第73話 シロの述懐

 深夜零時の空腹感、可憐は帰宅してから食事もらずに眠ってしまったことに気付く。夕食は何だったんだろう、軽く食べようか、いや、この時間に食べると眠れなくなるし太る原因になるだろう。そんなことに心巡らせながら起きるでもなくベッドに身を横たえていたそのとき、可憐の視界の端に白い影が映った。

 可憐は慌てることなく落ち着いた気持ちで影を見つめる。影の主は可憐が予感した通りシロだった。四本の尾を揺らしながらシロは狐の姿で壁際に座っていた。可憐はゆっくりと身体からだを起こすとベッドに腰かけてシロに言葉をかける。


「ずいぶんと久しぶりな気がするけど、まずはお礼を言わないといけないわね。シロ、太田クンとよもぎちゃんのこと、ほんとにありがとう」


 シロは可憐の目を見つめたまま尻尾だけをゆらりと揺らしてその礼に応えた。


「ねえ、シロ。いろいろ聞かせてもらいたいことがあるんだけど、今ならもう話してくれるかしら」


 シロはまたもや尾だけを揺らしてそれに応えた。可憐もシロの同意を察して話を続けた。


「これまでシロは私にアドバイスもくれたし助けてもくれた。でも今回は私がハーレム男に襲われそうになったときですら出てきてくれなかった。あれはちょっとショックだったわ。だって今までだったら……」

「可憐よ、お前はヒロキ殿、よもぎ殿と三人で協力してあの難敵なんてきのぞみ、見事に打ち勝ったではないか。それこそが答えだ」


 シロは可憐の言葉を遮ってそう答えた。


「私たちに三人で臨めって言ってくれたシロの言葉、これがそういうことだったのね。でも、それならそうと……」


 そのときシロの身体からだ全体が白く輝き出した。その光は可憐の全身をも包み込んだ。可憐は静かに目を閉じてその身を光に委ねる。やがて瞼の向こうに光が消えたことを感じた可憐がゆっくりと目を開いてみると、そこに広がる光景は幼い頃に初めてシロと出会った稲荷堂の前だった。



 そこには純白の巫女となったシロが立っていた。遅い午後の柔らかな日差しがシロの装束に淡い暖色の印影を浮かび上がらせている。可憐は正面に立つシロを前にして姿勢を正した。シロは可憐を優しい眼差しで見つめながら口を開いた。


「可憐よ、此度こたび九尾きゅうびを止め冥界にかえすためには彼奴きゃつわれの存在を悟られぬようにせねばならなかったのだ。彼奴きゃつはこれまでも捕縛ほばくされては逃亡を繰り返してきた。それ故、気配を察する能力が非常に高いのだ。傀儡くぐつを介したとは言え、広範囲でよもぎ殿の存在を捕捉したのはお前も知っての通りだ。それ故いつものようにわれがお前と共にったならば彼奴きゃつはすぐにそれを察知して早々に逃げ去ったであろう。そうなれば再び彼奴きゃつの居所を見つけるのは相当に難儀なことなのだ。彼奴きゃつを逃がさぬためにはわれの気配を消しておくより他に方法がなかったのだ」

「ちょっと待って、シロ。それじゃまるでシロはずっと前から九尾があいつに憑いていることを知ってたみたいじゃない」

「左様、彼奴きゃつが俗世に降り立ったのは可憐、お前が生まれるよりずっと以前のことだ。ああ見えてもの世には彼奴きゃつを慕い協力するやからがまだ少なからずいる。此度こたびもそういった輩を丸め込んで逃げ出したようだ。われは再び彼奴きゃつを捕えんと後を追って俗世に降りたのだ。そして数多あまたの神に協力を仰ぎて彼奴きゃつを追跡するうちにこの地に潜んでいることを掴んだのだ」


 回想でもするように語っていたシロが、ひと呼吸して今一度可憐を見据える。


われ彼奴きゃつを追い込み居所を突き止めるためには俗世で自由に動き回ることができる身体からだが必要だった。所謂いわゆるしろだ。可憐、お前は生まれながらにして能力を授かっていた。それに身内には仏に仕える者もった。そしてお前はわれを認識し接触することができた。これ以上にふさわしい者はいない。われはお前を依り代とする代わりにお前を護っていたのだ」

「そんな……それじゃ今まで私を護ってくれていたのは……」


 シロの突然の告白に可憐は動揺した。鼓動は高鳴り、気は高ぶり、目からは自然と涙があふれてきた。


「シロ……ひどいよ、そんなの……ひどいよ!」

ゆるせ、可憐。われにとっては九尾の捕縛ほばくこそが天命であったのだ」


 可憐にとってシロは守護者であり良き友でもあった。少なくとも可憐はそう考えていた。しかしシロはそうではなかった。今、可憐の中では怒りや失念の感情よりもこのままシロを失ってしまうのではないかという不安や悲しみでいっぱいだった。

 なぜシロは今になってこんな告白をしたのか、それも九尾の件が解決したこのタイミングで。それはこれからシロが天命と呼ぶ本来の使命を果たすため、この世ではないどこかに戻らねばならないことを自分に伝えるためであろう、可憐はすぐにそう察した。

 可憐は涙を拭いながらシロに問いかけた。


「シロ……シロはこのままシロの住む世界に帰るのね。だからこんな話をしてるんでしょ? それならば、私の元から去る前に教えて欲しいことがあるの。それは太田クンとよもぎちゃんのこと。あの二人もシロが引き寄せたの?」

「それは偶然でもあり必然でもあった。よもぎ殿とヒロキ殿を引き寄せたのはわれではない。よもぎ殿を庇護ひごしていたお方、大ケヤキ神社の御神木ごしんぼく様だ。真意は知らぬがあのお方は自らの身を犠牲にしてまでもよもぎ殿を護っておったのだ」


 シロはここで一息つくと再び回想するかのように続けた。


「そしてわれのところによもぎ殿を付け狙う者がり、それに九尾が絡んでいるらしいとの知らせが届いた。同時にヒロキ殿がよもぎ殿の依り代となったことも。しかしヒロキ殿が可憐と同じ大学に通っていたこと、これはまったく偶然の賜物であった。これぞ僥倖ぎょうこうわれは九尾にもう一歩近づくために可憐とヒロキ殿を引き合わせることにしたのだ。しかるにこれはあらゆる条件がうまい具合に噛み合った、まさに千載一遇の機会だったのだ」


 シロの述懐を聞き終えた可憐は未だ止まらぬ涙を拭い続けていた。


「それって……それって私だけじゃなくて、太田クンもよもぎちゃんもみんなシロのてのひらの上にあったってわけね」


 その言葉を聞いたシロはゆっくりと可憐に近づいて諭すように続けた。


「可憐よ、われわれ自身がお前の成長に影響を与えてしまったことを悔いておったのだ。お前を護るためとは言え、いささかお前の生き方に干渉し過ぎたのではないかと。しかし此度こたびのことでお前はわれを頼らずとも問題を解決できた。それに今ではともに手を取り想い合う相手もおるではないか」

「ともにって、それって……太田クンのこと?」


 シロはそっと目を閉じると黙って頷いた。

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