第80話 ハイテンションで乾杯!

 ヒロキと可憐が涼多りょうたの指定した店の前に着いたのは午後五時を少し過ぎた頃だった。二人がいた寺から程近いその店は幹線道路から一本裏手に入ったところにあった。間口一間いっけんほどの入口には柿色の半暖簾が掛かっており、その三はばの暖簾の向かって一番左には店名である「小料理ふく」の文字が白抜きされている。そしてこの店に何度か足を運んだことのあるヒロキが前に立って暖簾をくぐり、続く可憐を招き入れた。

 店内は向かって右側に深い飴色の天板が重厚な雰囲気を醸すL字形のカウンターがあり、左側の壁沿いには二人掛けと四人掛けの小さな席が設けられている。店内には有線放送と思われる懐かしの歌謡曲が流れ、カウンターの奥には小さなテレビが置かれていることから常連が中心の気取らない店であることがわかる。そしてその小さな四人掛け席に入口を向いて陣取っているのが涼多だった。

 涼多は待ってましたとばかりに大きく手を振ると二人に駆け寄り、可憐を席までエスコートした。


「すみません、少し遅くなりました」


 ヒロキはテーブルの前で涼多にペコリと頭を下げると、つられて可憐も小さく礼をした。


「まあまあ固いことなしにさ、座って、座って。てかさ、お前らってほんとにいいコンビだよな。あっコンビじゃなくてカップル? てかカップルなんて死語か? アハハハ」

「涼多先輩、なんかテンション高くないっすか? ひょっとしてもう飲んでる?」

「そりゃうれしいさ。お前のことはどうあれ、これからはきれいな後輩までできるんだし」

「いや、先輩、まだ決まってないし」

「まあまあ、細かいことは抜きにして座って、座って」


 こうして涼多にすすめられるままにヒロキと可憐は小さな席に並んで座った。可憐がもの珍しそうに初めて訪れた店の中を見渡しているとカウンターの一番奥の席にひとりグラスを傾ける女性がいることに気がついた。それはさっき会議室で挨拶を交わした神崎こうざき香苗かなえだった。可憐はヒロキに恐る恐る尋ねた。


「ねえ、あの人ってさっきの……」


 その問いに答えたのはヒロキではなく涼多だった。


「そう、神崎こうざき香苗かなえGMジーエムです。あそこはね、香苗さんの指定席なんだ」


 そして涼多は続けてカウンターの奥に向かって叫んだ。


「ママ――、全員揃ったのでお願いしま――す。GM、じゃなかった、香苗さんもこっちに、お願いします」


 涼多の呼びかけに応えるように香苗はこちらを向いてヒロキと可憐に微笑みかけるとグラスと小鉢を手にして涼多の隣に座った。


「この店にはメニューらしいメニューなんてなくてさ、あそこの大皿に載ったのを盛り付けてもらって、あとは今日のおすすめを適当にって感じなんだ。さあ、神子薗みこぞのさんも遠慮しないでどんどん頼んで。おっと、最初はどうする? とりあえず生でいいか?」


 一気にまくし立てるように話す涼多に香苗が牽制のツッコミを入れる。


「涼多君、神子薗さんが困ってるわよ。こういうときはね、男が気を利かせて用意してあげるの。そして、嫌いなものや食べられないものはないか、ってことだけを聞けばいいのよ。さ、理解できたならさっさとママのところへ」


 香苗がカウンターを指し示すとヒロキがすぐに起立してカウンターの前に立ち、ママと二言三言交わした後に突き出しの盛り合わせを盆に載せて戻って来た。そしてヒロキはもう一度カウンターに向かうと今度はなみなみとビールが注がれた4杯のジョッキーを両手に抱えて来た。


「おっ、ごくろう、ごくろう。大丈夫か?」


 そう言って涼多はジョッキーの半分を受け取って可憐と香苗の前に置いて席に座ると大きく息を吐いた。その一連の流れを見ていた香苗があきれ気味に口を開く。


「ねえ涼多君、今日の飲み会の主旨って何だったかしら?」

「そりゃヒロキの入社と神子薗さんの……」


 涼多の言葉がそこで詰まる。すかさず香苗は涼多に二度目のツッコミを入れた。


「でしょ? ということはそこに立ってる太田クンは今日の主賓よね?」


 涼多はしばし固まった後、ヒロキと可憐に向かってバツの悪そうな顔を向けた。


「全然OKっすよ涼多先輩、オレなんか今さら新入社員って感じじゃないし。だから香苗さんもほどほどでお願いします」


 ヒロキはそう言って席に着くと可憐の前におしぼりと箸を置いた。

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