Chapter 2『桃、生まれてはじめて釜ヶ崎を訪れる』2-3
『ホルモン』と書かれた立ち呑み屋で真っ昼間からヨレヨレの寝巻き(パジャマなんて横文字は似合わない)姿のまま酒を飲んでいるオッサンが、何が可笑しいのか大笑いしている。それも一人や二人ではない。この街の日常の風景なんだろうけど、わたしにはけっこう衝撃だった。
リアル以上にリアル。テレビでちょこっと観るのとはわけが違う。
斜前にある酒の自販機の前では作業着姿のオッサン、いやジイサンが酔いつぶれていた。土嚢よろしく微動だにしない。
(ひょっとしたら死んでるのかも!)
救急車を呼んだ方がとスマホに手をしたわたしに、
「ちょっと寝てはるだけやから」
と、お母ちゃん。これも日常茶飯事とのこと。
駅から5分。5階建てのドヤの前でお母ちゃんは足を止めた。
袖看板に『ビジネスホテル天晴』とあり『天晴』がひときわ大きく筆文字書いてあって、ご丁寧に“あっぱれ”とルビが振ってある。じつは、あっぱれ、と読むとは知らず、てんせい、だと思っていたので赤っ恥をかかなくて助かった。なかなか親切でカッコいい、とわたしは素直にそう思った。
「ここやで。周りのドヤとくらべても見劣りせんやろう? ちょうどバブルの頭くらいに建てられたそうやけど、あのころに造られた建物はいまのんよりしっかりしててエエんやそうや。ほぉら、玄関もちょっと洒落ててエエ感じや」
わたしはラブホのエントランスっぽいと思ったけど(むろんそんなエッチ目的のためのホテルなんぞに行ったことは一度もなく、映画やテレビドラマで観ただけだ)、悪くはない。
そんなことより、気になったのは一匹の猫だ。
モンステラの置かれたエントランス脇にころころした、ほんとうにころころ転がりそうなほど肥った三毛猫が丸まってひなたぼっこをしていた。
「タマ、いうねん」
と、お母ちゃんは名前までしっかり把握していた。
「なあ、タマ」と話しかけたお母ちゃんに、タマはこくりとうなずくような仕草を見せたので、わたしはちょっと吃驚してしまった。
犬と違って猫は短い時間でひとに懐いたりしないんじゃない? 懐いているとしたら、お母ちゃんは相当ここに通っていたということにならないか……いや、そうに違いない。
お母ちゃんは、この街に対してあまりに自然体過ぎる!
そんなことを思いながら、
「サザエさんとこの猫とおんなじ」
とわたしは言った。母ちゃんの、
「男の子やからキンタマついとる。せやからタマタマやな」
との下ネタなオヤジギャグにわたしの緊張は一気にほぐれたけど、あとで思い出し笑いしないかと余計に緊張してしまった。
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