第5話 笑える卒論

 「コジキ?コジキって一体?」

さも意味ありげに言われたものの、平は、何を言ってるんだか、そして何でそんなに意味ありげな顔ができるのかさっぱり分からなかった。

「君は、本当に古典に興味がないんだな。古事記を知らない国語専攻なんて、聞いたことないよ。どうしてそんな基本的なことも知らずに、君が大学に入ることができたのか、不思議でしょうがない。」

そう言って、鮫島は首を傾げた。

 「先生、基本的なことというのは大学の入試には出ないものなんですよ。問題になりそうな水準の所だけを、徹底的に、集中的に、そして短期的に叩き込み、そこで培った無駄な知識を受験が終わった瞬間、全て受験会場に置いてくる。それが僕の大学受験です。」

「君の言葉を聞いて、私は今の受験制度の闇を垣間見たよ。」

「悔しかったら、もう少しましな試験を考えてください。そんな試験ばっかりしてるから、くだらない知識の収集するのが得意なだけの人間が、高い地位を占有するんですよ。」

「皮肉はきいてるが、しかし、まあ彼らが僕らよりも高い点数を出せるという、厳然たる事実もまたあるわけだ。誰かが決めたルールではあるが、しかし、それを誰かが変えない限り、それはルールであり続けるのだよ。誰かがその原理自体に傷をつけなくてはならないわけだ。」

そこまで聞いて、平は、鮫島の話を遮った。

「僕から仕掛けておいて申し訳ないのですが、本題に戻りませんか?」

「まあ、話は最後まで聞きなさい。原理に傷をつけるというのが、まさに君に卒論でやってもらいたいことなんだ。」

そこまで言うと、デスクに置いていたコーヒーを一口だけすすった。

「何も知らない君の為に教えてやるが、古事記というのは端的に言うと日本の神話だ。」

「ほう。僕は神話を研究するんですか?」

「まあ、概して言えばそうなるのだが、実際には君にそんな大それたことを期待しているわけではない。古事記の内容をすべて取り扱っていたら、きりがないからな。どこか一箇所でもいい。何かしらの内容をつまんで、考察を加えてみるというのはどうだろう。それでも正直、君の手に負えるものだとは思ってないが、私は君に学術的な論文を書くことなど一切期待していない。でも、君のその想像力というか、妄想力というか、そういう力について、私は面白がることができる自信がある。どうせ、君の論文なんて、まともに読む羽目になるのは、私位のものだから。とにかく私が面白いと思うものを書いてきてくれ。それを二万字くらいでまとめてきてくれれば、君の卒業は保証しようじゃないか。言い換えれば、神話という日本人の精神的な原理に、小さなかすり傷でもつけてみろ。そうすれば、君の鬱屈としてため込み続けている不満を少しは晴らせるんじゃないのか。」

鮫島の言葉は淡々としていたが、えも言われぬ迫力があった。

「先生、僕の目にくるいはなかった。必ず期限内に先生を面白がらせる、いや抱腹絶倒させる卒論を先生の机上にたたきつけてやりますよ。」

「いや、たたきつけないで普通に提出してくれ。」

平はただただまっすぐな目をしていた。

「ちなみに僕はそんな不満を持っているわけではないですよ。何のストレスもない人生を送っています。」

「他人が見れば明らかなことも、自分ではなかなか気づかないものだ。」

そう言って鮫島は、すっかり冷え切っているコーヒーをまた一口すすった。

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