第92話 邂逅

 管理人はにこやかな笑みとともに「よっ!」と一声掛けて刺股さすまたを三〇度ほど持ち上げると「そらよ」と言いながら魚を釣り上げるように腰を入れた。すると沖合まで伸びていた刺股がするする縮み始め、先端に吊るされた男の身体からだもまたこちらに近づいてくる。


「よ――し、お嬢さん、ちょっと下がっててくれ」


 よもぎは刺股のその先を見上げながらも、砂に足を取られないよう注意して数歩下がる。管理人は今一度腰に力を入れて吊るされた男を高く持ち上げると、刺股を起用に操って男の身体からだを浜辺の砂の上に放り投げた。


「ほら、立て!」


 管理人が命令すると男はよろよろしながらその場に直立した。伸び放題の髪と髭、青白く脂気のない肌はあばらが浮き出るくらいに痩せ細り、その身体からだはぶるぶると小刻みに震えていた。目の前に立つ男の一糸まとわぬその姿に、よもぎは思わず「キャッ!」と声を発して顔を背ける。管理人は刺股さすまたの先で男の頭を小突きながら声を荒げた。


「コラッ、年頃の娘さんの前だろ、前ぐらい隠しやがれ!」


 男はおずおずと両手を股間にあてると、だらしなくさらけ出されたを所在なさげに取り繕った。


「さてと……おい、お前、このお嬢さんに見覚えは?」


 管理人が男に問いかけるとその言葉が終わる前に男はその身をこわばらせ始め、やがてガタガタと震え始めた。


「うぁ、あ、あ、ああ、ああ……」


 男は嗚咽おえつにも似た声を上げると、歯並びの悪い口元がだらしなく開かれ、その口からは声だけでなくよだれまでもが垂れ始めた。

 よもぎは一歩下がった位置で男の様子を眺めていた。そんなよもぎを前にして管理人はなおも男の頭を小突く。


「ほら、なんとか言ってみたらどうだ? それともオツムがおかしくなって言葉も忘れたか? ああ?」


 管理人に責め立てられながら男はうなだれていた顔をゆっくりと上げた。


「あ、あ、ああああああ……」


 男はよもぎの顔を見るなり声を上げながらその場に両手を合わせてひざまずきそのまま砂の上に突っ伏した。

 よもぎは男を一瞥いちべつすると管理人の顔を見ながらやけに落ち着いた口調で言った。


「管理人さん、この人が犯人なんですね」

「そうだ。こいつはあんたの他にもう一人ってるんだ。そして俗世で罪を償うことなくここにやって来た。情けないことに逃亡の途中で事故死さ」


 震える男を冷徹に見下ろしながら話す管理人は眼光鋭い眼差しをよもぎに向けながら尋ねた。


「さてお嬢さん、どうするね、この男を。呪うか? それとも……」

「管理人さん」


 よもぎは管理人の顔すらも見ずに、その言葉が終わる前に震える男を見つめたままで言う。


「よもぎは管理人さんにすべておまかせします。だけどその前に……」


 よもぎは地べたでうなだれる男に近づくと突然に強い言葉を浴びせた。


「ねえ、ちょっと、あんた。顔くらい見せなさいよ!」


 その様子を見ていた管理人の刺股さすまたを握る手に力が入る。よもぎの叱責に男はおそるおそる顔を上げた。すると男のぼやけた視界に飛び込んで来たのは、迫り来るよもぎの手刀しゅとうだった。よもぎは男が顔を上げたと同時に右手を高く振り上げ、その頭上に力一杯手刀を振り下ろしたのだった。

 鈍い音ともによもぎの手刀が男の眉間を直撃した。男は自分に何が起きたのか瞬時には理解できなかった。しかし間もなく襲いかかる痛みによってそれを理解した。男は震える両手で顔を覆うとその場に泣き崩れた。


「フンッ、ダサいヤツ」


 よもぎは吐き捨てるようにそう言うと男に背を向けて管理人に言った。


「管理人さん、もういいです。さあ、次に進みましょう」


 管理人はニヤリとほくそ笑むと突っ伏す男と砂地の間に刺股さすまたを差し入れて強引にその上体を引き起こす。再び器用に男の首を吊って持ち上げるとそれもまたするすると伸びてゆき、沖合で男を真紅の水面に叩き落とした。背後で水音が聞こえるも、よもぎは湖面を振り返ることなく男の最後を見届けることもなかった。

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