第68話 死地からの脱出

「審判を仰ぎて成仏したいのだな?」


 懇願するなずなの言葉をシロが補った。


「はい。お願いします、天狐様」

其方そなたは九尾に手を貸し、そのうえ姦淫かんいんに溺れていた。成仏するにはそれなりの苦行を伴うがその覚悟はあるのだな?」

「私はお屋形さ……いえ、九尾から逃れたいがためによもぎさんを巻き込んでしまいました。その罪も償わねばなりません、覚悟はできています」


 なずなの言葉を聞いたシロはよもぎの気持ちを確かめるようにその様子をうかがう。するとよもぎはなずなに寄り添うようにしゃがみ込むと彼女の目を見ながら言った。


「なずなさん、このメイドさんの服、よもぎはとっても気に入りましたよ。それにお屋形さんもいなくなったし、ハーレム男も解決したし、よもぎは全然平気です」


 よもぎの言葉を噛みしめるように聞いていたなずなの目から涙が溢れ出した。


「よもぎさん……よもぎさん、本当にごめんなさい、ごめんなさい」


 よもぎを前にして泣き崩れるなずな、そんな二人にシロが割って入る。


「さて、こんなところに長居は無用、九尾の力はもう消え去った、そろそろここも崩壊するであろう。なずなよ、自責の続きは彼方で存分にやるがよい。さあ、覚悟はよいな」


 シロはなずなの後ろ襟首を咥えるとその身体からだを後方に振り勢いをつけて空中に放り投げた。なずなの手の中では勾玉が輝きを増し、やがて上空で白い光となる。光はより一層の輝きを放ちつつ九尾がそうだったように超高速で闇の彼方に飛び去っていった。


 シロはなずなの光が消え去ったことを見届けると九尾が残したワゴンテーブルの前に立ち、天板に載る銀の皿から勾玉を咥えてヒロキの前にやって来た。


「ヒロキ殿、其方そなたにこれを授けよう」


 シロは咥えていた勾玉をヒロキの手のひらに置いて言った。


「これをよもぎ殿のしろにするとよい。九尾がぎょくではあるがまだ無垢である故、不浄なことはない。それにあの見栄みえりが用意したものだ、極上の代物であることに間違いはない」


 そしてシロは散らばるメイド服の残骸の前に戻ると床に転がった金色に輝く勾玉を咥えてよもぎの前に立つ。


「よもぎ殿、これを受け取るがよい」

「これって……あの九尾の……」

「左様、抜け殻みたいなものよ」

「えっ、でもこれって呪いとか祟りとか、またあの九尾が戻ってくるとか……」

「そう怖がらずともよい。戦利品のようなものと考えよ。あの九尾と一戦交えて浄化させた、その証拠くらいにはなるであろう」

「シロさんがそう言うのなら……シロさん、ありがたく頂戴します」


 よもぎはうやうやしく礼をするとその勾玉を心して受け取った。



 突如、空間全体に地響きにも似た振動が響き出した。並ぶ燭台が不安定にゆらゆらと揺れ始め、その揺れはますます大きさを増し、将棋倒しとなったそれらから次々と炎が上がり始める。


「さあ行くぞ。ヒロキ殿、よもぎ殿、我が背に跨るがよい」


 シロの言葉に従ってヒロキはよもぎを持ち上げるようにして載せると、その後ろに跨ってよもぎの身体からだを両腕で抱き寄せるようにしながらシロの背の皮をしっかりと掴んだ。


「では参るぞ!」


 その声とともにシロは走り出す。炎に包まれる空間を眼下に望みながらシロはぐんぐん上昇していく。それと同時に速度も増してやがて前を向いての呼吸も苦しくなってくる。

 よもぎとヒロキは頭を下げて風圧をかわす。後方の彼方では忌まわしき闇の世界が炎の海と化していた。


「ヒロキ殿、あれが九尾が築いた心象空間の最期の姿だ。俗世に戻ったときにはあの男は九尾に関わる記憶をすっかりなくしているであろう。あの炎がこれまでのすべてを焼き尽くすのだ」


 ヒロキとよもぎは後方を振り返る。闇の彼方ではまだ炎が燃え盛っていた。しかしそれもどんどんと小さくなってゆき、やがてはオレンジ色に輝く小さな点となっていた。


「さあもうすぐ出口が見える。二人とも飛ばされぬようしっかりとつかまっておれ」


 シロに言われるがままヒロキとよもぎはそり一層の力をこめてシロの背を握る。目の前では前方から眩しい光の塊が迫る。


「ひゃあ――、風がすごいです。ヒロキさん、ヒロキさんは大丈夫ですかぁ」


 猛烈な加速と風圧によもぎが声を上げながら姿勢を低く構える。ヒロキもそれにあわせて身をかがめる。そして腕の隙間から後方をもう一度振り返ると、そこにはもう炎は見えず闇が広がるだけだった。


「ハーレム男、あれだけの能力を持っていたのに、これがその末路なのか……」


 ヒロキはそうつぶやくと頭を下げて前を向き、もう二度と振り返ることはなかった。そして振り落とされないようにもう一度シロの身体からだを握りなおすと、その腕にはよもぎの存在が感じられた。

 やがてまばゆい光に全身が包まれたとき、その腕からよもぎの感触が消え、そしてヒロキの意識もそこで途切れたのだった。

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