幸福のカタチ

エース

第1話

「ねぇ、幸福ってどんな色をしてると思う?」








私、立花あさひは今年から大学3年生となった。

生い立ちは平凡で、顔も平凡そのものでどこでも居る女子大生の1人。

どこにでもあるような私立大学で、またどこにでもあるような学部でまたまたどこにでもあるような学科。

何人いるか数えるのは少し面倒だなと思うぐらいの名前の羅列の中に、ちょこんと私の名前がある。

今は実家を出ていて、大学の近くの安アパートで暢気に過ごしている。

1人で。いや、1人で暮らし始めたのだが今は2人。

いつの間にか私の家には同居人が増えていた。

彼女の名前はミーちゃん。年齢は私と同じだけど本当のところは怪しい。

私が年齢を教えたら「じゃあわたしもそれで!」と言ったのだから。

まあ、ミーちゃんの年齢はそこまで大事ではないからあまり気にしない。

今も我が物顔のように、一つしかないベッドに大の字に寝ているミーちゃん。

猫みたいな名前の彼女は、それこそ猫のように我が家に紛れてきたのだった。


「ねぇねぇ、おねーさん。私を拾ってくれない。今ならお買い得ですよー」


去年の6月、梅雨が明けて夏が始まろうとする時期だったことを覚えている。

出会った時のミーちゃんの第一声は怪しいの一言に尽きるものだった。

大学の帰り道に買い物袋を提げ、駅前をぶらついていた私に声を掛けてきた。

テレビや雑誌から抜け出してきたような整った顔が通行人の視線を引いていた。

その時の記憶のミーちゃんは生地の薄いシャツに丈の短いハーフパンツ。

日焼けが心配になるような恰好だった。

お世辞にもあまり身なりのいい格好ではなく、怪しげな言葉で問いかける女性。

警戒するなと言うほうが難しいと思うくらいだったが、嫌な感じはなかった。


「お買い得って、具体的にどんな風になんですかー?」

「うーん、食後には肩たたき券がつきます。私、お父さんによく褒められたから上手いんですよ。あとは気が向くときには耳かき券もサービスです。すごいですよね!?」

「えー?それってすごいのかな?でも肩たたき券ってたしかにどこにも売ってないからすごいのか…」

「でしょ!ほらほら、すごいんだから!」


お互いに立ち止まることはなく言葉を交わしあう。

相手の言葉の一つ一つが、自分の感性のツボのようなものを押すみたいで妙に歯切れがいい。

そう思えたのは私だけだったかはわからないけど、いつの間にか私達は洒落た喫茶店に入っていた。

どちらかが言い出したわけではないが、少し腰を据えて話したくなったのだろう。

気づけば二人してコーヒー1杯で数時間は粘っていた。

喫茶店を出たところでお腹の音が2人して鳴り、自然な流れで私の家でご飯でも食べようという話になった。

ご飯を食べたら眠たくなるのが人間の習性だと私は思う。

だから私とミーちゃんが眠くなったのも自然な話というわけで。

家に居るならベッドもある。

ベッドがあるなら、当然眠る準備も出来ているわけで。

私とミーちゃんがいつの間にか眠りに沈んだのも、そう不思議な話じゃなかった。

それから朝におはよう、こんにちはのお昼で夜はおやすみなさいの日々が巡り巡って、現在に至るわけだった。


「あー…よく寝ました。あさひちゃん、おはよう~」

「もうこんにちはだよ、みーちゃん。お寝坊さんだなぁ」

「へへぇー。寝る子は育つってバイトの店長が言ってたからね」

「うわぁ、こういう時に使う言葉なのかなぁ」


びくっと体が動いたかと思うとミーちゃんがもぞもぞと起きだしてくる。

ミーちゃんは私の家に住み着いているが、食費ぐらいのお金はちゃんと払ってくれている。

バイトからお金を得ているらしいが、私はミーちゃんのバイトをよく知らない。

知りたいと思わないと言えば嘘になるが、なんとなく触れてはいけない話題だと感じていた。

たとえばたった今まで自分にじゃれていた野良猫が、どこか面白くないところを触ったら一目散に逃げていくような予感がした。

だから私はミーちゃんのバイトについては聞かないことにしていた。

だって、私にとってミーちゃんが何をしていようが大きな問題ではないのだから。


「あーでもやっぱりまだ眠いなぁ……あさひちゃんのベッドってなんでこんなに気持ちいいんだろうね。なんだろ、この匂い…」

「えぇー変な匂いでもするのかなぁ」


くんくんとタオルケットの匂いを嗅ぐミーちゃんはそれこそ猫のようでかわいい。

1つしかないベッドだから春用のタオルケットも当然一つだ。

