第89話 居心地の良い試練場

 右に左にと蛇行する洞窟はその奥に光源でもあるのだろうか、意外にも内部はほんのりと明るかった。やがてカーブの終端で明るく照らされた部屋の入口が口を開けているのが見えた。


 よもぎは部屋の入口を前にして呆然と立ちつくしていた。洞窟の外は生を感じさせる存在は何一つない岩と砂と不気味な真紅の水に満たされた湖が広がるだけの殺風景な常夜とこよの世界、しかし今よもぎの目の前にあるのは十分に手入れが行き届いた応接間のような空間だった。

 天井を照らす柔らかな間接照明と暖かみのある白熱灯色のダウンライトによるカクテル照明、全身をやさしく包み込んでくれそうな革張りのソファー、小さな低いテーブルの上にあるクリスタルガラスの水差しには冷たい水も用意されている。そして何よりよもぎの目を引いたのは豪華なソファーの前に設置された大型の薄型モニターだった。それはヒロキの部屋にあるテレビよりもずっとずっと大きなものだった。


「八〇インチだ」


 背後からの声によもぎが思わず振り向くとそこには管理人が笑みを浮かべて立っていた。


「この部屋を見たヤツはみんな外とこことのあまりの違いに戸惑うんだわ。次にそこのモニターの大きさに目が行くんだな。その昔は大きな鏡だったんだが、時代は進んでる、今ではこんなもんさ」


 そう言いながら管理人はよもぎの脇をすり抜けて奥に進むと、さあどうぞと言わんばかりによもぎをエスコートした。高級ホテルのスイートルームのような落ち着いた空間に管理人が手にする朱塗りの刺股さすまたがどうにもアンバランスで、それがかえってよもぎに一抹の不安を感じさせていた。


「あんた、こいつが気になってるんだろ? でも、そんなに怖がらないでくれ、これも規則でな。とにかくあんたはそこに座ってくつろいでいてくれよ、すぐに準備するからさ」


 よもぎは管理人の言葉に従ってソファーに身を沈めた。冷んやりとした感触はよもぎの体温で徐々に温もり始め、微かにコノリーレザーに似た匂いも感じた。


「ここは休憩室も兼ねててな、だいぶ俺の趣味が入ってるんだが、まあゆっくりしてくれ。とは言え、あんたがたにとっては決して居心地がいいだけじゃない、試練場みたいなものだろうけどな」


 よもぎはこれから待ち受ける何かに対する不安を紛らわせようと部屋の中を見渡した。ソファー左手の奥には小さなホームバーカウンターがあり、右手にはクラシカルなガラスキャビネットが置かれている。その中には豪華なティーセットとともに象を形どった紅茶の缶がずらりと並んでいた。



 やがて準備を終えた管理人がリモコンを手にして大型画面の電源を入れると、画面上に白い光が一瞬だけ走り、真っ黒だった画面が濃いチャコールグレーに変わった。


「さて、準備は整った。これからあんたにはあんたに起こったことを見てもらう。ただし内容はあんたが封印している記憶の部分だけだ。だからどこから始まるかは見てみないと分からん。俺に言えることは映像に呑まれるな、あんたはあんたが目指す目的をしっかり意識しておけってことくらいだ」


 管理人は刺股さすまたとリモコンを手に部屋の出口に立った。


「気が散るといけないからな、俺は部屋の外で待つ。それと、悪いが照明は落とさせてもらうよ」


 管理人が指をパチンと鳴らすと照明はゆっくりとフェードアウトするように消え、代わって大きな画面が白く光りよもぎの顔を明るく照らす。


「それではごゆっくり」


 今、目の前の画面では唐突に学校の教室らしき映像が流れ始めた。

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