第7話 影の誘い
荒野に反射する陽は真っ白な光から黄みがかった色に変化していた。傾いた陽光が魔物の体表に反射して煌めく。生き物らしからぬ金属質の体は節目で繋がっており、硬質な体表に反して滑らかに動いてみせた。
「ソウキ後ろ!」
「っぶね!」
魔物の頭と対峙していたはずのソウキの背後に尾が迫る。直前に発されたスイコの声に反応してすんでの所で打ち払えば、金属同士のぶつかる甲高い硬質な音が響いた。無理に体重を乗せ替えた軸足と背中の筋が軋む。それだけ魔物の膂力は大きかった。
一つの節は大人一人分の長さ。それが二十程連なり、その頭には馬の胴を一撃で二分するほどの強靱な顎が、そして逆端の尾には良く研がれた槍のような二本の肢が備えられている。
剣による攻撃を通すには節の繋ぎ目を狙う必要があるが、首尾良く切断したところで今度はその切り離された方も動き始める。
「くっそ! だるま落としかよ!」
文句を言いながらソウキは黒色の両手剣を継ぎ目に振り下ろし、切り離された塊を蹴り飛ばした。
作戦は単純だ。ソウキが鎧大百足本体に対峙し、これを切り崩す。切り離された残骸共をスイコが着実に殲滅する。それの繰り返しだった。
しかしソウキの体力も無限ではない。動き続けて何刻になるか。本来ならば訓練された衛士が五十人がかりで対応するような大きな個体だ。さすがのソウキも息が上がっていた。スイコの反応も徐々に鈍っていき、ひらめく外套に切れ目が入り始めている。
クロの助けが無いのも大きい。魔族特有の魔術。本質は精霊術と変わりないそれは、体質によって使える属性は限られているものの、決まった型を持つ式術では代用できない効果を持つものが多かった。
クロが扱うのは、本来自分にしか使えないはずの身体強化の術を他者に使うマステロル族固有の魔術。集団でこそ真価を発揮するその魔術は、人の敵が魔族であった頃には恐れられ、帝国と軍勢で対抗していた頃には重宝されたという。
ガキリと刃が鈍く音を立てる。時間をかけすぎた。ソウキは眉根に皺を寄せて舌打ちをする。
節の繋ぎ目を狙われていると気付いた鎧大百足が対抗策を編みだしていたのだ。肉に突き立てた剣はいくら引き抜こうと力を込めても動かない。硬質の体表で万力のごとく挟み込まれていた。狙い澄ましたように飛んでくる尾の槍。
「このっ!」
スイコの放った投げナイフが尾に当たると同時に暴風が発生する。ナイフに仕込まれていた式術の効果だ。軌道の逸れた槍はソウキの足元すれすれの所に突き刺さった。だが驚いた大百足が身を捩ったことで、嫌な音を立てていた剣がとうとう根元から折れる。
「くそっ、スイコ! 時間稼ぎ頼んだ!」
「いいけど……まさか、あの技使うつもり!?」
「剣が折れちゃ、それしかないだろ!」
ソウキは折れた剣を天高く掲げた。ソウキを中心として空気の密度が上がる。足元の土は圧によってひび割れ、砕けた小石は重力に逆らって宙を漂い、■■■によって形作られていく巨大な幻想の剣の周りに留まった。
召喚者が
紛い物である魔素では届かない域を軽々と飛び越すそれを式術だと彼は教え込まれていたが、此方に残る現象の中に当てはめるのならば、それは魔術に分類されるものだった。
術の完成を見極めたスイコがソウキの目の前から飛び退いた。
大百足の頭上に巨大な剣が振り下ろされる。己の装甲に自信があるのか、はたまた逃げるという知恵が働かなかったのか、百足は剣に向かって閉じた顎を突き出した。体の最も固い部分だ。
だが相対するのは切断そのもの。熱したナイフをバターに差し入れるように鎧大百足の体は縦に二分割される。その剣の前では純粋な硬度が如何ほどであろうが関係ない。つまり、足元を支える地面も関係ない。
