第69話 ヒロキ、目覚める

 遠く聞こえてくるざわめきの中に自分を呼ぶ声があった。喧騒で飛び交う会話もまた徐々にハッキリとしてきた。


「頭を打っていると思われます。なるべく動かさないように」

「担架の準備は?」

「そっちはどうだ? そっちを先に搬送して!」


 野太い男たちの声に混じって聞き覚えのある懐かしい声が混じる。


「太田クン……太田クン……」


 ぼやけた頭に響くその声の主が可憐であることはすぐに理解できた。それに応えようとヒロキがゆっくりと目を開くと眩しい光とともに視界に飛び込んできたのは自分を覗き込む二つの顔だった。ひとつは白いヘルメットと大きなマスクで目だけがギョロリと見えている男、そしてもうひとつは不安気に覗き込む可憐の顔だった。ヒロキが目覚めたことを確認したマスクの男は背後の者にその旨を伝えると再びヒロキの顔を覗き込んで静かに言った。


「大丈夫ですか? 頭を打っておられるようなのですぐには起きないでください。お名前は、ご自分のお名前はおわかりですか?」

「太田……太田ヒロキ……です。あの……オレ、どうなったんですか?」


 マスクの男はヒロキの問いには答えず、マスクを着けたままのくぐもった声で背後の者に伝える。


「こちら、意識回復、レベル問題なし、担架の用意をお願いします」


 ヒロキは顔を左に向ける。するとそこでは可憐が胸を撫でおろしていた。


「太田クン……よかった、意識が回復して」

「そうだ、ハーレム男、あいつは? クソッ、オレのスマホを壊しやがって」

「スマホは警察が……ハーレム男は今さっき救急車に運ばれたわ」

「警察? 救急車?」

「太田クンが倒れた後、すぐにお店の人たちで取り押さえようとしたら、あいついきなり泡吹いて倒れちゃったのよ。全身が痙攣しててね、それで慌てて救急車と警察を呼んだの」

「そうか……あいつ、こっちではそんなことになってたのか」

「太田クンだって、呼吸が落ちてこのままどうなるのかって」

「オレは……どうやら別の世界に連れて行かれてたみたいだ。あれは夢だったのか何だったのか」


 そのときヒロキは可憐が自分の左手を握り続けていることに気がついた。可憐はその手を握ったまま続けた。


「私にも全部見えてたわ。太田クンが倒れたときに手を握ったら太田クンが見ているものが映像のような記憶のような感じで私の頭の中に流れ込んできたのよ」

「なんだそりゃ、そんなことってあるのか?」

「私にも理解なんてできないわ。でもシロの勇ましいコスチュームや九尾との戦いの記憶は確かに私の中にも残ってるもの」

「見てたのか、シロのあの姿を」

「もちろん、よもぎちゃんの勇ましい姿もね。あれは武勇伝になるかもね」


 ヒロキは横になったまま、可憐は手を握ったままで共有する記憶を思い出して互いにクスリと微笑んだ。そのとき救急隊員が担架を持ってやって来た。


「すみません、えっと……」

「太田です」

「失礼しました、太田さん。これから病院で検査を受けてもらいますので担架の方に」


 ヒロキは自力で起きようとしたが救急隊員たちの手で担架を介してストレッチャーへと手際よく載せられてしまった。ヒロキは上半身だけを可憐の方に向けて右腕を伸ばす。


神子薗みこぞの、これを」


 そう言ってヒロキは握りしめた右手を可憐に差し出した。可憐がそれを両手で包み込むとその手の中にヒロキの体温で温もった勾玉があった。


「これを……これを頼む。これがオレの手の中にあるってことは、やっぱり夢なんかじゃなかったんだな」

「例の勾玉まがたまね。確かに預かったわ」

「あと……よもぎ、よもぎは……」


 可憐は軽く微笑むと胸に下がる木珠もくじゅのネックレスを軽く持ち上げて見せた。


「心配しないで大丈夫よ。今、シロとここに。しろのスマホがあんなことになっちゃったからシロが一時的に保護してるわ」

「そうか、よかった……そうだ、もうひとつ」


 ヒロキはズボンのポケットを探ると鍵が下がったキーホルダーを取り出して可憐に渡した。


「これを……」

「了解よ。私はひとまず太田クンの部屋で留守番をしてるわ」


 二人の会話が途切れるタイミングを見計らっていた隊員が声をかける。


「それでは、よろしいですか?」


 そう言って救急隊員はストレッチャーを救急車の後部ハッチまで移動した。ヒロキを載せた救急車が赤色灯を光らせながら発進する。可憐はそれを見送ると、未だ慌しく事後処理が行なわれているパチスロ店を後にした。

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