第2話 准教授鮫島

 「お邪魔します。」

平はそう言いながら、中からの返事を待たずにドアを開けた。

「だからドア開ける前にノックしろって常々言ってるよな。」

部屋の中の目つきの悪い初老の男が呆れたような口調で言った。

「そんな思春期の男子みたいなこと言わないでくださいよ、五十にもなって。僕は先生の母親じゃないですよ、まったく。春画でも見てたんですか。」

平もまた、相手の口調をまねて呆れたような言い方をした。

「私はまだ四十一だ。」

「繰り上げました。」

「せめて四捨五入してくれ。」

テンポよく会話が続く。

 この初老の男は、この部屋の主であり、平が所属するゼミの教授である。正確には准教授である。名前は鮫島と言い、趣味は春画集めである。平は鮫島の専門をよく知らなかったが、春画を集めている位なのだから、恐らく近世の文学を研究しているのだろうという見当は付けていた。

 鮫島は古文の授業を担当していたが、無論、平は古文などに興味はなかった。鮫島には、やたら綺麗な奥さんがいて、自慢したいのか頻繁にゼミの飲み会に連れてきた。平は、ゼミはよく欠席したが、飲み会には欠かさず出席した。なぜなら鮫島には酒を飲むと財布のひもが緩くなる癖があり、それを利用してただ酒を飲むことを平は何よりも楽しみにしていたからだ。

 平はアルバイトをしなかった。自分の時間を一時間千円にも満たない金額で買いたたかれることに納得しなかった。よって万年金欠であった。

 鮫島は、基本的には穏やかな性格をしていたが、時折よく分からないところで怒り出すことがあった。平も入学当初はその憂き目に何度もあった。しかし、その過程で彼は鮫島の導火線がぎりぎりになったところで逃げだすことができるようになった。たまの癇癪を除けば、国語専攻の教員の中では圧倒的に冗談が通じる相手であり、それが平が彼のゼミに入る決め手となった。

 「先生、単刀直入に聞きます。僕の卒業論文のテーマは何でしょうか?」

鮫島は、戸惑いの表情を見せ、少し考えた後に質問を質問で返した。

「君、それは質問なのか、それともクイズなのか。いや、もしクイズだというなら、ヒントをくれないか?そのクイズには、答えに幅がありすぎる。」

平は少し眉間にしわを寄せた。

「先生、僕はここに遊びにわけじゃないんですよ。クイズなわけがないでしょ。僕は真剣な話をしているんです。茶化さないで下さい。もう一度だけ言いますよ。次は無いですからね。僕は何をテーマにして卒論を書けばいいのでしょうか。」

彼は真剣な表情で同じ質問を、語気を強めて繰り返した。

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