第83話 ヒロキ、決意する

 ようやく気持ちが落ち着いてきた頃、ヒロキはすぐ近くに可憐以外の気配を感じて振り返った。するとそこにはこの寺の住職が両手を合わせて空を見上げていた。住職はヒロキが自分に気づいたと知ると二人に向かって深々とお辞儀をする。


「今、お上がりなられたのはお二人とかなりのご縁がある方だったのですね。どうやらとても清らかなお気持ちで上がられたようです」

「ご住職、すみません、こんな時間に」


 ヒロキが住職に頭を下げると隣で可憐も頭を下げた。住職は二人に顔を上げるようにと仕草をしながら頷いた。


「お二人は先ほど夕方にもお地蔵様にお参りされてましたね。あのとき、虫の知らせと言いましょうか、再びここに来られるのではないかなと、そんな気持ちになったのです。なので今日は閉門時間を過ぎてもしばらく門を開けておいたのです。こういうことは時折あるのですよ、お告げのような知らせのようなことが」


 住職はひと息つくともう一度空を見上げた。


「ご住職、ご住職にも見えたんですか?」

「いいえ、私に見えたのは最後の最後に流れ星のように上がっていく小さな光だけでしたが、そのときに大変清らかな気持ちを感じました」


 住職は二人の顔を見ると再び手を合わせた。


「さあ、もう夜も遅い。もうしばらく門は開けておきますが、お気持ちが落ち着きましたら、どうか気をつけてお帰りになってください」


 最後に住職は二人にもう一度頭を下げると踵を返して寺務所じむしょに戻って行った。ヒロキと可憐は去りゆく住職の背に向かって一礼すると門に向かって歩き出した。



 門のすぐ脇、大きな地蔵の前でヒロキは思い出したように可憐に言った。


「ところで可憐、さっきシロが帰ったって言ってたよな。オレ、気になってたんだ、いつも可憐の首に掛かってたあのネックレス、今日はしてないだろ。その代わりに勾玉まがたまを下げてるし、いったいどうしたんだろうって。シロは、シロはもういないのか?」

「ええ、いないわ」


 可憐は地蔵を見上げながらえらくあっさりと答えた。


「いないわ、って……だってシロは可憐の……」


 その問いを遮るように可憐は首から下がる勾玉を掲げて見せながら、九尾きゅうびとの戦いがあった晩のことをヒロキに話した。淡々と話す可憐の表情に悲しみや寂しさは感じられず、むしろ気持ちが吹っ切れたような清々しさを感じさせた。


「そうか、よもぎだけじゃなくシロもか。なんか一気に色々と片付いたと言うか何と言うか……」


 そこでヒロキの言葉が突然止まった。そして可憐の顔を見ながら声を荒げた。


「いや、片付いてない。まだ何も片付いてないじゃないか」

「ヒロキ、急にどうしたの」

「まだオレの中では何も片付いてないんだよ。あの曲のことも、あの曲が流れていたときに何が起きていたのかも。そして、よもぎに何があったのかも」

「でも、よもぎちゃんはもう……」

「確かにもういないさ。でもこのまま冥福を祈るだけでいいのか? それであいつは成仏できるのか? オレたちもちゃんと見届けてやらないと、そうしなきゃいけないと思うんだ」

「ヒロキは知りたいのね、よもぎちゃんに起きたことを」

「知りたい。いや、知るべきだと思う。それにあいつはオレたちを応援してるって言ってたんだ。ならばオレたちもオレたちにできることをしてあいつを応援してやらないといけないんだ」


 ヒロキは両手を可憐の肩にかけて続けた。


「オレはよもぎに起きたことが何であれ受け入れようと思ってる。可憐、君も協力して欲しいんだ。そしていっしょに受け入れてやって欲しいんだ。そして心からあいつの冥福を祈ってやりたいんだ」

「ヒロキ、もちろん私もそのつもりよ。何をどこまでできるかわからないけど、とにかくやってみようよ」

「ありがとう、可憐」

「それで何から始めるつもりなの」

「オレはあいつは事故か事件に巻き込まれたんじゃないかな、って思ってる。あの曲が流れていた頃に起きた事故や事件を調べるんだ」

「それなら図書館がいいわね。新聞の縮刷版で調べるのよ。そうね一九八五年十一月からくまなく」


 ヒロキは大きく頷くと可憐の目を見つめながらその肩をやさしく引き寄せた。可憐もその気持ちを察したのだろう、素直に身をまかせる。ヒロキが可憐の喉元から顎に手を滑らせると可憐もそれに合わせて少しだけ顔を上げてそっと目を閉じる。ヒロキも目を閉じてゆっくりと顔を近づけて軽く唇を重ねた。

 再び見つめ合う二人、互いに頬を寄せ合い、もう一度、今度は互いに腕を背に回して身体からだを引き寄せて唇を重ねる。つたない口づけのおかげで互いの前歯がカツンと当たり、その軽い感触で二人は我に返った。

 可憐は恥ずかしそうに顔を赤らめて微笑むと、真っ直ぐにヒロキを見て言った。


「ヒロキ、行動開始ね」


 二人は手をとりあって境内を出ると、夜になってもまだ賑わうの新宿の街へと歩き出した。

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