第61話 メイドさんと妖しい儀式

 お屋形様と呼ばれるその女性の隣には三人のメイドが並んでいた。露出が多めなスタイルの彼女たちはへそのあたりで手を合わせて背筋を正しているもののその顔にはまるで生気が感じられなかった。


「ご苦労じゃ。なずなよ、まずはそこに直るがよい」


 お屋形様の声が暗い空間に響き渡る。


「よもぎよ、れもそこに直るのじゃ」


 お屋形様は右手を挙げてよもぎに命じた。しかしよもぎがその命に従うことはなく腕組みの姿勢を崩さぬまま不満げな顔でお屋形様を睨みつけていた。なずなが片膝をついたまま声を潜めて言う。


「よもぎさん、私にならってそこで礼を。お屋形様に粗相そそうがないように」

「えっ、だってそれって……よもぎ、この人のこと知らないし、何も悪いこともしてないし」

「そうではありません、礼節の問題です。さあ、そこに」


 よもぎはなずなを真似まねて渋々片膝をつく。しかし頭を垂れることはせず、鋭い目でお屋形様を睨み続けていた。


「よもぎよ、れはこれよりわらわちぎりの儀を交わすのじゃ」

「契りって……結婚? ますます意味がわかんないんですけど」


 なずなが潜めた声で再びよもぎをたしなめる。


「よもぎさん、失礼が過ぎます。お屋形様はうやまわれるべきお方なのですから」

「まあ、よい。これくらいのハネッ返りの方が我が稚児ややこも喜ぶじゃろう。さてさてどこまで此奴こやつしつけることができるのか、まずはあの子のお手並み拝見じゃのう」


 そしてお屋形様はその顔を不敵な笑みから一転、無機質な冷たさに変えて脇に控える三人のメイドに命じた。


「よもぎのころもを持て」


 メイドの一人がピカピカに磨き上げられた真鍮のフレームで組まれたワゴンテーブルを押して一歩前に出る。落ち着いたマホガニー製の天板の上には新調されたメイド服と靴、それに装備品一式が揃っていた。


「よもぎよ、そこへ立つのじゃ」


 お屋形様の言うがままになずながよもぎをワゴンの前までエスコートすると、無表情のまま待機するメイドたちに一礼して声をかける。


「それではみなさん、お願いします」


 三人のメイドはそれぞれが異なる髪型をしていた。淡いブラウンの髪をサイドで編み込んだ娘、前髪をきれいに切り揃えた黒髪おかっぱボブの娘、柔らかいウェーブの赤い髪をバックに流してそれを黒いカチューシャで留めた娘、いずれも終始表情を変えることなく淡々と命令をこなすだけだった。

 生気のない冷たい手がよもぎの服を脱がし始める。よもぎはこの奇妙な状況に怯まぬよう、せめて気を紛らそうとひとりで妄想していた。


「あのメイド服、可憐ちゃんにも着せてみたいな。きっと似合うよね。同じ黒髪でもそこのぱっつんの人よりも全然イケると思う」


 よもぎは可憐がメイド服を着た姿を思い浮かべてほくそ笑んだ。しかし三人のメイドはよもぎのことなどお構いなしに粛々と作業を進める。そして準備が整うと三人はそそくさと元の位置に戻って再び姿勢を正した。



「わあ、この服かわいい! なんか……すごくいい、これ」


 よもぎはよほどこのメイド服が気に入ったのだろう、途端に上機嫌になってなずなの目の前で無邪気にくるりと回って見せた。


「鏡があればなぁ……それに、スマホがあれば写真を撮ってヒロキさんに送れるのに」

「よもぎさん、お戯れはそのくらいにして、さあ、お屋形様の御前ごぜんに」


 なずなはよもぎをお屋形様の正面へと誘導した。


「よもぎよ、れはこれからわらわの庇護のもと、妾が傀儡くぐつとなりて妾が子に尽くし、そして得られた精気を妾に捧げるのじゃ。しからばその精気はわらわかてとなり、妾の力はより強く大きなものとなるであろう。さあ、れはここにわらわと我が子とのちぎりを結ぶのじゃ」


