第75話 ヒロキのユメ

 駅のバスターミナルで可憐を見送ったヒロキは帰宅するなり部屋の明かりもつけずにベッドに倒れ込んでしまった。ヒロキは閉じかけた重たい瞼で首から下がる勾玉をつまんで目の前にかざす。窓の外から届く小さな光が銀の玉の内部で乱反射して暗い部屋の中でぼんやりと光を蓄えていた。


「よもぎもよくがんばったよな。もう心配はいらない、とにかく今はゆっくり休もうぜ」


 そしてよもぎの新しいしろとなった勾玉まがたまを見つめながら、ヒロキはいつしか深い眠りに落ちていくのだった。



「ねえ、ヒロキはさ、自分の部屋ではいつも紅茶よね、学校だとコーヒーなのに。ずっと不思議に思ってたのよ」

「まあ、その、いつも紅茶だからさ、外ではコーヒーがいいかな、なんて」

「なによ、その答えになってるような、なってないような……」

「可憐ちゃん、可憐ちゃん、よもぎは知ってますよ。ヒロキさんなりの理由があるんですよ」

「ええっ、なになに、ちょっと知りたいわ、それ」

「それはですねぇ……」


 人気ひとけのない昼下がりの学内カフェテリアで自販機のコーヒーを前にしたヒロキ、可憐そしてよもぎの三人は他愛のないおしゃべりを楽しんでいた。

 しかしそんな和やかな気分を打ち破るようにヒロキは突如暗闇に包まれる。すると目の前では金色の妖狐、九尾のたける姿と白狐に変化したシロの激闘、妖しいメイドたちと闇に消えるなずな、それはまさにあの記憶の再現そのものだった。


「よもぎ、大丈夫か?」


 よもぎを守るようにして立つヒロキが後ろを振り返ると、そこには革紐で器用に加工された勾玉を手にして微笑む可憐の姿があった。

 暗闇から一転、そこはいつものヒロキの部屋、シロから授かった勾玉を可憐はそれを首から下げられるようにと飾り結びとともに加工していた。


「すごいな、可憐にこんな特技があったなんて」

「どうかしら? なかなかのもんでしょ」

「ありがとう、大事にするよ。可憐、ほんとうにありがとう」


 そんな満ち足りた気分に包まれながらヒロキは急激な眠気に包まれる。


「ごめん、可憐……オレ、なんだか眠くて……なんだか……」

「いいのよヒロキ、ゆっくり休んで」


 ふんわりとした安心感に包まれながらヒロキはそのまま深い眠りに落ちていくのだった。



 初夏の朝日が窓ガラスを明るく照らす。その光と顔に感じる少しばかりの暑苦しさでヒロキは目を覚ました。時計は朝の七時を指している。いつもならばキッチンでよもぎがおなじみの鼻歌を口ずさみながら朝の紅茶を準備している頃であるが、しかし今朝はそんな気配もなく、締め忘れたカーテンのおかげでやたらと明るいだけのさまがかえって静けさを強調していた。

 まぶしい光に包まれた部屋の中でヒロキはぼんやりと天井を見つめながらおぼろげになった夢のシーンを思い返してみた。


「可憐……か」


 確かにヒロキは夢の中で「可憐」と呼んでいた。そしてそれはヒロキにとって違和感のないまったく自然なことだった。


神子薗みこぞの……可憐かれん……」


 その名をつぶやくたびにヒロキの中に可憐の姿が思い出される。

 それは強気で居丈高な姿だったり、何事にも自信たっぷりの姿だったり、ヒロキの頭めがけて手刀しゅとうを振り下ろす姿だったり、心細く自信なさげにうつむく姿、そして勾玉を手にやさしく微笑む姿だった。まるで古いアルバムを眺めているような懐かしい気分、そしてよもぎと二人で楽しそうに歓談する可憐の姿が思い浮かんだとき、ヒロキは思い立ったように起き上がると誰もいない部屋の中で声を上げて問いかけた。


「よもぎ、おい、よもぎ、いるんだろ?」


 ヒロキは首に下げた勾玉を手にして、それに向かってなおも呼びかける。


「どうしたんだよ、黙ってないでなんとか言ってくれよ」


 しかしよもぎがいつものように屈託のない笑顔でヒロキの目の前に現れることはなく、勾玉は薄ぼんやりとした光を浮かべているだけだった。

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