第88話 苦行の沼の管理人
「ええっ、管理人さんって、鬼さんなんですか?」
「さん付けで呼ばれてもなぁ……とにかく、今はああいうのは流行らないんだよ。そりゃ昔は恐れられてたさ、でもな、今の俗世にはもっと恐ろしいものがいくらでもある。あんなコケ脅しじゃ通用しなくなってな」
よもぎは管理人のあまりにも人間臭い言葉に妙なおかしさを感じてつい笑ってしまった。
「なんかおかしいです、管理人さん、全然怖く見えないし」
「そりゃそうさ、もう見た目の直感的な怖さの時代じゃないのさ」
そして管理人は広がる湖面を指差して続けた。
「ここだってな、その昔はいろいろあったさ。血の池、まあそれは今のこれに似てるけど、他にも針の山とか、燃え盛る炎とか。仲間内何人かで斬り刻むなんてのもあったなぁ……だがな、そんな苦痛は連中にとっては一過性のものさ。痛み苦しみなんてのは長く続けるほど慣れて来ちまうもんなんだ。それより何より、そんな苦行は手間ばかりかかって、費用対効果を考えるとえらく非効率なんだ。なんたって連中の多くは転生しても同じこと繰り返してまた戻って来ちまうんだから。俗世で言うところのリピーターってやつだな。それで抜本的な見直しと大改革を断行したわけさ。その結果、今はこんなもんだ。管理者も沼ひとつに管理人がひとり、見事に省力化も達成できたわけさ」
管理人の
「管理人さん、管理人さん。それじゃここは地獄なんですか? よもぎは地獄に堕ちたってことなんですか?」
「う――ん、確かにここで受ける苦行はまさに地獄のそれそのものなんだが、今のあんたはまだその前の段階さ」
「前の段階……ですか」
「そう。お嬢さん、あんたさっき自分で言ったよな、自分ことを覚えてないって。人ってのは自分にとってあまりにも辛いことやショックだったことは忘れちまうもんなんだ、自己防衛ってやつだな。しかしな、そのままじゃダメなんだわ。肝心な部分が封印されたままじゃ審判なんて受けられない。だからまずはここで今一度自分のこれまでを振り返るんだ。生まれてからの大まかなことは既にあんたの意識の中で
よもぎは淀みなく繰り出される管理人の言葉にすっかり引き込まれていた。そして次に出て来るであろう言葉を予期してごくりと唾を飲んだ。
「そこでこれからあんたには記憶の封印を解いてすべてを思い出してもらう」
よもぎは返す言葉もなく管理人をただ見つめていた。
「まあそう身構えるなよ。何もあんたに肉体的、物理的な何かをするわけじゃないんだから」
よもぎは怯えたように震える声で管理人に尋ねた。
「それで……もし思い出したら、それからどうなるんですか?」
「そりゃ審判してもらうのさ。ただな……」
「ただ……何なんですか?」
「まあ言いづらいんだが、その内容によっては審判の前に清算しなきゃならないことがな、往々にしてあるんだわ。そのときはここで
管理人は
しばらく歩いて崖の麓にたどり着くと、その向こう側に抜ける狭い切り通しが見えた。管理人はよもぎを振り返ることもなくそのまま切り通しを進んで行く。崖の向こう側にも同じような砂浜と真紅の湖面が広がっている。管理人は自分のペースで砂浜の向こうにそびえる崖の麓まで歩き続けた。乾いた砂地は歩きにくくよもぎは管理人に遅れまいとひたすらに歩き続けた。
ようやっと目的の地に着いたのだろう、管理人は崖にぽっかりと口をあけた洞窟のような岩の切れ間の前でよもぎがたどり着くのを待っていた。
「よ、お疲れさん、よくついて来たな。そんだけの根性があれば大丈夫だろ」
「か、管理人さん、歩くの速いです。よもぎはもうヘトヘトです」
よもぎは両膝に手を置いて肩で息をしながらそう言いつつ、顔だけを上げて目の前の洞窟を見つめた。管理人は薄ら笑いを浮かべながらよもぎに言う。
「さあ、お嬢さん、あんたにはこれからここで過去を振り返ってもらうが、ひとつだけ注意をしておく」
よもぎは
「あんたは何のためにここに来たのか、その意志をしっかりと持って臨むんだ。ここで真実を見ることだけがあんたの目的ではないはずだ。そうだな?」
「よもぎは……よもぎはこれから審判を受けて成仏するんです。ヒロキさんも可憐ちゃんも応援してくれてるんです。だからよもぎは絶対にそうするんです」
管理人はニヤリと笑って続けた。
「ならば結構。それではこれからすべてを思い出してもらう。さあ、お嬢さん、こちらへおいで」
管理人は手にした
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