第8話 炉心

「ひぎゃあっ! 勘弁し……へぶっ!」


 情けない悲鳴と顔を殴りつける鈍い音が響く。何度も、何度も。無数の配管の上には鼻血と共に何かの液体が飛び散っている。地に伏しているのは、ほんの一瞬前まで強者の振る舞いをしていた骨男だった。


「ねえ、ちょっとやりすぎじゃない?」

「だってこいつ中々吐かねえし、それに……」


 ソウキは痩身の男に跨がって胸ぐらを掴んだまま、首を回した。顔を向けた先には小太りの男が床の上ですっかり伸びている。

 舐めた態度でスイコに挑んだのが運の尽きだった。スイコと切り結ぶ間もなく剣の柄が顎に入り、そのまま白目を剥いている。引っ叩こうが何しようが起きない小太りの男に代わって、まだ意識のある痩身の男から情報を得るほか無い。

 ばつの悪さにスイコは頬を掻いた。痩身の男に簡単な治癒促進をかけ、一歩下がる。


「悪かったわ。続けて」

「え……ぼぎゃあっ!」

「あんた、吐くならさっさと吐いた方が楽になるぜ。いくらボコボコになってもスイコが治してくれるからな」

「わ、わかった! 喋る、喋るから止めてくれえ!」


 裏返った声で嘆願する男の眼前で拳が止まった。ゴミでも放るように手を離したソウキに安堵できたのは一瞬の事。瞬きの間に骨男は簀巻きになっていた。意識を取り戻した小太りの男も抜かりなく縛られ、ハムの一丁あがりである。

 糸巻きのハムと骨は二人仲良く球体の前に並べられた。ソウキはすぐ前に鉄パイプを持って行儀悪く座り込む。


「で、お前らここで何してたんだ? この人達に何をした」

「仕方なかったんだ! 領主に脅されて仕方なく魔力炉を動かすしか!」

「人を燃料にしてるって噂のあれか」

「はっ、素人め! これはそのような矮小なものではな──へぶっ!」


 言い訳がましく縋る小太りの男とは対照的に、急に再び偉そうな態度を取り始めた骨の頭に一撃が飛ぶ。つまらなそうに半眼になったソウキは顎をしゃくって続きを促した。


「未完成なのだ、この魔力炉は。彼方かなたとの接続に成功すれば、失われた力を無限に生み出せる理想の装置となる」


 骨の男はその身にそぐわない熱量で語り出した。帝国の圧倒的な力の源でもあるその特殊な魔素があれば、帝国から昔鹵獲された謎の魔動機械も稼働させることができると。

 黒い靄は集められた人々の成れの果てだった。彼方と此方を繋げる為に使われ、変容した命の残骸。稀に適正の高い者は理性を残すことがあったが、人の形を留めるに至る者はまだいなかった。


丸耳ブレウェでは彼方まで届かぬが、大耳マグナウリス尖耳ウォードならば可能だというところまでわかったのだ。複数の魔力炉で結果は出ている! このまま実験を続ければいずれ──」

「もういい。この人達を元に戻す方法は?」

「そんなものあるわけないだろう。炭は生木には戻らん」


 骨の男は鼻で嗤った。領主に脅されていようが脅されていなかろうが、そもそも命を手に入りにくい試料程度にしか考えていない。大耳であろうが丸耳であろうが等しく。ある意味では平等主義者とすら言える清々しさだ。

 ソウキは表情も変えずに鉄パイプを大きく振り上げた。


「待って」


 手首を掴んだのはスイコだった。何故止めるのかとソウキは睨み付けたが、それに怯むような彼女ではない。


「まだ領主が買った魔動機械は見つかってない。それに、こいつらは領主と一緒にみんなの前に突き出されるべきだわ」

「だとさ。命拾いしたな……もちろん、その魔動機械の所まで案内するんならって話だが」


 ***


 岩壁に開けられた薄暗く狭い穴は堅牢な石造りの通路に続いていた。古い遺跡か何かを再利用したものだ。後から取り付けられた照明に照らされた壁には、坑道には不要なはずの細かな装飾が施されている。水場が近いのか、欠けた石の隙間には苔も確認できる。

