第82話 ずっと応援してるから

 ヒロキは店を出るや否や足早に歩き始めた。その速さは可憐かれんにとって小走りでもついて行くのがやっとなほど、なんとか追いつくと息を切らしながらヒロキのシャツの袖口を掴んで引いた。


「ヒロキ、ねえ、ヒロキったら、ちょっと落ち着こうよ。とにかくそんなに速く行かないで」


 その言葉に振り向いたヒロキは肩で息をする可憐を見て思わず我に返った。


「ごめん……オレ、今マジでヤバかった。これがオレ自身の気持ちなのかよもぎの感情なのか、とにかくちょっとどうかしてたよ」


 ヒロキは息を整えると気持ちを落ち着かせるために可憐の手を取って普段よりもゆっくりと歩き始めた。


「可憐……」

「わかってる、あの曲のことでしょ。私のスマホで検索できるから、まずはどこか座れる場所を探そうよ」


 夜道を歩く二人の前に街路灯に照らされて黒光りするあの大きな地蔵の姿が浮かぶ。こちらを見下ろすその顔はまるで二人を招き入れんと微笑みかけているようだった。普段は夕方六時には閉門する寺の門が今日に限って夜の七時を回っているのにまだ開いていた。これも神様の思し召しだろうか、そう感じた二人は引き寄せられるように門の中へを足を踏み入れた。



 既に扉が閉ざされた本堂の前で二人は手を合わせて一礼すると、ヒロキが石段に腰を下す。その傍らでは可憐がすぐさまバッグからスマートフォンを取り出して検索を始めていた。


「ガラスのパームツリー、っと。あっ、出てきたわ。パームツリーってアルファベットなのね。ガラスのPALMパーム TREEツリーかぁ」


 可憐は検索結果からサイトへのリンクを辿って楽曲の情報を確認した。


「さっきママさんが言ってた通りね、一九八五年の曲よ。十一月七日リリース、これって冬の歌だったんだ」


 そう言って可憐が手渡すスマートフォンを受け取るとヒロキは黙って画面に目を落とす。そして試聴ボタンをタッチすると先ほど店で聴いたのと同じイントロが小さなスピーカーから流れてきた。可憐もヒロキの隣に腰を下ろして二人寄り添うようにしてその音に耳を傾けた。

 目の前には薄暗く誰もいないアスファルト敷きの境内が広がっている。都心のビル街に建つこの寺を囲む建物は全てがこちらに背を向けてその裏側を晒していた。まさに都会のエアポケットのような空間で聴く曲はクリスタルな輝きに満ちていたが、その音色がかえって二人に寂し気な冷たさを感じさせていた。


 ワンコーラスが終わって間奏に入ると曲は徐々にフェードアウトして消えた。二人が余韻に浸りながらスマートフォンの画面を見つめていたそのときだった、突然ヒロキの胸元に下がる勾玉まがたまが強烈な白い光を発し始めた。目を開けているのがやっとなくらいの強い光に二人は幻惑される。

 やがて勾玉から輝く光の玉が抜け出してヒロキたちの数メートル先で静止する。それは光を放ちながら徐々に形を変えていく。二人が立ち上がって光に目を凝らしているとその輝きはやがて人の形に収斂しゅうれんしていった。ヒロキは手をメガホンのようにしてその光に呼びかける。


「お――い、よもぎ。いったい何のつもりだ、この派手な演出は」


 可憐もいっしょになって声をかける。


「よもぎちゃん、よもぎちゃんなのね?」


 二人の呼びかけにこたえるように光は白く輝くよもぎの姿となった。ヒロキが初めて出会ったときと同じ姿、学校の制服に身を包んだよもぎは光に包まれたままその場に浮いていた。


