【6月14日】幸福ろっく

王生らてぃ

【6月14日】幸福ろっく

「う〜〜」



 妹の早織は、身体が大きくなっても心が幼いままだ。言葉をはっきり喋ることができず、気に入らないことがあるとすぐ癇癪を起こす。しかし、言葉がわからないわけではなく、読者をいつもしている。刺繍を読むことが好きらしく、英語の本もすらすら読んでいる。



「あーうー!」

「はいはい」



 この妹は困ったことに「噛み癖」がある。

 手慰みにいつもなにかを噛んでいる。自分の指、鉛筆、本に挟むしおり。そして姉のわたし。

 それぞれ、いつなにをどこで噛むのかはこの子なりに意味のあることらしく、それを邪魔されたり取り上げられたりするとねずみ花火のごとく暴れまわり手がつけられない。

 もう中学生なのに、いい加減に分別を身につけてほしいお年頃なのだが、それをこの子に期待するのはむずかしい。これは人間としての個性や向き不向きの話だ。



 というわけで妹は今日もわたしを噛んでいる。

 わたしの服の袖をめくって、二の腕をかじっている。そんなに力は強くないが、うっすら跡が残る程度には痛い。わたしはすっかり慣れてしまって、それをされるがままにしている。そうすると早織も嬉しそうなのだ。



「どうしたの、今日はどうしたの」

「んん〜」



 ちゅーっと二の腕にくっついて離れないまま、なんどもんーんーと唸っている。こういう時は構ってほしい時だ。



「はい、よしよし」

「ねね〜」



 ねねーとはお姉ちゃんの意だ。

 うぁうぁとはお母さん。お父さんのことは最近、避けている。この子も思春期なのだ。

 早織を正面から抱きしめて頭を撫でていると、この子も嬉しそうな顔をする。

 もう何年もこんなことを続けている。



「んんっ!」



 と、頭を撫でていると、突然早織は悲鳴をあげてわたしから飛びずさった。



「どうしたの?」



 頭を抑えて呻いている。

 髪の毛をめくると、頭にたんこぶができている。まだ新しい。



「誰に叩かれたの?」

「うぁーうぁ〜」

「そうなの。またやったのね」



 お母さんはしょっちゅう妹を殴る。

 お父さんはそれを遠巻きに見ている。

 早織にとって、逃げ場になるのはわたしだけなのだ。



「よしよし。お姉ちゃんは味方だよ」

「うゔ〜」



 声を押し殺すことなく、管楽器のような声で体全体を震わせて泣く早織の歌声はわたしにも痛いほど伝わってくる。早織はわたしの服の裾をかみしめるようにかじっている。

 わたしもそれを受け止める。

 早織が体を押し付けてくると、やわらかく、女の子らしくなっている感触がわたしに跳ね返ってくる。



 あなたを連れて逃げ出せればいいのだろう。

 両親とも、見知らぬ他人とも、切り離して暮らせばいいのだろうと思う。わかってる。

 だけど、わたしにそんなことをする勇気はなかった。



「ねねー、ねね〜」

「はいはい、よしよし」



 いつまで続くのだろう。この、危うい時間は。

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【6月14日】幸福ろっく 王生らてぃ @lathi_ikurumi

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