Chapter 2『桃、生まれてはじめて釜ヶ崎を訪れる』2-1
大阪生まれの大阪育ちのわたしだけど西成区に足を踏み入れるのは生まれてはじめてで、あいりん(愛隣)地区といっても地元のひとはほとんど釜ヶ崎か略して“釜”と呼んでいることもはじめて知った。
個人的にはカマガサキ、という響きは一字違いのアマガサキ(尼崎)に似ていて、とても親しみが持てる。
子どものころ、服や運動靴など買ってもらうときは、だいたい尼崎だった。とにかく商店がたくさんあって活気があった。大概のモノは尼で揃った。大手の総合スーパーも充実していた。交通費をかけても十分元が取れるほど安かった。
「尼でも行くか」
父の号令で、日曜日は家族でよく出掛けたものだ。
人混みや喧騒はいまでも苦手なわたしだけれど、今はなきニチイや長崎屋の屋上遊園地が好きで、行けばかならずアメちゃん(キャンディとは言わない)やラムネを掴み取る(UFOキャッチャーの原型みたいなやつ)ゲームやスマートボールで遊んだ。
わたしときたら、たったいま言われたことさえすぐに忘れてしまうほど物忘れがひどいのに、どうでもいいような昔のことや忘れてしまいたいことほどよーく覚えている。
(逆だったらどんなに生きやすいことか……)
と、どうにもならない思いばかりが脳裏にちらつく。
そして、それもいつの間に忘れてしまい、またすぐ別の不安や絶望感、幼稚園の頃の恥ずかしい想い出に学生時代に受けつづけた陰湿なイジメ、晩ごはんの献立に次回に買うつもりのロトくじの番号予想……と、じつに雑多なおもちゃ箱のようで、わたしの頭のなかは四六時中騒がしい。
そんなだから軌道修正に多少なりとも時間がかかってしまい、何をやらせてもスローモーで『使えないヤツ』との烙印を捺されてしまう。ホント、ホトホトじぶんが心底イヤになる。そういう時はとりあえず大きく深呼吸するようにしている。そうするとほんの少しはマシになる。
「歩いていくのん?」
JR新今宮駅の東口改札を出るなり、わたしは訊いた。
すぐ左手に『太子』と表示された交差点が目に入る。ニッカポッカ姿の同世代であろうオッサンが座り込んでカップ酒を呷っていた。それも見ているこっちも呑みたくなるほど旨そうに。せや、とお母ちゃんはうなずいた。
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