第91話 罪と業

 目の前の映像はそこで途切れ、真っ黒な画面には呆然とソファーに座るよもぎの顔が反射して映り込んでいた。映像を見ながらよもぎはあの日のすべてを思い出していた。首に残る感触も、爪の先に感じたあのいやな手応えも、境内を吹き抜ける風の冷たさも、全部、全部。しかしよもぎの目から涙がこぼれることはなく、怒りも悲しみもなく、なぜか客観的な目でその映像を見ていたのだった。そしてすべてが終わったとき、よもぎは画面を見つめたまま管理人に声をかけた。


「管理人さん、終わりましたよ。よもぎは何もかも思い出しました」


 管理人はゆっくりと部屋に入るとパチンと指を鳴らして照明を灯した。よもぎはソファーから立ち上がると不思議なほど冷静な口調で管理人に向き合った。


芹澤せりざわよもぎ、料理が得意な十六歳の女子高生、一九八六年二月一〇日に大ケヤキ神社であやめられました」

「ほ――、なかなか冷静だな。大丈夫か? 無理しなくていいんだぜ」

「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫です。だって三〇年も前のことですよ。それに御神木様にまもっていただいてけがれになることもなかったし……」

「それに太田ヒロキに神子薗みこぞの可憐かれん天狐てんこに猫又のキジ丸だもんな。あんたの引き寄せは大したもんだぜ」

「えへへ、そうなんです。これでもたったひとりで寂しい思いや悲しい思いを散々してきたんです。そしてみんなに守ってもらえて、よもぎは今とっても幸せなんです」


 そんなよもぎの素振りを見た管理人は一瞬だけいぶかし気な表情を見せたものの、すぐに鼻で笑うような息をついて続けた。


「そうか、そう考えられるのなら大丈夫だな。では行こうか」


 管理人は刺股さすまたを手にしてよもぎを連れて部屋を出る。


「さて、実はここからが本番さ。これからあんたにはこれまでの罪を償うための準備が待っているんだ」

「罪……罪ってよもぎがどんな罪を犯したって言うんですか? 罪どころか、よもぎは被害者じゃないですか、罪とか罰とかなんて、さっきのあいつに対してじゃないんですか?」


 管理人の言葉を聞いたよもぎは喰ってかかるように一気にまくし立てた。


「確かに罪とは言ったが、まあ、それは言葉のあやというか、ものの例えのようなもんだ。あえて言うならばごうだな」

「そんなの……罪とかごうとか……そんなの意味不明です」

「ははは、まあ慌てなさんな。それをこれから説明してやるんだから」



 蛇行する洞窟を抜けると、管理人は目の前に広がる小さな浜辺の、その水辺まで歩いて行く。そしてよもぎは未だ不安な気持ちを抱きつつその後を黙ってついて行くのだった。



 よもぎは沼の管理人の後について、相変わらず歩きにくい乾いた砂地を足元に注意しながら真っ赤な湖畔に向かって歩いていた。そして水辺まであと数メートルのところで管理人は立ち止まると、片腕を横に伸ばしてそれ以上前に進むのを制しながらよもぎに向かって念を押すように言った。


「お嬢さん、あんた、さっきから平然としてるようだが本当に大丈夫なんだな? 映像の内容は理解したんだな?」

「はい、よもぎは大丈夫です」


 よもぎは管理人の顔を見上げて即座にそう答えた。


「そうか、ならばこれからあんたに『あるもの』を見てもらう」


 管理人は広がる水面の沖合を見渡すと、そのほぼ正面を指差した。


「そろそろだな。お嬢さん、見ててごらん。真っ正面の沖合、あのあたりだ」


 管理人が指差すその先を見つめていると程なくしてパシャっと軽い水音とともに長い髪をべっとりと身体からだに張り付けた痩せこけた男の上半身が姿を現した。痩せた男は肩で息をしながら湖中でうなだれている。その男に向かって管理人は片手をメガフォン代わりにして大声で叫んだ。


「お――い、ちょっと顎を上げろ。いいか、おとなしくしてるんだぞ」


 管理人は両手で刺股さすまたを湖に向かって構える。するとその先端はするすると湖面に向かって伸びてゆき、自重でわずかに湾曲しながら沖合の男の首を捉えた。

 管理人は躊躇することなく力を込めて刺股を持ち上げる。男は首に食い込む刺股を両手で掴んではいるもののジタバタすることもなくその動きに身を委ねていた。


「お嬢さん、覚悟はいいな? 今からここに連れてきてやるからさ」

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