第70話 決断のティータイム

 白いサイディング張りの壁に小さな玄関ドア、広がる萌黄もえぎ色の下草の向こうには白樺の林、古い海外ドラマにでも登場しそうなアーリーアメリカンスタイルの家がそこにあった。

 玄関のすぐ脇にはレンガ張りのポーチがあり、そこには眼前の草地と林を借景にした白塗りの丸テーブルと二脚のチェアが配置されている。今、よもぎはこのチェアに座って落ち着いたひとときを満喫していた。白樺の林からは時折心地よい風が吹き抜けてよもぎの髪をなびかせると、目の前に置かれたティーカップの紅茶に映る雲の影もふるりと揺らいだ。


「あ――いいなぁ。よもぎ、こういう雰囲気大好きなんです。それに憧れでもあるんです。将来はこんなかわいいお家で、なんて」


 よもぎはさわやかに広がる空を見上げてそう言うと並んだチェアに座るシロに微笑みかけた。


「シロさんは……やっぱシロさんは和風が似合うのかなぁ」

「うむ悪くない。たまにはこのような雰囲気もよいものだな」


 シロは目の前のカップに手を伸ばして紅茶を口にした。


「ここはよもぎ殿がもっとも安らぐであろう環境を具現化したものだ。お気に召されたようで何よりだ」


 そしてよもぎとシロの二人はしばらくの間、何をするともなく語ることもなくただ柔らかな日差しとそよ風に身をまかせていた。

 そんな静かなひとときを破ったのはシロの言葉だった。


「ときによもぎ殿、此度こたびは真にご苦労であった。毅然とした態度で九尾に立ち向かい、傀儡くぐつまでをも気遣う其方そなたの立ち振る舞いは実に見事であった」

「そんな、そんな、シロさん、大げさですよ。よもぎはあのお屋形……じゃなかった九尾とかハーレム男にムカついただけで……」


 シロはよもぎの言葉を制するとよもぎの方に向き直った。


「ときによもぎ殿、其方そなたはこれからどうするつもりなのだ?」

「よもぎはヒロキさんのスマホが直ったらまたヒロキさんのところに戻ります」


 よもぎは相変わらずの笑顔でシロに答える。しかしシロはよもぎの顔を見ずに目を閉じたまま考え込んでいるようだった。そしてゆっくりと目を開くと諭すように語り始めた。


「よもぎ殿、われ其方そなたも人ならざる者なのだ。それゆえわれらは人の一生に比べれば悠久とも言える時間のもとにあることを認識せねばならぬのだ」



 その言葉が終わると木々のざわめきとともに一瞬の風がよもぎの小さなおさげ髪を揺らした。よく見るとその顔に悲しみの表情が浮かんでいた。


「それって、よもぎはもうヒロキさんのところに戻れないってことですか? それとも戻ってはいけないってことですか?」


 強めの語気で問うよもぎにシロは表情を変えずに淡々と答えた。


「答をいているわけではない、其方そなた心持こころもちの話である。人の命ははかなく短い。ヒロキ殿も可憐もいずれは老いて天寿をまっとうするときが来る。さればよもぎ殿、その後其方そなたはどうなさるつもりか?」

「それは……」


 よもぎはシロの言葉になにも返すことができず、ただ黙り込むだけだった。しかしシロは更に続けた。


其方そなたけがれることなく俗世に残れたのは其方そなたを庇護する者がったからに他ならない。しかしその者も今はもう俗世には居られない」

「シロさん、それって、あの神社の御神木様……?」


 シロは目を閉じてゆっくりと頷いた。


「よもぎ殿、ヒロキ殿が俗世から旅立ったならばそこに其方そなたを護る者は居らぬ。そしてそのまま俗世に残り続ければいずれは穢れとなってちて行くであろう」

けがれ……」

「そう、穢れだ。其方そなたも見たであろう、九尾きゅうび傀儡くぐつどもを」

「あの、メイドさんたち……なずなさん以外の……」

「あれは不遇の末に俗世に取り残され穢れとなった者どもだったのだ。まさにれのてというもの。それを九尾が使役していたのだ」

「そんな……よもぎ、いやです、あんなのいやです!」


 よもぎはシロに向き直って声を上げた。


「よもぎ、ヒロキさんと一緒に行きます。ヒロキさんにそのときが来たらよもぎもヒロキさんと……」

「それはできぬ!」


 これまでになく強いシロの否定によもぎはビクッと肩を震わせた。


「天寿をまっとうし成仏の道を行くには条件がある。其方そなたはその条件を満たして居らぬ。しかるに今のままでは成仏することはできぬのだ」

「そんな……それじゃよもぎは、よもぎはどうなるんですか?」

「方法はある。幸い其方そなたは評価されるだけの功労を得ている。あとは其方が其方の意志を以って決めることだ。よもぎ殿、其方にはまだ迷いがある。その迷いを断ち切り、昇華させることで自ずと道は開けるであろう」


 よもぎはすっかり黙り込んでしまった。シロはそんなよもぎに苦言も甘言も投げかけずに、その様子をただ見守るだけだった。

 そしてまたもや心地よい風がよもぎとシロの間を吹き抜ける。


「さて、よもぎ殿、そろそろヒロキ殿が戻る頃であろう。まずはヒロキ殿をねぎらってやることだ。そして今一度彼らと時を共にして其方がこれから進むべき道を決めるがよい。ここからはよもぎ殿、其方自身が決めて臨むのだ」


 その言葉を最後にシロの姿は霧散するように消えてしまった。テーブルに残されたティーカップの中では反射するやわらかな陽の光が揺れていた。



 よもぎが目の前に広がる白樺の木々に目を向けたとき、彼女の視界に飛び込んできたのは清冷せいれいな景色ではなく、いつもの見慣れたヒロキの部屋だった。そしてそこにはこちらに背を向けてちゃぶ台に座る可憐の姿があった。


「えっと、確かこうだったわよね……そうだそうだ、思い出した、よし」


 可憐はヒロキから預かった勾玉の加工に悪戦苦闘している最中だった。よもぎはそんな可憐にいつもとは違う温かさを感じた。そしてすぐには声を掛けずにしばらくの間その後姿を見つめていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る