以前はすっぽり体を覆ってくれたタオルケットも、横たわる体が2つになれば心もとない。

私には感じられないがミーちゃんが感じる匂いはきっと以前のそれと違うのだろう。

あの日、駅前で会った時からみーちゃんと2人で眠るようになったのだから。

洗濯をしても落ちず、微かにそこにいる。私の匂いにミーちゃんの匂いが重なり、混じりあった匂い。

そんな匂いなら私も是非感じ取ってみたいな。



「これは幸福の匂いってやつだね」



ニヤっと笑うミーちゃんは卑怯だ。





8月の下旬、大学の夏休みも中盤を過ぎた頃。

日曜日の昼下がりに私はミーちゃんとベッドの中でお互いの身体を寄せ合っていた。

パジャマも着ずに、2人とも裸のまんまだ。

今日は2人とも朝からバイトやサークルもなく、一日中フリーな日だった。

そして天気はあいにくの雨模様。外出するのが億劫であれば家の中で過ごす流れになる。

年頃の女性の2人がせまいアパートの中にでもいれば、まあ自然とやることはやる。

ミーちゃんの素肌は少し冷たくて心地よく、彼女の綺麗な薄茶がかかった瞳はとても綺麗だ。

何故だかミーちゃんの瞳ならずっと見ていられると気づいたのは、二人の暮らしが始まって割と初めの方からだった。


「そういえばあさひちゃん、そろそろ今年は就活ってやつだっけ?」


身体をぐるっとこちら側に転がし、ミーちゃんが私に聞いてくる。

ミーちゃんの瞳との距離が近づき私は少しドキッとした。

こんな風に何気ないことで私をドキドキさせてくるミーちゃんは本当に卑怯だと思う。


「うん。来年は4年生だからね。ゼミの方もちょっと忙しくなってきたし、頑張らないと」

「おーおー、学生さんは大変だねぇ」


私も今年で21歳になる。

一年前に成人式に出かけた際にはあまり気にならなかったが、世間では立派な大人なのだ。

親からの仕送りも20歳になったら唐突に打ち切られたし、将来のことも考えないといけない。

1人で生きるためのお金を稼ぐには何かしらの仕事に就かないといけない。

だけど、今の私には将来の仕事に対する明確なビジョンはあまりなかった。


「あさひちゃんは何の仕事するの?キャリアウーマンってやつ?」

「キャリアウーマンって職種じゃないよ」

「そうなの?あはは、お仕事の話ってむずかしいね!」


今の大学に入ったのもしっかりとした理由もなく、入れそうな大学だったぐらいだ。

所属しているゼミも同じサークルの友達が居て、担当教授が単位をくれやすいと評判があったからだ。

勉強は昔からそれなりには出来たから卒業はきっと問題ないだろう。

だけどその先は違う。

ただ勉強が出来て、テストの点数が取れてそれなりのレポートが出せるだけでは難しい。

生きていくために自分でお金を稼いでいかなければならない。

そのために自分が何をしたいのか今の自分にはよくわからないのが正直なところだった。


「じゃあさ。あさひちゃんはしたいことってあるの?なりたいことでもいーよ」


ミーちゃんは相変わらず謎の多い女の子だが、妙に勘が鋭い時があった。

自分よりも年下なのか年上なのかわからない。

日によって年下のような振る舞いをするし、また違う日には年上のような素振りをする。

今日は間違いなく年上のミーちゃんがそこに居た。


「わたしのしたいこと…」


ミーちゃんは勘づいているのだろうか。

質問はすぐに応えられるようなものじゃない。

大学の就職サポート課で模擬面接をやってみた時と同じような緊張感が奔る。

あなたの自己アピール、御社でやりたいことなどなど。

聞くほうがそれとなく聞ける質問は、今の私をいとも簡単に沈黙させられる。

ミーちゃんはそこまで勘づき、あえてそういう質問をしているのだろうか。


「私はねぇー。あるんですなーこれが」


ミーちゃんはかまわずに言葉を続けた。

私が答えに詰まったのを察してか察していないかのはわからない。


「ミーちゃんの、したいことって…?」


ミーちゃんには悪いが彼女の口からそんな言葉が出てくるとは意外だった。

自由気ままに振る舞い、なんだかんだ1年以上は私の家に居座っている。

将来とか計画とかのワードがミーちゃんには酷く似つかわしくないと思っていた。

あの日、駅前で立っていて、出会ったばかりの私の家に転がり込んできたのもそうだ。

ミーちゃんはきっと、複雑なことを考えるのは避け、楽しいことに漬かっていたかったから。

私は一方的にミーちゃんのことをそういう風に考えていた。

