第7話 研究室を後にする
「まあ、そう思うのは、君の勝手だが。」
そう言って、鮫島は一呼吸おいた。
「でも、私は時々思うんだよ。これまでに埋もれてしまったものの中に、何か本質的なものがあって、誰もその大切さや価値に気づかないまま、捨て置いてしまっているんじゃないかと。僕は、その埋もれてしまった価値を取り戻すために、今こうして生きているんじゃないかとね。それが、私が古文を研究している理由なんだ。こんなこと君に言っても仕方のないことかもしれないが。」
鮫島は真面目なトーンで、話したつもりだったが、対照的に平の表情はにこやかだった。
「先生は、僕が思っているよりもロマンチストだったんですね。でも大丈夫です。今のまま古文を研究してても、多分そんな大切なことにはたどり着きませんよ。だって先生たちの、文学研究というやつは、科学の真似事ばっかりして、表面的なことにしか踏み込まないじゃないですか。言葉は、そのままでは単なる記号の羅列です。古文も例外ではありません。その記号を起点として、書き手の思想や世界観だったり、人生観だったり、その人そのものに対する理解があって初めて、言葉を言葉として捉えうるわけですよ。つまり、文学という枠を超えて哲学やら心理学に踏み込まずして、さも単体で独立した一つの科学のような面しているじゃないですか。そういう本質的なところに踏み込まないでいて、本質に触れたいなんて、虫が良すぎますよ。」
「文学研究を批判するのは、君の範疇じゃない。君は私たちの苦労など何も知らないじゃないか。とにかく君は面白い卒論を書いてきてくれればいい。もうそろそろ、この部屋から出て行ってくれないか?私はもう疲れてしまった。」
平は、鮫島の疲労感と嫌悪感を声色から察した。
「先生、最後にお願いがあるのですが、僕はこれから卒論に専念したいため、先生のゼミを欠席したいのですが、大丈夫でしょうか?」
「勝手にしてくれ。私だって君と同じで、無駄な時間を過ごしたいと思っているわけではないからね。」
平はその言葉を聞いて、安心したような顔をして、入口のドアに手をかけた。
「失礼しました。では、先生は研究を続けてください。」
そう言いながら、平は笑いかけた。
「面白い論文を期待しているよ。君たちの学費を食いつぶしながら、待っている。」
そう言って、鮫島もクックッと笑った。しかし、それは口元だけの笑いで、表情筋は強張っていた。平はその表情を見て、鮫島の感情があと少しで爆発することを察した。
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