第100話 ダウン・トゥー・ジ・アース
まさに今、よもぎは厚い厚い雲の層を抜けて俗世の空に投げ出されたのだった。同時に自身の
「気分はどうじゃ、よもぎ。いよいよ俗世じゃ」
「すっごく、気持ちいいですぅ」
ようやっと気持ちに余裕が出てきたよもぎの目に飛び込んで来たのは、雨上がりの雲の切れ間から下界に差し込む
「き、きれい……よもぎ、ちょっと感動してます」
あまりの美しさに感極まったよもぎの目にうっすらと涙が浮かぶ。そしてよもぎの胸は熱く高鳴る。ああ、帰って来たんだ、これからまた楽しい日々が始まるんだ。
「おい、よもぎ。感動に浸っているところすまぬがの、
よもぎは両腕を目いっぱいに広げて風の流れに乗る。うまくバランスがとれたならばいよいよ視線を下に向けてみる。するとそこにはまるで航空写真のような街並みが広がっていた。
「すごい! すごい、すごい、すごいです! 前にヒロキさんのパソコンで見たのと同じです!」
よもぎは片手を額にかざして眼前に広がる広大な街並みに目を凝らした。
「え――っと、あっ、あの横にまっすぐ伸びてるの、あれはJRの中央線かなぁ。だとすると、そっか、わかった、やっぱ中央線だ。で、あそこが新宿」
よもぎは人差し指の指先で実際の地図にそうするように空をなぞってみた。
「よもぎ、いよいよここからじゃ。
「それはやっぱり、ヒロキさんのところです」
「ならばそこを目指すのじゃ」
「目指すって、どうやって?」
「そんなもん、自分で考えるのじゃ。それができなければ
「あっ、その一言、とってもイラっとするんですけど……でもでも、そんなことより、とにかく、えっとここが新宿でしょ? ってことはN市は……もっと向こうかなぁ」
よもぎはまさに広げた地図を追うように鉄道線路を目印にして目的の地を探す。するとはるか彼方でポツンと白く輝く点を見つけた。よもぎがその光に目を凝らすと眼下の航空写真がゆっくりとスクロールしたように見えた。しかしそれは地が動いたのではなくよもぎ自身がその光に向かって吸い寄せられたのだった。
「ほ――、なんとか見つけたようじゃの。とりあえず仮免許は卒業じゃな」
よもぎはコツを会得したのか、その光に向かってさらに意識を集中させる。またもや
「ひょっとしたら……えっとえっと、あれが遊園地でしょ? それでそのすぐ脇でしょ……あっ、わかった! あの光ってるところ、あれは大ケヤキ神社だ。きっときっと、今の新しい御神木様がよもぎのことを導いてくださってるんだ」
それからよもぎは神社が発する光を起点にして次々と目標を見つけ出した。
「あれが市民ホール、そしてこっちが駅でしょ、そしたら商店街をずっと行って、それでそれで……あっ、あそこだ! ヒロキさん
ようやっとヒロキの住むアパートを見つけたよもぎは、地上からはまだまだ遥か上空であるがそこに向かって意識を集中させてみた。しかしよもぎの位置はそこからまったく動くことはなかった。
とにかく行かなきゃ、やっと見つけたんだ、なんとかあそこにたどり着かなきゃ。
よもぎは目を閉じてひたすらに念じてみたが、やはりその
「よ――し、こうなったら最後の手段です!」
よもぎはそう言って気合を入れると水の中を泳ぐように両腕で宙を掻き始めた。するとそれに合わせてよもぎの
目的の場所を目指して必死に
「にゃははは、無様じゃ、無様じゃのう、よもぎ」
よもぎは
やがてさほど力を入れずともなめらかに眼下の地図が動き出した。そしてついにはもがくことなく見つめて念じるだけでスムーズに
「へへへ、これでもよもぎは『やればできる子』なんです。どうですか、九尾さん、恐れ入りましたか?」
「
「あの――
よもぎは九尾の口調を真似ながら胸に下がる
「感謝はしてます。でもそれはそれ、これはこれです! 九尾、そういう態度ならよもぎは……」
「お、おい、待て、待つのじゃ。よもぎ、落ち着くのじゃ。
「ふん、ダメです。とりあえずお仕置きです。えいっ!」
「や、やめるのじゃ――――!」
まるで断末魔のような九尾の叫び声がよもぎの中に響き渡る。しかしそれと同時によもぎ自身もまた全身に鋭い衝撃を感じた。
「あっ、あっちっち、あちっ、なにこれ、信じられな――い」
「このたわけが! 今、
その瞬間、集中して張りつめていたよもぎの気力が一気にそがれてしまった。同時にその
「ちょっと、待って、
「無理じゃ。
「え――そんなぁ、ケガするよ、痛いよ、死んじゃうよ」
「案ずるでない、お化けは死なないのじゃ。ケガも病気もなんにもないのじゃ」
よもぎの
「このままじゃ、ほんとに落ちるぅ」
よもぎの目の前に猛スピードで拡大していく景色が飛び込んでくる。米粒大だった家々はやがて豆粒大になり、一円硬貨から十円、五百円硬貨と大きさを増し、そしてそれからはよもぎの視覚による認識が追い付かないほどの勢いで白いサイディング張りの屋根が迫りくる。
ついにはそれがよもぎの顔のすぐ前まで迫ったとき、しかしよもぎは衝突の衝撃も痛みも感じず、そして気がついたときにはコンクリート製の土間の上に尻もちをついてへたりこんでいたのだった。
そんなよもぎの目の前にそびえ立っていたのは、懐かしい見慣れたヒロキの部屋の玄関ドアだった。
「な、なんか、戻って来れちゃったみたい……」
季節は既に夏、雨上がりの朝の空気に包まれて、よもぎはこれからの毎日を思うと、その胸は自然と高鳴るのだった。
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