第3話 本を読まない男の読書論
鮫島は、今度はしばらく考え込んで、それから「ああそうか。」と納得したような顔をした。
「つまり、君はテーマの相談をしに来たわけだ。あまりにも、何の脈絡なく丸投げされたもんだから、本当に分からなかった。すまない。」
流れで鮫島はつい謝ってしまった。
「分かってもらえたようで、安心しました。」
平は、少しも表情を変えず、まっすぐな眼差しを鮫島に向けていた。無論そんな真剣な表情をすること。そして、その表情を変えないこともまた、平の鮫島に対する冗談の一環だった。
「それで、君はどんなことをテーマにしたいんだ?」
鮫島は、平の表情の不自然さを無視して、話を先に進めることを選んだ。
「そんなの見当もつかないですよ。僕がいかに古文を含め国語とその教育に興味がないのか、先生なら分かるはずです。」
平は、少し強い口調で恥ずかしげもなく言ってのけた。
「まあ、その点は重々承知しているよ。ゼミの後輩は、君が古文に何の興味もないくせに、私のゼミにいることを不思議がってるよ。そして、君の古文の知見の浅さと、ゼミでの態度の大きさの反比例具合にもな。君が読んでもいない古典を屁理屈で蔑む様は、後輩たちにとって良い意味で反面教師になってる。」
「正直に言えば、消去法です。他の先生たちがあまりに偉そうなので。僕たちの学費と国民の税金を浪費しているというのに。先生方の態度は浪費具合と比例するんですね。先生の慎ましい態度と研究費に僕は惹かれたのです。後輩には「僕のようにはなるな。古典を愛せ。」とでも伝えておいてください。」
平は、まるで後輩を心から心配する優しい先輩かのように目を細め、柔和な表情を見せた。
「話を戻そう。やはり研究するというからには、君の好きなものをとっかかりにする方がいい。そうでなければ、研究しても面白くないからな。何かあるか。古文に限らず、君自身の趣向というかなんというか。」
「そうですね。」
平は、腕を組み右上に顔を向けて考え込んだ。
「抽象的なものでも構いませんか。」
「構わん。」
鮫島は間を置かず答えた。彼は早く平とのやり取りを終えたかったのだ。
「変化でしょうか。」
平は上に向けていた顔を、鮫島に向けながら言った。
「それは、変わったものが好きってことか。」
「いえ、変わったものではなく、移り変わっていくものです。先が分からないものって言ったほうが適当かも知れません。要するに、僕は一寸先は闇であるということに魅力を感じるんです。例えば、人の一生というものが一冊の本だったとして、それがたいてい八十ページの短編小説だったとしてですね。一ページから五ページまでは、ぼんやりと断片的な出来事が書かれていて、六ページから二十二ページ目まで学校で勉強した話で、それから六十ページ目まで一つの仕事をした話で、残りの二十ページは、だらだらとした日常が書かれている。先生はそんな本に魅力を感じますか?」
「それは本の話なのか。それとも人生についての話なのか。」
鮫島は苦笑しながら聞いた。
「どちらともです。」
平は答えた。
鮫島は先ほど平がやっていたように腕を組み、目線を上にそらした。
「人生なのだとしたら、それはある意味幸せの部類に入ると思う。しかし、もしそれが本だとするなら、読むのは構わないが、少し気怠くなるかもしれないな。少なくとも二度と読むことはないだろう。」
「そうですよね。次のページ、あるいは次の行に何が書かれているのか分からないから、あえて読み飛ばさず、ページをめくって、文字の羅列を目で追いかけようと思うわけじゃないですか。それと、ただ展開が読めないというだけでは、単にイライラするだけですから、面白さがなくてはなりません。面白そうで先が読めないもの、そういうものに僕は惹かれるのです。」
平はつい本音を語ってしまった。先ほどのような不自然な表情をする余裕は無かった。
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