第78話 ステキなタイミング

 涼多りょうた、ヒロキ、可憐の三人はタクシーの後部座席に並んでいた。奥から可憐、ヒロキ、涼多の順に座ったが三人それぞれが荷物を膝に載せていたため窮屈な感は否めなかった。


「涼多先輩、いいんですか? タクシーなんて使って」

「ヒロキは心配性だなぁ、まるで主夫しゅふ! ねえ、ミコちゃん、将来所帯を持つならこういうヤツがいいんだよ。こいつなら家事全般どころか家計簿までつけそうだろ?」


 涼多はそう言って可憐に笑いかけたが可憐は恥ずかしそうに下を向くばかりだった。そしてそんな可憐を横目に涼多は二人に問いかけた。


「ところでお前らさ、つきあってるんだろ? なのにどうしておたがい苗字で会話してんだよ」

「いや、オレたちは、そういうのじゃなくて……」

「その……私たちは……」


 涼多からのツッコミに二人は真っ向からの否定こそしなかったものの歯切れ悪くと口ごもるばかりだった。


 大学を出てから十数分、三人の会話が弾み始めるより先にタクシーは涼多が勤める会社の前に到着した。新宿御苑にほど近いビルのロビーでヒロキと可憐が待つ間、涼多は入館証を兼ねた社員証を首からぶら下げてそれをかざしながら受付で何やら手続きを始めた。


「お前ら携帯とかスマホとか通信手段になるものを持ってるなら一旦ここに預けてくれ」

「先輩、スマホ壊れちゃって、代わりにノーパソ持ってるんだけどこれもかな」

「もちろん。それと神子薗みこぞのさんは?」


 ヒロキはバッグからノートPCを可憐はトートバッグからスマートフォンを取り出す。二人はそれらと引き換えにGUESTと書かれた赤い入館証を受け取ると涼多にならってそれを首から下げた。可憐は周囲を気遣いながら小声でヒロキに耳打ちする。


「よもぎちゃんのしろ、スマホじゃなくてよかったわね」

「確かにな。まさかここでよもぎを連れて歩くわけにもいかないし、新しい依り代になってよかったよ。おっと、神子薗、オレたちの勾玉まがたまも一応シャツの中に」

「そうね、会社だもんね」


 二人は先を歩く涼多にとともにエレベーターで七階に上がるとオートロックで施錠された会議室に通された。


「お二人さんはここ待っててくれ。GMジーエム……いや、マネージャーを呼んでくるから」



 程なくして三回のノックとともに涼多が戻って来た。


「よ、マネージャーに来てもらったぞ。GM、さ、どうぞ、太田と神子薗みこぞのさんです」


 涼多はドアの脇で片手を広げて背後の女性を部屋に招き入れる。黒いパンツスーツが似合う女性はヒロキと可憐に席に着くよう促して自分も席に着く。そして赤みががった栗毛色のストレートヘアをさらりとかき上げるとにこやかに自己紹介を始めた。


「初めまして……って、太田君はそうじゃないわよね。そちらの神子薗さんは初めてね。私は神崎こうざき香苗かなえ、開発部門でゼネラルマネージャーを担当しています。みんなは略してGMジーエムって呼んでるわ」


 勝手知ったるヒロキはくつろいだ様子だったが可憐は香苗とは初対面、その颯爽として自信に満ちた立ち振る舞いに完全に圧倒されてずいぶんと緊張しているようだった。


「神子薗さん、そんなに緊張しないで楽にして……って、あ、そうか、ごめんね、気が利かなくて」


 香苗はおもむろに振り向くと後ろに立つ涼多に飲み物を用意するよう命じた。


野々宮ののみや君はね、仕事はできるのよ。でもね、ちょっと抜けてるところがあるのね」


 そう言って香苗は可憐に微笑みかけると可憐もつられて微笑み返した。


「とにかく気を楽にしてね。でも太田君は緊張してしかるべきよね」


 いきなり話題を振られたヒロキは慌てて姿勢を正す。確かに就活に来たのはヒロキの方だ。しかし今日これまでの涼多のノリと通い慣れた会社ということでつい気を抜いていたのは確かだった。

 しまった、いくら顔なじみとは言え入社の面接ならば話は別だ。急にプレッシャーを感じ始めたヒロキはあらためて背筋を伸ばした。


「それでどうかしら、こちらも口約束にならないようそれなりの書類も用意するし、マジで考えてくれないかなぁ」


 実はヒロキにとってこれは願ってもない話だった。これまでの経験も生かせるしやりがいのある仕事だ。しかしやはり就職は人生を左右するもの、ヒロキは即答を躊躇していた。


「まあいいわ、今ここで答えを出さなくても。でもね、人生にはステキなタイミングってのがあるのよ。肝心なのは目の前に訪れたチャンスを逃さず確実にモノにすること。とにかく太田君、よい回答を待ってるわ」


 そのとき涼多りょうたが人数分のコーヒーをトレイに載せて戻ってきた。勧められるままカップを手にした可憐にも香苗はにこやかに問いかけた。


「ところで神子薗さん、あなたはプログラミングとかシステム設計に興味はあるかしら。もしあなたにその気があるならバイトから始めてみない?」



 それから会議室の四人は軽い世間話の後、香苗が打ち合わせがあるとの理由で席を立つ。すると涼多はすかさず香苗に今夜の予定を確認した。


「GM、今夜の件ですけど……」

「わかってるわ、いつものところでしょ」

「はい、小料理ふくです。電話入れておきます」


 香苗を見送った涼多も腕時計に目を落とす。時刻は午後四時にならんとしていた。


「さてと、お前ら二人はこれからどこかで小一時間ほど時間つぶして来てくれ。お茶くらいなら領収書をとっておけば後で精算するし。ヒロキ、場所はわかってるよな」

「今、聞こえました。小料理ふく、でしょ?」

「そう、ふく。ふくに五時、晩飯にはちょっと早いけど、いいよな」



 涼多のエスコートで一階の受付に戻ったヒロキと可憐は入館証と交換に預けた荷物を受け取って会社のビルを後にした。


「神子薗、どうだった? えらく緊張してたみたいだったけど、大丈夫か?」

「ええ、なんとか……でもあのマネージャーさん……」

香苗かなえさんか?」

「そう、なんか圧倒されちゃって。いかにも仕事ができるってオーラが出ていて、あのパワーにすっかり押されちゃったわ……って、そう言えば会社ではみんな下の名前で呼んでるの?」

「いや、そんなことないんだけど、あの人はね、涼多先輩の……」

「彼女?」

「いや、まだ……というか、涼多先輩の一方的な想いみたいなもんかな」


 ヒロキは歩きながら腕時計を確認する。


「ところで神子薗、この近くに大きなお地蔵さんがあるんだ。今夜行く店にも近いしせっかくだから見て行かないか?」

「そうね、気分転換にちょうどいいかもね。いいわ、行きましょう」


 そう快諾する可憐の顔はどこか楽しそうだった。

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