第10話 佐伯と平

 佐伯と平という二人の立場は、客観的に見れば大学におけるカースト制の、頂上とそのカーストに位置付けられないランク外の関係であり、まともに話をすることすらおこがましいものだった。しかし、佐伯は、周りの人間が下している評価を鵜呑みにせず、自分の考えや判断を重要視する人間であり、例え評判の悪いひねくれものであったとしても、悪い人間じゃないと彼女自身が判断すれば、全くの対等に接することのできる人格者だった。つまり、佐伯には、平のようなひねくれ者を、友人として受け入れるほどの器の大きい人間だったのだ。

「それが、分からないんだ。ふとした拍子に記憶が抜け落ちてさ。トイレに行くまでは覚えてたはずなんだけど、なんか鮫島先生余計な話が多くてさ、話が横道にそれてばっかりよ。あの人も話し相手が欲しいんだろうね。ありゃ多分家庭は相当冷え切ってるんじゃないかな。春画にばっかり現を抜かすからあんなことになるんだと僕は思うね。」

「どうだろうね。この前奥さんと手をつないで買い物してるとこ見たけど。平の中ではああいうのを冷え切ってるって表現するの?だとしたら君は一人で熱々ってことになるわね。」

 理知的で機転の利いた佐伯の返事に、平は厄介だと思った。平の極論や屁理屈に佐伯は正論で向かってくる。小手先の技術には多少なりとも自信があったが、彼女の持つ確かな知識によって構成された論理によって、煮え湯を飲まされた経験は一度や二度ではなかった。両者とも、例の鮫島のゼミ生だったのだ。

「そんなジョークを言われても、僕は日本人だ。処理できない。」

「何か覚えてることないの?別に断片的でも構わないんだけど。」

「たしか、神話だなんだって言ってたような気がするな。なんか変な名前だったな。あんまりいい名前じゃなかった。」

「それたぶん古事記よ。古典で且つ神話なんて、それくらいしか普通は思い浮かばないけど。他に何かあったかな。」

「うわっ、それだ。なんかそんなこと言ってたし。うわー、もっとヒントとか出させてくれよ。面白くない。一枚もカード出せないまま、都落ちした大富豪の気分だわ。」

平は内心ほっとしていたが、敢えて残念そうな顔をした。彼は「ありがとう。」と素直に言えない男なのだ。

「いや、知らんわ。そもそも、そんな推理ゲームに参加したつもりないし。」

「早すぎるよ。シャーロックホームズかよ。いや、シャーロックホームズでも、もっとヒントほしがるところだよ。全く。まあ、一応助かったよ。礼をいうよ。ワトソン君。」

「いや、助手じゃない。」

つっこんだ口調は強かったが、佐伯の目は笑っていた。

「そりゃあ、持ち上げたら降ろさないと。腕がもたない。」

「そういえば、この前イギリスの「Sherlock」っていうドラマ見たんだけど、それがすっごい面白いのよ。はまっちゃってブルーレイまで買っちゃった。今度貸すわ。」

佐伯が楽しそうに話すのを、いかにも興味がないという表情で平は見ていた。

「まあ借りること自体は構わないけど、そんなものを見る装置はないから、家にいるゴールデンレトリバーのフリスビーとして使わせてもらうよ。安心してくれ。終わったらちゃんと返すから。」

「ちょっと。なんか無理にアメリカっぽいジョークを言おうとしてない?さっきのこと根に持ってるの?そもそも君の家の犬って柴犬って言ってたじゃない。」

「日本人がアメリカ人ぶって、ジョークを言おうとすると、こんなことになるのか。だめだな。やはり日本人らしく真面目にいこう。」

そういうと平は少し目を細めた。それが彼にとっての真面目な表情だった。

「それで、古事記をどうやって研究するつもり?」

「それが問題なんだ。なんか適当に面白い卒論書いてこいって言われたんだけど、そもそもの知識がないからね。全く見当がつかなくてね。ぜひ、君の意見が聞きたいな。シャーロック。」

「それでおだててるつもり?そんなの自分で考えなさいよ。卒論を人に手伝わせようなんて、甘すぎよ。」

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