慣性のままに振り下ろされた特大の剣は直下の大地までも切り裂いた。
「やっぱりこうなるじゃないのよ~!」
「でも他にやりようがなかっただろー!」
鳴り響く轟音の中、盛大に落下しながら二人は叫ぶ。足元に開いた大穴は鎧大百足諸共二人の身体を呑み込んでしまった。崖下まで落下する程度の事は想定していたが、それ以上に落ちていく時間が長いことに二人は気付き始めていた。
「ちょっお!? どこまで落ちんだこれ!?」
「待って、なにか音が──きゃあっ!」
不意に落下が止まった。ぐんにゃりとした緩衝材が二人の身を包む。思わぬ幸運に息をついたソウキは足元を確かめる。薄明かりの中で目を凝らすと、先ほど縦に割られた百足の肉が目に入った。
「うげ……」
「助かったけど……素直には喜べないわね……」
ねとつく緩衝材──もとい鎧大百足の上から慎重に降りて周囲を見渡す。スイコは
「すぐ近くに魔物はいないみたいだけど……」
「なんだここ。採掘場?」
「廃坑にしては随分綺麗な形してるわね」
すり鉢状に何層にも削り取られた大穴は遙か深くまで続いていた。鉱石採掘のために掘られたわりには、横穴も運搬用の通路もほとんど見当たらない。人が捨てた住処にしても不気味な静けさが辺りを包んでいた。ただ一人で薄暗い墓場に立っているような怖気がして、ソウキは振り払うように首を振る。
「登んのも大変そうだし、試しに下の方見てみねえ? なんか面白いもんでもあるかもしれないしさ」
「遊びに来てるんじゃないわよ、もう……」
スイコの返事を待たずにソウキは下り坂を進み始めていた。腰に両手を当てていたスイコは諦めたようにため息をつく。
幸い、縦穴は真っ暗ではない。魔鉱石の残滓のお陰か、剥き出しの岩肌は所々青白く発光し、二人の行く路を照らしている。
壁に沿って螺旋を描く道は平らに均されていた。障害もなく順調に下っていく。魔物も賊もおらず、岩の壁には二人の硬い足音が響くのみ。途中から魔鉱石の光が無くなるも、代わりに純度の高い魔鉱石が金属籠に入れられた照明が等間隔に設置されていた。やはり自然に出来たものではなく人工物のようだ。
「なんでこんな所にでかい穴掘ったんだろうな」
「さあ……これだけ大規模な工事ができるってことは──っ」
「どうした?」
突如としてスイコが立ち止まり、麦穂色の耳を傾ける。唇に人差し指を立ててソウキに合図を送る。何かの音をスイコの耳は捉えていた。人の声のようなそれに集中すると、次第に声の輪郭が明瞭になってくる。
『おとうさん! おとうさん……!』
微かに響くのはすすり泣くような子供の声だった。
「この下、誰かいるわ。急いだ方がいいかもしれない」
「ちょっ……スイコ!?」
長い髪の残り香だけ残してスイコが下に向かって駆け出した。耳の良くないソウキはまだ何の音も拾っていなかったが、スイコの後を駆ける。こういう時は大抵、助けを求める声を拾ったときだと学習済みだった。
螺旋の輪が少しずつ狭まっていく。駆ける速度と相まって目が回り始めた頃、設置された灯りとは別の光がすり鉢の中央に見えてきた。強くなったり弱くなったりと脈打つ光。青から緑、黄とオーロラのように輝いている。
それだけならば見惚れることもできただろうが、その光の周辺には、ソウキにとって既視感のある、人の形をした黒い
「なあスイコ、これ……って、いねえし」
光の正体は巨大な機械だった。全体の姿は蛸に似る。いびきのような音を立てる中央の球体は水晶と金属で組み上がり、複雑な光を内部から放っていた。球体の根元に繋がるようにして無数の配線が空間一杯に敷き詰められ、あるものは檻の内部へ、あるものは上層へ、またあるものは通路の奥へと伸びる。
檻の他にも、岩壁には人が通れるほどの穴がいくつも開けられていた。