 そしてお屋形様はメイドたちに向かって声高に命じた。


ぎょくを持てい!」


 黒髪のメイドが深々と頭を下げるとその場でまわれ右をして背後からもう一台の金色に輝く真鍮製のワゴンテーブルを押し出してきた。彼女はそれを丁寧にお屋形様の前に止めるとしずしずと元の位置に戻って何事もなかったかのように再び姿勢を正した。

 お屋形様の前に置かれたそのワゴンテーブルの天板は重厚な紫檀、そこに鏡のように磨かれた銀製の皿が載せられていた。そしてその皿の中央には水晶と思しき親指大の勾玉まがたまが置かれていた。

 お屋形様が親指と人差し指でつまみ上げてよもぎの前にかざしたその勾玉は曇りひとつなく磨き上げられ、蝋燭ろうそくの光に照らされてキラキラと輝いていた。

 お屋形様はよもぎに命じる。


「よもぎ、もう一度ここに直れ」


 しかしよもぎはその命に従うどころかお屋形様に向かって言葉を返した。


「ねえ、お屋形さん。あんたが言う我が子ってのは、あのひょろ長い金髪のハーレム男のこと?」


 その言動に慌てたなずなが駆け寄りよもぎの肩を押さえて無理やり座らせようとする。しかしよもぎはその手を振り払って続けた。


「よもぎ、あいつはイヤ、絶対にイヤ! だし粗暴だし不潔だし。ヒロキさんも可憐ちゃんも……それだけじゃない、キジ丸も猫ちゃんたちもみんなみんなあいつには困ってるんだよ。それにさっきだってヒロキさんのスマホを壊したし、なんなのよ、あいつ!」


 よもぎのこれまで抑えていた感情が一気に爆発した。ここぞとばかりに声を荒げてお屋形様に言い放つ。


「儀式だか何だか知らないけど、まずはヒロキさんのスマホを弁償しなさいよ。話はそれからよ!」


 よもぎが放った言葉にお屋形様の顔が見る見る険しく変化する。それはまさに悪鬼の形相と言わんばかり、声を上げるその口元には鋭い犬歯が見え隠れしていた。


「よもぎ、分をわきまえよ! ここはわらわが創りし我が子の心象空間、下賤な浮遊霊ごときに何ができようぞ。れはすでに妾のとりこじゃ。あとは汝れの心をこの勾玉まがたまに封じてしまえば汝れも傀儡くぐつの仲間入りじゃ。さあ、従え。そこにひざまづいてこのぎょくを受け入れるのじゃ!」


 お屋形様は手にした勾玉をよもぎの額に近づける。いやがるよもぎをメイドたちが四人がかりで抑えつける。


「ヤダ、ヤダ、ヤダ、あんなヤツ、絶対ヤダ――――!」


 よもぎは額に勾玉まがたまをあてられぬよう激しく暴れるが四人の力は思いのほか強かった。

 カチューシャのメイドが顔色ひとつ変えずに首を左右に振り続けるよもぎの前髪を掴んで無理矢理に額を上に向ける。そしてお屋形様は呪文だか念仏だかを唱えながらゆっくりと勾玉をよもぎの額に近づける。多勢に無勢ではあらがえきれないと観念したのかよもぎは目を閉じてぐっと唇をかみ締めた。


 するとそのとき、よもぎの耳にいつもの聞き慣れた声が飛び込んできた。その声によもぎは強い安らぎと懐かしい温かさ感じた。


「よもぎ――――、よもぎ――――!」


 その声はよもぎが歩いてきた燭台の列の向こうから、だんだんとこちらに近づいて来る。


「よもぎ――――、無事か――――!」


 よもぎは力を振り絞って頭を声の方に向けた。視線のその先には白く輝く光がこちらに猛スピードで近づいてくるのが見えた。よもぎは渾身の力でめいっぱいに身体からだを揺らしてメイドたちの腕を振りほどくと、お屋形様の手を払い退けて光に向かって駆け寄った。突然のできごとに勾玉を手にしたお屋形様も手にしていたそれを一旦銀の皿の上に戻して宙を飛ぶ光の方向に目を向ける。

 やがてそれは白い光に包まれた大きな狐であることがわかった。狐は宙を駆けつつ徐々に高度を下げ、よもぎがいる空間に降り立った。そしてその背には振り落とされまいと必死にしがみつくヒロキの姿があった。

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