 やっとよもぎが出て来てくれた。ヒロキはすぐ目の前で浮かぶよもぎに待ってましたとばかりに声をかけた。


「よもぎ、元気そうで安心したよ。オレはちょっと心配してたんだぜ」

「ヒロキさん、可憐ちゃん、ごめんなさい、すぐに出て来れなくて」

「ほんとだよ、オレが呼びかけても反応ないしさ。やっと出てきたと思ったらやたらと派手な登場だし」


 ヒロキはそう言ってよもぎに笑いかけると、可憐もまたよもぎに微笑みかけた。


「でも元気そうでなによりだわ。よもぎちゃんとシロとの間で何かトラブルでもあったんじゃないかって、私はずっと気になってたのよ」


 よもぎはゆっくりと首を左右に振って可憐の言葉に応えた。


「シロさんにはいろいろなことを教えてもらいました。可憐ちゃん、シロさんにありがとうって伝えてください」

「シロは……シロは帰ったわ、シロの本来の世界に」


 可憐は少しばかり悲し気な顔で答えた。それを聞いたよもぎもまた神妙な顔になる。


「そうかぁ、それでは次はよもぎの番ですね」


 そう言ってよもぎは可憐にやさしく微笑ほほえんだ。それは可憐もヒロキもこれまで見たことがないくらいに大人びた笑みだった。


「よもぎ、それに可憐も。とにかくオレにもわかるように説明してくれよ」


 ヒロキはうろたえた顔でよもぎと可憐の顔を交互に見る。


「そっか、よもぎちゃん、ついに決心したんだ」


 可憐はよもぎにそう声をかけるとヒロキに向き直って続けた。


「よもぎちゃん、ようやっと決めたみたいよ」

「決めたって、何を……まさか、まさかあのメイドと同じように」


 よもぎはヒロキにいつものような屈託のない笑顔を向ける。


「よもぎ、シロさんとお話してわかったんです。でもほんとはもっともっとヒロキさんと可憐ちゃんといっしょにいたくて、だけどそれじゃいけないんだって。だからずっと考えてたんです。そしたらさっきのお姉さんがステキなタイミングって言ってたのを聞いて」

「タイミングって……それが、それが今なのか? 今なのか?」


 よもぎは笑みを崩すことなくヒロキを見てゆっくりと頷いた。


「よもぎはヒロキさんと可憐ちゃんが名前で呼ぶようになったらいいなって、ずっとずっと思ってたんです。そうしたら今日、ようやっとそうなって。それにヒロキさんもいつものあの曲にたどり着いたし」

「なんだよ、この展開。急だよ、急過ぎるよ。よもぎもよもぎだよ、一言くらい相談してくれたって……」

「ほんとにほんとにごめんなさい。でもでも、もしヒロキさんとお話したら決心が揺らいじゃいそうだったんです。それにこれはよもぎにとって重大な決心なんです。自分で決めないといけないんです。シロさんにもそう言われたんです」


 よもぎはひと呼吸いきつくと今度はうって変わって真剣な目でヒロキと可憐の顔を見る。やけに大人びて見えたその瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「だから……だからよもぎは旅立ちます。そして審判をあおいでちゃんと成仏します。ヒロキさん、可憐ちゃん、短い間だったけど、よもぎは楽しかったよ。ありがとう、ほんとにありがとう」

「待てよ、よもぎ。勝手に行くなよ、よもぎ!」


 ゆっくりと上昇を始めるよもぎの腕をヒロキは一歩踏み出して掴もうとしたが可憐がそれを引き止めた。

 ヒロキの腕を掴みながら可憐は「だめ、だめよヒロキ」と叫ぶ。そしてヒロキの目を真っ直ぐ見つめて否定するようにゆっくりと首を振った。

 ヒロキは再びよもぎに向き直る。その身体からだは既にヒロキの身長よりも高いところまで上昇していた。よもぎは気丈な笑みをたたえながら二人に最後の言葉を投げかけた。


「ヒロキさん、可憐ちゃん。よもぎ、すっと応援してるから。二人のこと、ずっとずっと応援してるから」


 よもぎは溢れる涙をそのままにおどけた敬礼をして見せる。そしてその目を拭うと二人に向かってバイバイするように手を振った。

 よもぎは再び白い光に包まれながら上昇していく。輝きを増すよもぎの輪郭がだんたんぼやけて光の玉に変化へんげする。やがてそれが小さな星の瞬きほどになると、あっという間に光速の彼方へと消え去っていった。

 ヒロキと可憐はしばし呆然と上空を見上げていたが、やがて強い光の眩惑から視界を取り戻したとき、目の前には何事も無かったかのように街路灯の薄明かりに照らされた薄暗い境内が広がっているだけだった。



「なんなんだよ、なんなんだよ、あいつ。勝手に……自分だけで……決めやがって」


 ヒロキは肩を震わせながらそうつぶやくと右腕で顔を拭った。可憐はそんなヒロキの後ろ姿を見つめながら、その左手を両手で包み込むようやさしく握った。

 静まり返った境内を白い街路灯の明かりが冷たく照らす。四方からの光を受けてアスファルトの上にはヒロキと可憐の影が三重、四重になって映し出される。それらは濃く薄く印影を重ねながら夜風の中でかすかに震えていた。

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