツ。

 ――ブロック喰らってて草。

 ――そらそうなるでしょうよ。

 ――すまん、やっぱ雪那お姉ちゃん怖えわ。

 ――言えたじゃねえか。


「ちっひー、この弟フラって何?」

「ええとですね、確かこういう生配信で家族の声とか姿とかが入ってくることを意味してるとかのはずです。親が来たら親フラ。この場合弟さんが来たんでしょうね」

「なるほど、それはキツイな色々と」

 

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