第3話 別れ

 俺は彼女との関係を持つようになってから、他の女性とは会わないようにしていた。

 理由として、表向きでは女遊びに飽きてきたと、自分の中で完結させていた。しかし実のところ、彼女に誠実さをアピールしていたのだろう。俺には君しかいない。君だけを愛している、と。そんなもの、届こうと届くまいと結果は変わらないというのに。


 こうして日々を積み重ねていくことで、わかったことがある。俺はやっぱり、彼女のことが好きだ。中学を卒業してからも満たされなかったのは、この想いが片隅に残っていたからだ。

 もう、誤魔化しようもない。俺の気持ちはずっと、彼女に奪われっぱなしだった───。


 彼女と関係を持ってから、ちょうど一年の月日が経ったころ。

 いつものように彼女は帰り支度をしていた。


「あれから、一年か」


「……早いもんだね」


「色々、あったな」


「そうだね」


 彼女は小さく首肯する。


「私さ、時々思うんだ」


「ん?」


「あんたとの繋がりが、中学で切れてなかったらって」


「え……?」


 指先が痺れ、思考が鈍る。


「あんたといると楽だし、安心するし、気も合うし。オマケに体の相性もいいしさ。もしかしたら、あんたと結ばれた未来があったかもしれないって、たまに思うんだよね」


 彼女は悪戯っぽく笑いながら、冗談交じりにそう告げる。

 彼女は本当に冗談のつもりで、軽い気持ちでそう言っているに過ぎないのだろう。


 けど、それはいつも俺が考えていたイフだ。もし、中学の時に思いを告げていたら。進路が違っても連絡を取り続けていれば。何かが変わったかもしれない。

 クリスマスの時に見せたあの笑顔を、俺に向けてくれたんじゃないかって。


 そんなもの、意味の無いイフだ。考えたところで、それはただの妄想で、幻想で、空想に過ぎない。───そう思っていたのに。

 彼女も同じ思考にたどり着いていたということがひどく悲しく、同時に嬉しかった。

 その時、何かが決壊する音がした。


 俺は気づけば、彼女を後ろから抱きしめていた。


「え、ちょっと───」


「今からじゃ、遅いか?」


 心の中で、必死に押しとどめていた。死ぬ思いで堰き止めていた思いが、溢れ出してしまう。


「俺はずっと、お前のことが好きだった」


「…………」


「中学の頃からずっとだ。高校、大学で色んな女子と付き合ったりしたけど、満たされなかった。お前じゃなきゃダメだって、気づいたんだ」


 彼女からの言葉はない。しかし、俺の思いは止まらない。


「お前が俺をそういう目で見てないのはわかってる。でも俺、頑張るから。お前の理想の男になる。お前を幸せにしてみせる。だから、俺を選んでくれないか……?」


 言ってしまった。全てを。こんなちょっとしたきっかけで告げることになるなんて、思いもしなかった。

 けれど、どうあれ近いうちにはこうなっていたのだろう。自分の気持ちを殺しながら彼女と過ごすことは、幸福で、苦痛だったから。


「……そっか。やっぱり、そうだったんだね」


 彼女は体を震わしながら、消え入りそうな声で言葉を紡いだ。


「ごめんね。薄々、気づいてたんだ。あんた、凄い熱っぽい視線を向けてくるから、もしかしたらって」


「…………」


「気づいた上で、取り繕ってた。この関係を壊したくなかったから。あんたが、あたしの一つの拠り所だったから」


「じゃあ──!」


「でもッ!」


 彼女は声を荒げた。聞いたことの無い、悲鳴のような声。


「私が愛してるのは、あの人なの。今までも、これからも。だから、あんたとは、一緒になれない」


 視界が歪む。呼吸を忘れる。心臓が不規則に脈を打つ。全身から熱が失われていく。


 彼女を抱きしめる腕は、力無く落ちていった。


 彼女はこちらに振り返る。瞳に熱涙を浮かべながら。


「もう、会えないね」


 彼女の表情は、悲哀に満ちていた。


「今まで、ごめんね。あんたを利用して」


 彼女は頬を涙に濡らしながら、俺に背を向ける。そして、玄関に向かい、ドアを開けた。


 待て。待って、くれ。


「───さようなら」


 ガチャリとドアが閉じた瞬間、彼女の姿が消えた。

 静寂と孤独だけが、部屋にみちる。


「あ、あ……」


 俺は追いかけることが出来なかった。その場に膝から崩れ落ち、床に手を着く。


「ああ、あああああ……!!!」


 言葉にもならない呻きが、喉の奥から漏れ出ていく。

 終わった。彼女との全てが、終わったのだ。


 俺が、余計なことを言わなければ良かったのだろうか。

 そうすれば、ダラダラと彼女との関係を続けられていたのか。繋がっていられたのか。


 ───けど、そんな日々に価値なんてない。本物は手に入らない。


 胸が張り裂けそうだ。頭がかち割れそうだ。


 気づけば瞳に涙の膜が張り、床に拳を叩きつけていた。


「クソ………クソ、が………」

 俺と彼女の物語は、ここで終焉だ。これ以上、続くはずもない。セフレに本気になった時点でダメだったのだ。


 俺は一生、彼女のことを忘れられないだろう。思い出として、過去として。そして、傷として。


 俺の初恋はここに破れた。そして、学んだことがある。


 現実の恋愛なんて、所詮こんなものなのだ。ロマンチックな結末など迎えられるはずもない。夢物語に縋れば縋るほど、現実との差異に押しつぶされる。

 しかし、その恋愛に絶望するも希望を見出すも、己次第。


 きっと、生涯自分を苛むのは失恋という結果では無い。

 何もしなかったという、後悔だけだ───。




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セフレに恋をしてはならない @root0

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