「おとうさん……!」
「辟。莠九°?溽李縺上↑縺°?」
震えながら声を上げる幼子の目の前には、上から見えていた黒い靄。ソウキが気付くよりも早くスイコは反応していた。格子越しに伸ばされる黒い腕は幼子に届く前に、地に落ちた。
「逞帙>!∽ス輔′襍キ縺阪!!」
「このっ!」
斬りつけられた靄は腕から黒い霧を噴き出させる。藻掻く片腕が振り下ろされるも、スイコはそれを蹴り飛ばした。いやに軽い感触。スイコよりも遙かに大きい見た目に反して、黒い靄は大きく吹き飛んだ。ソウキの足元まで転がった黒い靄はうずくまって不明瞭な言葉を発するだけだった。反撃に出るような動きは無い。
「きみ、大丈──」
「お、おとうさん……」
幼い男の子は落ちた腕に縋り付いて震えていた。最悪の想像にスイコの呼吸が止まる。
「その腕くれ! 駄目そうならそっち行くから!」
言うが早いかソウキは黒い靄を背負った。
勢いで言ったはいいものの、錯乱状態の子供から腕を取り上げるのは至難の業だろう。スイコも想定外の事態に血の気が引いている。
それに図体は大きいが、黒い靄はクロと同じくらいの重量しかない。運ぶのはそう手間ではなかった。
岩の檻のすぐ側まで寄り、黒い靄の肩口を鉄格子の隙間に押し付ける。
「腕、それくっつくから、こっちくれない?」
「やだ……いや……」
眼球ごと流れ出しそうなほどに泣きじゃくる子供は腕から手を離そうとはしなかった。
「オレらが信じられないんなら、その腕ここにくっつけるだけでいいから。な?」
檻の中に入り込んだ腕。黒い霧が立ち上る断面に切れ端が押し付けられた。
子供の両手でしっかりと握られているうちに指先らしき箇所がピクリと動く。確かめるように黒い靄は二、三度掌に当たる部分を握ると、何事も無かったかのように起き上がった。
「驟キ縺%縺ィ繧偵&繧後」
「おとうさん……良かった……!」
幼子の目からは再び涙が落ちる。慰めるようにその頭の上には黒い腕が添えられていた。くっつき方が悪かったのか、手首の向きは若干ねじれてはいるが。
「ご、ごめんなさい……わたし……」
スイコはただですら白い顔を更に白くさせていた。胸の前で握り込むようにしている両手も震えている。これがただの人であれば元には戻らなかっただろう。あるいは失血死していたか。その予測がスイコの動揺を加速させていた。
「谿コ縺呎ョコ縺呎ョコ縺呎ョコ縺呻シ!!」
「まあ、こういう奴が大半だし仕方ないだろ」
ソウキが後ろ手に構えた剣には、おとうさんと呼ばれていた個体とは別の黒い靄が突き刺さっていた。背中を見せた二人に飛びかかってきたその個体は獣のような構えのまま刻まれ、形を持たない黒に霧散する。
それを皮切りに、茫洋と徘徊していた靄のうちの何体かが甲高い獣の雄叫びを上げる。目らしき器官は血のように赤く、二人を捉えた。同時にスイコの手元へ投げられる細身の剣。
「それ、借りてたわ」
「やだっ、いつの間に!?」
「オレ武器探さないとだから、しばらく粘ってくれ」
「えっ、えっ? 嘘でしょ!?」
厠に行ってくるとでも言うような軽さで片手を上げたソウキは、目の前の黒靄を蹴り飛ばして機械の方へ走る。動揺している暇も無く襲いかかる黒靄。身体に染みついた動きでスイコが切り払えば、苦悶の絶叫が岩壁に反響した。
よくわからない配線がひしめく空間では式術も派手な剣技も使えない。ひたすら地道に襲いかかる黒靄を斬り、突き、払う。おとうさんとは違って腕が千切れようが足が千切れようがお構いなしに突っ込んでくる群れに押され、スイコは少しずつ後退していく。
とん。と、背中が鉄格子に触れた。
群れを突っ切るしかない。と、スイコが大きく息を吸い込んだ瞬間、群れが横から解けた。おとうさんの拳だ。
