1-5
目を覚ましたのはいつものベッドの上。見慣れた天井。いつもよりも深くかぶっていたらしい掛け布団が体を起こすと同時にずり落ちていく。窓にかけた黒の遮光カーテンの隙間から陽の光が漏れ入ってくる。
また、昼に起きてしまったらしい。ずいぶん陽が強い。
自分の右目になんとなく違和感を感じ、片手で触れた。そこにあるのは皮膚でも生暖かな体液でも眼球でもない。皮膚よりも少し固い。皮膚にこびりつく固形物。
それは俺の瞼を縦に走っているらしく右目が開かない。
なんとなくだが、昨夜の事を思い出した。らしくないことをしたものだ。
右目に力を入れないよう気をつけながら上半身を起こすと同時に部屋の扉が向こう側から開かれる。自動人形はこの部屋にやってこない。それに、命令もしていない今人形たちは動けないはずだ。
「あ、おはよ、ヤハク」
さも当たり前のように挨拶をしてくる金の彼女はとても上機嫌だった。
「……俺をここまで運んだのか」
「うん、重かったんだから感謝してね」
「治療道具の場所など教えていない。どうやって」
あのままにしてあったならば決してあの傷はこの程度で済まない。
彼女は笑みを浮かべたままこちらへと近寄り、おもむろに片手で俺の顔を掴む。いや、頬に手を添えられているといった方が正しいか。
なんのつもりだ、と聞く前に彼女の顔が間近にあって言葉を失った。反射的に目を閉じた。開かない右目に暖かいモノが触れる。
触れられている場所から暖かな何かが流れ込んで右目全体を包み込む。暖かさが消え、目を開けると満足そうに微笑む彼女が目の前にいた。
「ここまでは治せるけど、アタシの力じゃ見えるようにはできないみたい。ごめんね」
片手をやれば右目を覆っていたはずの血液の塊は消え、代わりに少しだけ膨らんだ自分の皮膚に触れた。
魔術。人を癒し、救う。呪いとは対極にある術。
「人を憎んでると聞いたが」
人を嫌う彼女が人に使うとは考えたこともなかった。紫の瞳を細め、彼女は笑みを深くする。
「ヤハクは特別だよ、助けてくれたし。これも、ああなるってわかっててくれたんでしょ?」
彼女が持っていたのは昨日投げつけた木片。
身代わり人形のようなものだ。内部に俺の一部を染みこませてある。持ち主が過度な傷を受けた際にその一部、または全てを俺の一部、俺との繋がりを使って俺の傷とする。どうやら本当に正しい動きをしてくれたらしい。本に書いてあることを真似て作っただけだが、動いて良かった。
……良かった?何が?
寝ぼけているのか。頭の中の整理が追いついていないのか。
視線を上げた。彼女の体に傷は見えない。
「傷は、無いか……?」
その傷の一部だけを請け負ってしまったならば、彼女もまた向けられた刃を少なからず受けていることになる。目に見えた傷は無いが、外側が傷ついていないだけという可能性もある。
彼女は首を傾げ、横に振った。傷なんてないよ。
良かった。思わずそう返してから視線をそらした。だから何が良かったんだ。
「ヤハク」
名を呼ばれ意識を戻すと彼女は変わらず笑っていた。
「アタシね、知ってるよ。呪術で名前がおっきな意味を持つこと。だからさ、ヤハク。アタシの名前呼んで」
思わずまた目をそらした。
そう。呪術において相手を示す名を知っているのは大きな武器だ。名前と相手の一部があるだけで、特定の人間に呪いをかけることだって出来る。だからこそ人の名前は知りたくない、もう二度と。
彼女の名も同じだった。けれど。
「ヤハク、ねえ、ずるいよ。アタシだけ――」
「カノン」
彼女を見ないようにしながら言うとそれまで絶えず話していた声が途切れる。恐る恐る、視線だけを彼女へ向けて後悔した。
彼女は至極嬉しそうに笑っていた。心なしか、目が潤んでいるようにすらみえる。何故泣く。どこに泣く要素があったんだ。
本当は傷があったのかと思い、慌てて大丈夫かと聞くと大丈夫、と笑って目元を拭った。
「そろそろ帰るね、傷も大分良くなったみたいだし」
背を向ける彼女が逃げるように見えて、思わずその片手を掴んで止めてしまった。
だから、何故。何故俺がこんなことをしているのかはわからない。自分で自分の行動がわからない。ただなんとなく、そう、無意識に手を伸ばしてしまった。
「どこに帰るんだ?」
思わず口を突いて出たのはハッタリにも近い根拠のない言葉。けれど彼女の足を止めるには十分な力を持っていた。
歩き出さない事を確認してから手を放してやると彼女は困ったように笑う。なんでバレるんだろ。家がないのか。口には出さず、ただ納得した。
「今まで、どこで寝泊りしていたんだ」
「……ここの屋根、とか、庭の木下とか」
呆れた。
ため息をつくと不満そうな表情をされるが、呆れても仕方ないだろう。人を憎んでいるが魔術師なのだから住居くらい用意されているものかと思っていた。少なくとも俺の知る他の魔術師たちは立派な住居に住んでいた。
「これからは屋根と中庭も見回りさせよう」
自動人形たちに頼むから。
ここに来て彼女は初めて困ったように眉を寄せた。文句を無視して立ち上がると軽い目眩がする。疲労に寝不足に失血。慣れない視界も目眩を助長してくれている。
慌てる彼女を片手で制して、ちゃんと立つ。
「困るはないだろ、ここには寝る場所ならいくらでもある」
ただでさえ場所を持て余して自動人形を動かしているんだ。
「この部屋以外なら好きな部屋を選べば良い。服は過去に住んでいた人たちのものがある。他に不満が無ければ」
「良いの? ヤハクはアタシのこと、嫌いじゃないの?」
「うるさいのは気に障るが、街に居る人間よりは嫌いじゃない。いつまでかは分からないが、よろしくな。……カノン」
差し出した手を彼女は無視する。そうして彼女は両手を大きく広げて飛んで俺の首にその手を回した。勢いに負け、倒れた俺の後頭部が壁にぶつかった。
酷くなる目眩に、やっぱりカノンは苦労しか生まないと実感した。
これからの苦労と徒労を考え、意味も分からず俺は笑った。
Magic&Curse(仮) つきしろ @ryuharu0303
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