いや、きっと私はそうであって欲しいと思っていたのだろう。

だから、ミーちゃんの答えを聞くのが、少し怖い。

今までミーちゃんの事情を聞かずに、2人で過ごす時間を優先した私には。

ずっと二人で過ごす時間だけが過ぎていければ、現実や将来のことから目を背けられるから。

私の密かな願いを知ってか知らずか、ミーちゃんの小さな口がゆっくりと動く。

心の中の私は、自然と耳を塞いでいたに違いない。



「私はねぇー。幸福ってやつが欲しいな。幸福が一番ってみんな言うしね」



だけど、ミーちゃんの言葉は私の予想とは大きく違ったものだった。

私には幸福という言葉はあまりにもふわふわとしすぎている。

大学生になるまで、両親と暮らしていた私は何不自由ない生活を過ごしていた。

温かい食事に温かい家、沢山とは言わずとも仲の良い友人にも囲まれる生活。

人にとって十分に幸福の範疇に入るかもしれないが、私には自信を以って幸福と言うことは出来ない。

だって、あの時の自分はそれなりには満たされていたが、今の方が満たされている。

ミーちゃんとの1年とほんのちょっとの生活の方が、私にとって幸福に相応しい。


だけど、ミーちゃんは幸福が欲しいと言った。

だったら、ミーちゃんにとって私との時間は未だ幸福には成り得ないのか。

私はミーちゃんに家だって、お風呂だって、電気だって分け与えている。

ミーちゃんを支える一部に間違いなくなっているはずなのに。

いつかは私を置いて、彼女の幸福を見つけるためにも、ミーちゃんは出て行ってしまうのだろうか。

そうなれば、私にはもう何も残っていない。

何も残っていない人生なんて苦しいだけのものでしかない。


ミーちゃんの言葉の意味を知りたい。

だけど言葉は一向に出ない。

あなたはどこから来て、あなたはどこに向かうの。

あなたの言う幸福には、私が存在する場所はあるの。

どうしようもなく知りたいのに、同時に聞いてしまえば終わってしまう予感もする。

私の言葉が、ミーちゃんの旅立ちを速める要因になってしまうんじゃないか。


気づけば両肩が震えていた。

相変わらず、私の言葉は顔を見せない。

主人が臆病なら、その主人の言葉も臆病なんだ。

だけど相変わらずなのは私だけじゃなかった。

私の動揺と葛藤を知ってか知らずか、ミーちゃんは私の両肩を掴み、少し強引に押し倒す。

彼女の小さく、整った顔が私の顔に近づく。



「ねぇ、幸福ってどんな色をしてると思う?」



いつも私がやっていたように、ミーちゃんが私の瞳を覗いている。

吸い込まれそうな感覚を覚えつつも、いつものドキドキはなかった。

ミーちゃんの瞳の中の自分は、今にも泣きそうな顔をしていた。

そんな自分をミーちゃんの瞳の中で見るのは少し可笑しくどこか嬉しくもあった。



「わかんない。よく、わかんないけど…」



ミーちゃんの質問のことだけじゃない。

ミーちゃんのことだって、何にもわかっていない。

幸福の色だなんて、幸福がはっきりとわからないからわかりっこない。

幸福どころか自分のことだってわからないのだから。

何もわからない。私の中でわからないことが散らばっている。


だけど、今までとは少し違う気がした。

今まではわからないままだったけど、わかってみたいと思った。

ミーちゃんの瞳の中に映る自分が私は好きなんだとも自覚した。

ミーちゃんの言う幸福の中に、今の私が存在する一つの場所のように思えた。

この場所は大事な場所なのだから。私の幸福ともいえるような場所なのだから。

大事なものは守らないといけない。

だからこそ、私は今までの私とは変われる気がした。



「きっと、綺麗な色をしているんだと思うよ」



あれだけ顔を見せなかった言葉が、すっと顔を見せる。

それはミーちゃんに言った言葉なのかはわからない。

ミーちゃんの中の私に向けた言葉かもしれない。

またわからないことばかりだけど、今からの私は知りたいと思えるのだから。

私は、ミーちゃんと2人でいろいろなことを知っていきたい。



「えへへ、やっぱりあさひちゃんは私と気が合うね」



屈託なく笑う、ミーちゃんと幸福の色を2人で知りたい。

ミーちゃんの少し冷たい体を感じながら、ゆっくりと両目を細める。

先ずはベッドをもう1つ買わないとなぁ。

私はそんなことを思いながら、今日も身体を委ねていった。



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