「繧繧顔エ謇九〒縺ッ蜴ウ縺励>縺ァ縺吶↑」
「あ、ありがとう……」
喜びも束の間。その一撃でおとうさんの拳は指先から瓦解してしまっていた。再生しようと拳周辺を霧が漂っているが、戦いを継続することは難しい。だが、その一瞬の隙で十分だった。
滑るように身をかわし、群れの背後に躍り出る。頭を潰せば動かなくなることは何度か切り結ぶ中で証明されていた。がら空きの背後。まとめて首を狙うのは容易かった。刃の一閃とともに黒い霧が辺りに満ちる。
「縺′縺弱c縺後$縺弱e縺ゅ!!」
運悪く残った一体が叫んだが、爪はスイコに届かなかった。ソウキの一撃が頭を粉砕したからだ。
「悪い! 手間取った!」
ソウキの手に握られていたのは歪な鉄パイプだった。どこかの破棄されたパーツなのか、表面には錆が浮き始めている。リーチはあるが武器として上物とはいえない。
「ねえ、こいつらなんなの? わたし一人だけでも大丈夫だって判断したってことは、これが何なのか知ってるんじゃない?」
「おっ、さすがスイコ。よくわかったな」
「こんだけ一緒にいれば、さすがもなにも無いわよ……」
呆れと疲労から肺の空気を絞り出しながらスイコは身を屈めた。最初の怯えも震えも既にどこかへ消え去ってしまったようだ。血のついていない刃を血振りして収め、何体か残ったゆらゆらしているだけの黒靄に目をやる。
「詳しい正体はオレも知らないけど、影の国で最初にこいつら相手に訓練させられたんだよ。そこの、おとうさん……? みたいに大人しい個体は初めて見たけどな」
「繧ォ繝ュ縺ィ縺≧蜷阪′縺ゅk縺ョ縺縺」
「ちなみに何喋ってるかは全然わからん」
ソウキの言葉におとうさんはわかりやすく肩を落とした。低レベルな意思の疎通、あるいは一方的伝えるだけなら可能なようだ。
「謝って済むことではないかもしれないけれど、さっきはごめんなさい。……よければ、その……ここが何なのか教えてほしいのだけれど」
「豌励↓縺帙★縺ィ繧り憶縺。 縺昴l縺ェ繧峨諱ッ蟄舌↓閨槭¥縺ョ縺梧掠縺□繧阪≧」
何か言葉を発したおとうさんはゆらゆらと手を動かしながら鉄格子の方へ二人を誘導した。先ほどの子供の真ん前だ。揺らめく光の中で大きな耳が動いた。おとうさんの子だけでなく、檻の中に閉じ込められているのは皆、大耳だった。
「繝。繝シ繝ゥ縲√%縺ョ莠コ驕斐↓遘√↓襍キ縺阪◆縺薙→繧定ェャ譏弱@縺ヲ縺ッ縺上l縺セ縺°」
「……? おとうさん、どうしたの?」
「縺オ繧縲√d縺ッ繧企壹§縺ャ縺」
「『わしの代わりに説明を頼む』とかじゃねえかな?」
ソウキの言葉を肯定するようにおとうさんは頭上で大きく円を描いた。その二人の様子を見ていた幼子は赤くなった目元を拭って格子に張り付く。まだ四、五歳の幼子──メーラはまとまりなく喋り出した。
「あのっ、ぼくたち、鉄の国と砂の国の間で暮らしてて……それで、みんないっぱいこんな所に連れて来られて、おとうさんが、真っ黒お化けにされちゃって、それで……」
「人狩りか何かに集落ごと襲われたってことかしら。わたしたちの所と一緒ね」
「真っ黒お化けにされたってのはどういうことだ? どんなことされてたかわかるか?」
「そこ、後ろの──」
メーラは後ろを指さして固まった。異変を察知したソウキとスイコがすぐさま後ろを振り返れば影が二つ。球体の光が逆光になっていて顔はわからない。
「おや、私の工房にネズミが二匹。これは一体全体どういうことでしょうかねえ」
骸骨に皮を被せたような痩身の男と、小太りの男が並び立っていた。
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