第9話 邂逅

 ソウキが辿り着く少し前の事。

 アルーフ達はひとやすみの後に再び動き出していた。岩壁に沿って作られた足場は一晩休むには不向きだ。人工物の中なら身体を休めるのにもう少し良い場所があるのではないかと、遺跡の中をふらふらとさ迷う。


「何をしている」


 心の臓が揺れるような低い声だった。不意に響いた声にアルーフとクロは硬直する。つい先ほどまで人の気配は無かったはずだ。

 振り返る二人の前に立つ壮年の男の威圧感は並々ならない。深く刻まれた眉間の皺。獲物を狙う鷹の目。砂の国らしいゆとりのある衣服の上からでもわかる固い肉。豪奢な布地は着飾るためでなく、剥き身の刃を覆う鞘の役目を果たしているとすら言える。


「何をしている。と、聞いている」


 予想外の邂逅に固まっていたアルーフ達に再び問いが投げかけられた。三度目は無い。本能的に感じ取れる気迫だった。


「寝床を、探そうと思って」


 それとなくクロを後ろにやりながらアルーフは答えた。壮年の男の他に何人か護衛らしき者もいる。狭い足場でのことだ。囲まれる心配は無いが、相手は既に武器を構えていた。

 目の前の男から目を逸らしたその刹那、首元から血が噴き出す。熱くて冷たいその感触にアルーフは全身の毛が逆立った。

 実際には刃は届いていない。男からは大股で五歩以上の距離がある。常識で考えれば反応できる距離だ。だがアルーフは武器に手をかけることもしない。

 腰の剣。極端に長いわけでもないが、こちらが妙な動きを見せれば一瞬で喉元に届くだろう。おそらくは護衛の誰よりも速い。


「どこから入り込んだ。結界で入れぬようになっているはずだが」

「上から落ちてきたんです。亀の魔物に追われて。溺れかけたんですが、結界は書き換えて通り抜けました」

「書き換え……なるほど、魔族か」


 壮年の男の意識はアルーフからクロの方へと向いた。アルーフの外套にしがみついていたクロはその背から顔を少しだけ覗かせるよう、じりじりと後退している。

 男は顎髭を撫でだした。威圧感は若干薄れたが、油断できるほどの隙は無い。


「捕らえよ」


 短い号令。良く訓練された護衛達は一糸乱れぬ動きで一歩前へ出た。三人横並びになれば通路は塞がる。つまり、鷹の目をした男との間に壁が出来たということだ。

 息を詰め、アルーフは欄干を越えて飛んだ。抱えたクロの絶叫は聞こえないふりをして、複雑に折り重なった空中回廊に次々足をかける。

 道が何処に繋がっているのかはこの際どうでもいい。距離を取って身を潜められれば、このだだっ広い空間で捕まることはそうそう無い。──希望的観測に寄ればだが。


「遅いな」


 既に外套は剣で床に縫い止められていた。胡桃色の髪が何束か落ちる。

 見えていたし聞こえてもいたが、男の動きは年を感じさせないものだった。手加減される程度には力量差がある。

 背中から肩口を踏みつけられ、身動きも取れない中でアルーフの背に冷や汗が伝う。

 男から殺気は感じられないが、殺気を出さずとも結果は出せる手合いの者だろう。職人街の素人とは違う。


「だが私に向かって来ないだけの判断力はあるか。中々見所はあるな」

「見所に免じて逃がしてくれたりしませんかね」

「私もそこまで甘くはない。……しかし、ふむ」


 外套から剣先が引き抜かれた。下にはクロもいたはずだが、血は一筋もついていない。男は腕の動きだけでアルーフ達に立つよう促した。


「先ほど結界を書き換えたと言っていたな。それは結界以外の式術にも使えるものか」

「……簡単なものだけですよ」

「では取引だ。この場での命は見逃してやろう。その代わり、ある魔動機械を動かしてもらいたい」

「まてアルーフ、こやつ──ひっ!」


 アルーフの外套下から顔を覗かせたクロが口を挟むも、鋭い視線に射貫かれ固まる。剣先を突きつけられているような緊張感が走った。

 取引と言っているが、実質命令だった。低く落ち着いた物言いだが、アルーフ達に選択肢が無いことを知っている。


「……わかりました。見てみないことには何とも言えませんが」

「その時はその時だ。よろしく頼んだぞ」


