第98話 お嬢さん、達者でな

 管理人を先頭によもぎと九尾きゅうびがその後をついて崖に沿った砂地を行く。しばらくすると正面にまた別の洞窟がぽっかりと口を開けているのが見えた。 その洞窟は蛇行することなくまっすぐに続いていた。そこに照明設備などはなく前方に見える小さな部屋の明かりだけが内部をほのかに照らしていた。

 部屋の正面に見えるのは、金属らしき質感の大きな扉、そこに近づくにつれて周囲の明るさが増す。そして終点であるその部屋に着いたとき、よもぎは不思議な違和感に包まれるのだった。

 よもぎが感じたその違和感、それは、こんなに明るい部屋なのに天井にも壁にも照明器具と言えるものは何ひとつないことだった。

 すると管理人はようやっとこちらを振り向いて口を開いた。


「お嬢さん、あんたにはこの部屋がどう見えるかな?」

「明るいです。でもなんでこんなに明るいんでしょうか」


 よもぎに続いて管理人は九尾きゅうびにも同じ問いかけをする。


「おい、お前にはどう見える?」

「暗くはないが、さして明るくもないのじゃ。なにより今のわらわはどんよりと暗い気分じゃからの、これからのことを思うとな」

「まあそういうことだ、お嬢さん」

「え――っ、よもぎ、よく意味がわかりません」


 そこで九尾きゅうびがよもぎを見上げて居丈高に言う。


「よもぎよ、れはこれから明るい未来が待っておると、そう考えておるのじゃろう。それが答えじゃ」

「それなら九尾にはどう見えるって言うんですか?」


 九尾はソッポを向いて誰に言うともなく吐き捨てるようにつぶやく。


「こんなわらべにされるわ、力は封印されるわ、その上、初心者マークの浮遊霊に殺生与奪せっしょうよだつを握られるわ、それに加えて俗世に降りて徳を積めなんぞ、とにかくわらわの将来は踏んだり蹴ったりの真っ暗闇なのじゃ。それでもこの沼やら煉獄れんごくやらにるよりは俗世の方がよっぽどマシじゃからの、それが薄ら明るく見える理由じゃ」


 目こそ合わせていないものの、それはよもぎに対してのぼやきであることは容易に察しがついた。


「ふ――ん、そうなんですか。九尾はよもぎといっしょがいやなんですか。そうですか」


 よもぎは冷めた目つきで九尾を見返すと胸から下がる勾玉まがたまをつまみ上げて目の前にかざした。


「あっ、待て、待つのじゃ、よもぎ。とにかく、待つのじゃ」


 九尾は仕置きの電撃はもうりと慌てふためきながらも、なんとか作り笑いを浮かべてその場を取り繕うのだった。


「まあ、その、なんじゃ……わらわも心を入れ替えて精進するのじゃ。もちろんよもぎの言うこともちゃんと聞くのじゃ。とにかくそれを、そのぎょくを下ろすのじゃ。もうビリビリはたくさんなのじゃ」



 パン、パン、パン。


 よもぎと九尾の会話を眺めていた管理人は刺股さすまたを小脇に抱えながらゆっくりとした拍手を送った。


「お嬢さん、その調子だ。これからも九尾きゅうびが生意気な口をきいたならばそうしてやればいいのさ。ただし、気を抜くとなめられるからな、たまには本当に電撃をお見舞いしてやるのもいいと思うぞ」

「ぐぬぬ……れら、言いたい放題を……じゃがわらわ、物分かりはいい方じゃからのう、心配ご無用じゃ。さあさあ、よもぎよ、はよう行くのじゃ」


 勝手をのたまう九尾のことはさておいてよもぎは管理人に向かって姿勢を正した。


「管理人さん、いろいろとありがとうございました。よもぎ、これから頑張ります。管理人さんもお元気で」


 よもぎは深々と頭を下げる。並んで立つ九尾も組んでいた腕を下ろして不本意な表情のままよもぎにならってペコリと一礼した。

 管理人は大きく頷くと小脇の刺股さすまたを構えたままで二人をエスコートするように手を差し向けた。


 目の前には左右に開く扉があった。見た目はエレベーターの扉そのもの、しかしそれにしてはかなりの大きさだ。精緻な唐草の文様が施された銅板に覆われた扉は部屋の光を乱反射させて鈍く輝いていた。

 管理人が刺股さすまたを扉へと傾けると、それは音もたてずに開く。その内部もまた扉と同じく唐草模様の銅板が張り巡らされていた。


「さて、お嬢さん、あんたにはここから俗世に下りてもらう」

「ここからって、これってエレベーターなんですか?」

「まあ、そんなもんだ。さあ中へどうぞ」


 管理人は扉が開いたブースに刺股さすまたを傾けて乗り込むようにと促す。二人はおそるおそるその中に足を踏み入れた。

 乗り込んだ途端、またもや奇異を感じたよもぎは困った顔で外に立つ管理人に問いかける。


「管理人さん、管理人さん、このエレベーター、ボタンがないんですけど」


 しかし管理人はよもぎの問いに答えることなく、柔和な笑みとともに別れを告げた。


「とにかくそいつをよろしく頼んだぞ。それではお嬢さん、達者でな」


 続いて管理人は厳しい表情で九尾を睨みつけながら鋭く命じた。


「おい、お嬢さんの言うことをしっかり聞いて、せいぜい頑張れ。じゃあな」


 管理人がよもぎに最後の笑みを見せる。そして手にした刺股さすまたをひと振りすると扉は音もなく閉じた。


 閉ざされたブースの中で九尾きゅうびは落ち着かない様子でキョロキョロしていた。


「おい、よもぎ。れはどう思うのじゃ」

「どうって、このまま地上に下りるんでしょ?」

れはそう思うか。わらわはいやな予感しかしないのじゃが……」


 やがてブース内全体になめらかなモーター音が鳴り響いた。それに続いて微かな振動が発せられたその瞬間、足元の床面が一瞬にして消え、代わって眼下にもやが渦巻く空間が広がった。


「えっ、なに?」


 よもぎが異変に気付いたとき、その身体は渦巻くもやの中に投げ出されていた。頭上にはあのエレベーターブースの床がぽっかりと口を開けていたが、その姿は見る見る小さくなってあっという間に点になり、やがてすっかり見えなくなってしまった。


「ほれ見たことか。わらわの思った通りじゃ」


 よもぎがその声の方に顔を向けるとそこには背中を下にして落下しながらも腕組みをして余裕のていでよもぎを眺める九尾きゅうびの姿があった。


「さあ、どうするのじゃ、よもぎ。まずはこれがれにとって最初の試練じゃな」

「ちょ、ちょっと待ってよ、何よこれ。うっそ――、信じらんな――い!」

「にゃははは、どうするのじゃ。どうするのじゃ、よもぎ」


 地上に向かって落下していくよもぎと九尾、そこには慌てふためくよもぎの声とあざけるような九尾の笑い声が響いていた。

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