第79話 ヒロキと可憐

「ほんとに大きいわね。これなら大仏様って思われても仕方ないわ」

「だろ? オレも初めて見たときは大仏だと思ったんだよ。でもさ、笠かぶってるし、スキンヘッドだし、赤い前掛けしてるし、それより何よりここに地蔵って書いてあるから、やっぱお地蔵さんなんだよな」


 そう言ってヒロキが指さす石柱には「地蔵菩薩坐像じぞうぼさつざぞう」の文字が彫られていた。

 傾き始めた初夏の日差しは寺を囲むビルの高さに遮られてアスファルト敷の境内を既に日陰にしているが、建物の隙間を抜けて届く淡い光が大きな坐像の頭部のみを暖色に照らしていた。ヒロキと可憐はその姿を並んで見上げていたが、そんな二人の間にはちょうど半歩程のがあった。そしてのそのは縮むことなく無言の時間だけが経過していった。


「ねえ、太田クン」


 静寂を破ったのは可憐だった。


「シロが九尾を成敗した日の晩、私はとても疲れて家に着いたら夕食も食べずにベッドで寝てしまったの」


 可憐は坐像を見上げたままで話を続けた。


「おかしな夢を見たわ。大昔の世界でね、太田クンも私も大きな怪物と戦ってるのよ。まるでファンタジーの世界。あんなことがあった日だもんね、きっと記憶が混乱してそんな夢を見たんだと思う」


 可憐は小さなため息をつくと見上げていた視線をヒロキに向けた。咄嗟のことに慌てたヒロキはつい可憐から視線を逸らせてしまう。可憐はそんな彼を気にも留めずに話を続けた。


「それがね、おかしいの。太田クンも私もお互いを名前で呼んでたのよ、古戦場みたいなところでね」


 可憐はヒロキの方に向き直ってもう一度ヒロキの顔を見る。ヒロキも今度は真っすぐに可憐の顔を見た。


「私、決めたの。夢って自分の潜在意識が表れるものでしょ。きっとこうなるのが自然なんだと思うの。これは誘導とかそういうのじゃなくて、私の本当の気持ちなんだと思う」


 可憐はヒロキを真っすぐ見つめる。そして覚悟を決めて言った。


「たった今から私、あなたのことを名前で呼ぶことにするわ。いいでしょ、ヒロキ」

「ど、どうしたんだよ突然。そんな、いきなり」

「ねえ、ヒロキ。ヒロキはどうなの? 私は……私はヒロキのことが好きよ。恋してるとか愛してるとかそういう感情と同じなのかどうなのかはまだわからないけど、こうしていっしょにいるだけでとても安心できるしヒロキと過ごす時間が心地良いのよ」


 ヒロキは突然のことに内心あたふたとしながらもそれをなるべく気取けどられないよう精一杯の冷静さを演じていた。そして慎重に言葉を選びながら答えた。


神子薗みこぞの、オレにとって君は……師匠であり先輩であり後輩でもあって、とにかく最初のうちは君に頼ってばかりだった。でもあいつ、ハーレム男とのことがあってからはそれが変わってきたんだ。その、なんていうか……オレが神子薗を……いや、可憐を守らなきゃいけないんだ、って。だから、オレはこれからも可憐を守る。オレなんかに何ができるかわからないけど、でもこれがオレの気持ちだ」


 ヒロキは一気にまくしたてると大きく息をついた。


「神子薗、じゃなかった、可憐、なんかオレ、ギリギリだよ。こんな展開、初めてだし」

「私もよ、ヒロキ。でもね、今がそのタイミングだと思ったの。香苗かなえさんも言ってたようにね」


 可憐も吹っ切れたのだろう、晴れやかな笑みをヒロキに向けた。夕陽に映えるその笑顔にヒロキは今までにない愛おしさを感じた。

 ヒロキは右手を伸ばして可憐の左手を取るとそれをやさしく握る。そしてその手を引いて可憐を自分の隣に引き寄せた。可憐もまたそれに合わせてヒロキに身を任せる。そして二人は互いの手を握ったまま目の前の坐像を見上げた。


「お地蔵様が証人ね」

「可憐、なんかそれってプロポーズとかみたいな……イテッ」


 ヒロキの言葉が終わる前に可憐の手刀しゅとうが彼の頭上に振り下ろされた。そして初めて見せる悪戯っぽい笑みでヒロキの顔を見上げるのだった。



 ヒロキにはまだ解決できていない問題があった。それはよもぎのことだった。九尾きゅうびとの一件以来、よもぎは新しいしろとなった勾玉まがたまに入ったきり出て来る気配すらないのだった。


「確かに気になるわね。あの日シロと何を話したのかも未だにわからないし」


 二人は暮れなずむ境内を歩いて本堂の前に立つ。そろって一礼するとヒロキは石段に腰を下ろした。可憐は境内の反対側で夕陽に顔を赤らめている大きな地蔵を見ながらヒロキに問いかける。


「ところでヒロキはよもぎちゃんのこと、どう考えてるの? よもぎちゃんに対する気持ちとか、その……恋愛感情みたいなものとか」


 ヒロキは石段に腰かけたまま可憐を見上げてその問いに答えた。


「そうだなあ、あえて言うなら妹みたいなものかな」


 ヒロキは夕暮れ時の空を見上げて続けた。


「実はさ、初めてあいつを見たときには戸惑ったよ。だってさ女子高生だぜ。それがひとつ屋根の下にいるなんて、それも幽霊だって言うし。でもさ、あいつには悲壮感とかそういうのが全然なくて、それにオレもいろいろと世話を焼いたりしてるうちに居るのがあたりまえのようになってきて、家族って言うのかなぁ、そんな感じになって、なんだかまるでアニメに出てくる妹キャラみたいになってさ」


 ヒロキは照れくさそうに笑ってそう答えた。するとそのとき、ヒロキの頭の中によもぎの声が響いた。


「それでいいんですよ、ヒロキさん」


 ヒロキは突然の声にどぎまぎした様子で周囲をキョロキョロと見渡した。


「ヒロキ、どうしたの? もしかして……」

「今、よもぎの声がした。それでいいんだ、って」

「よもぎちゃんの?」


 可憐はヒロキの両手を掴んでヒロキの首から下がる勾玉まがたまに話しかける。


「よもぎちゃん、聞こえたら返事して、よもぎちゃん」


 しかしヒロキへのその一言を残したきり、再びよもぎの声が返ってくることはなかった。

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