 男は口の端を片方だけ上げる独特の笑みを浮かべ、友好的に手を差し出した。男の底知れ無さに耳を伏せつつ、アルーフはその手を握り返す。

 律儀にもクロとも握手を交わす間に護衛の者達も追いついたようで、騒がしい足音がすぐ側までやって来ていた。


「領主様! ご無事でいらっしゃいますか!」

「大事ない。丁度良い運動になったところだ」

「領主……」

「じゃから待てと言うたのに!」


 袖を引っ張りクロが跳ねる。想像していた姿とは違う領主の風貌にアルーフは目を瞬かせた。

──なるほど。これに策も無く突っ込んで行くというのは無謀にも程がある。素人が百人でかかったところで死体の数が増えるだけだ。

 本物の領主に遭ったと、場違いにもおのぼりさんのように浮き足立ったアルーフも即座に現実に引き戻される。手に縄がかかった。


「なぜ俺だけ」

「用があるのは魔族の娘だけだ。この場で処断しても良いが、それで言うことを聞かなくなっても困るのでな」

「大人しくしていれば命までは取らん」


 勘違いに舌を打ちたいところだが、言われてみればクロは魔族なのだ。領主たちからしてみれば、魔素を直接操れるのなら誰でも良いし、それができると一目で判断できる見た目をしているのはクロの方だった。

 約束を反故にしたことにはならないだろう。と、アルーフは縄を引かれるままに歩きながらクロに目配せをした。だが、クロは肩を縮こまらせて忙しなく視線を泳がせている。


「クロ?」


 目すら合わない挙動不審っぷりに一抹の不安を覚えたアルーフは声をかけたが遅かった。既に領主と護衛の足は止まっている。目的の場所だ。

 眼前に大きくそびえるのは上から見えていた塑像だった。開いた花の上に蕾が乗っている奇妙な意匠をしている。曲線を描くそれは機械というよりも、魔道具とか依代といった、もっと曖昧なものの印象を抱かせる。空の青を映した水を固めたような不思議な素材で形作られたそれは祭壇に飾られるだけで役目を果たしているように二人の目には見えた。


「鉄の国から買ったという魔動機械がこれですか?」

「流石に噂にはなっているか。……遙か昔に帝国から鹵獲された、豊穣をもたらす魔動機械だ。鉄の国や影の国で稼働しているところは目にしたが、我が国ではどうにも動かん」


 一歩前に出た領主はただですら深い眉間の皺を更に深くした。


「魔鉱石は十分に与えているにも関わらず、商人どもは燃料が足りぬと何年も言い訳をするが、どうだ。魔族の目から見て」

「我からしたら、綺麗な飾りじゃなとしか言えぬが……」

「それは術が壊れているということか。触れて確認しても良い。許可する」

「えー……うー……」


 とぼとぼと魔動機械の下に歩いて行ったクロは涼やかな表面に手を滑らせる。何度も様々な部位をやたらめったら触るが、特に変化は無い。口元を引きつらせてアルーフの方を窺うクロ。額には遠目でもわかるほど冷や汗が流れている。


「クロ、まず表面に魔素流さないと」

「ま、魔素な! うむ、基本中の基本故に忘れておったわ。……して、どのようにするんじゃったかな~」

「どう……どうって、こう、シュッて感じで……」

「おい! 妙な動きをするな!」


 クロに説明をしようとアルーフが腕を上げた途端に護衛が綱を強く引く。もたもたとしている二人に胡乱げな目線が寄越された。


「できぬのか」

「ああ~、普段は我が僕に任せているからの~。ちょっとど忘れをじゃな……」


 指を組みながら苦しい言い訳をするクロを前にため息の重奏が漏れた。護衛の一人が頭を掻き、重く口を開く。


「領主様、やはり諦めましょう。どれだけ魔素を流してもウンともスンとも言いませんし、運良く拾った魔族はその……なんと言いますか、ちんちくりんですし……」

「ちんちくりんとは何じゃ無礼者!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

没ルート①_ 死にたがり魔王は覚悟を決めない 雪原いさご @yukihara135

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