 両腕ごとぐるぐる巻きにされている骨とハムには、それぞれ犬の散歩のように縄が繋がれていた。手綱を持つソウキの顔は相変わらず険しい。楽しい道行きというわけもなく、足音だけが通路内に反響する。

 スイコには閉じ込められていた子供達の救出を任せざるを得なかった。という男の言葉も引っかかっていた。

 だが足音は三人だけのものではない。一人ではうっかり取り逃がす可能性もあるからと言って、意思疎通を図れなくもないたち何人かも着いて来ていた。

 薄暗い中では黒い身体は空間に紛れる。翡翠色に光るまんまるい目が宙に浮いてまばたきをするのは、星のようでもあるが、不気味でもあった。


「オ、オオ……」

「なんだ?」


 行く手が異様に暗い。通路の両端に下げられている照明の明かりが切り取ったように途絶えていた。

 ソウキは二人にくくりつけている紐をに預け、鉄パイプを構える。剣と同じように使えるよう、切断の式術で強化済みだ。

 警戒しながらじりじりと前に進むソウキの目の前、いくつもの眼球が突如として現れた。明かりが途切れていたのではない。影は全てそいつの身体だった。


「閧峨□縲る溘≧窶ヲ鬟溘o縺帙m!」

「でかっ!?」


 不明瞭な言葉を発して影が飛び掛かる。八本に増えた腕が通路の上下左右を這う。魔力炉の所の個体と比べて随分と大きい黒靄の塊が通路を塞ぐ。ソウキに逃げ場は無い。逃げ場は無いが、的も大きい。

 中央に向かって一閃。真っ赤な眼球が裂けた。


「ギャアアアアア!」


 向かって左。ちょうど人一人分の部位が崩れ落ちる。大きい個体というわけではなく、黒靄が寄り集まって一つの塊を形成しているようだった。

 だが鎧大百足と比べれば手に負えない大きさでもない。眼球と同じように赤く脈打つ中心部もろとも切り刻めば、呆気なく霧散していった。


「もしかして、おとうさん達も合体して強くなれたりとかすんの?」

「縺ゅl縺ッ縲∫炊諤ァ繧貞、ア縺」縺ヲ縺、k縺九i縺薙◎縺ァ縺阪k謇讌ュ縺、繧阪≧」

「……って、何言ってるかわかんないんだったな」

「險隱槭′驕輔≧縺ィ縺≧險ウ縺ァ縺ッ縺ェ縺h縺□縺」


 敵はあの一体とも限らない。再び歩みを進めるも、二人の手綱はに任せたまま、ソウキは武器を構えて警戒を続ける。


 どれほど歩いたか。地上では日も沈んだ頃だろう。繰り返し遭遇する黒靄を斬り伏せてソウキがあくびを一つすると、少しずつ前方が明るくなってきた。出口だ。歩調は変えないままであるが、気持ちは上向く。

 暗く狭苦しい通路など、長時間いて気分が良いものではない。前方はいつ現れるかわからない化け物を警戒し、後方はいつ暴れだすかわからない化け物を警戒するという状況にソウキは神経をすり減らしていた。


「ん? 人……?」


 狭い通路を抜けた先には巨大な空間が広がっていた。通路と同じ素材で作られた空中回廊は複雑に入り組み、天井では水がゆらゆらと漂っている。

 十分過ぎるほどに興味を引く光景であったが、それ以上に目を引くものがある。ソウキの視線は中央にそびえる塑像に注がれていた。だが注目しているのは塑像そのものではない。

 ソウキが目を凝らした先には複数の人影があった。

 見覚えがある顔と見覚えのない顔。見覚えのある顔はクロとアルーフ。そして領主の三人だ。


「あいつ……!」


 武器を構えたまま、ソウキは一直線に駆け出した。

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