第60話 闇の果てで待つ者

 整然と並ぶ燭台の光に導かれてなずなとよもぎは歩き続ける。静寂の中に二人の足音だけがこだましている、その無言のプレッシャーに堪えかねてよもぎはついになずなに話しかけた。


「なずな……さん……?」

「はい、何でしょう」

「あの……あらためて……よもぎです。よろしくです」


 よもぎはペコリと頭を下げた。なずなは歩を止めることなく首だけを後方に向けてにこりと微笑むと「さあ、急ぎましょう、お屋形様をお待たせしてはいけません」とだけ言って歩き続けた。

 やはりこちらの話を聞いていない。よもぎはなおもなずなに問いかけた。


「なずなさん、なずなさん。どうしてよもぎのことを知ってるんですか? 教えてください」


 やはりなずなはその問いに答えることなく歩き続ける。


「なずなさん、どうしてなんですか?」


 相変わらずな態度へのイラ立ちを抑えつつよもぎは問いかけを続けたが、それでもなずなは振り向くことなく黙々と歩き続けるばかりだった。


「なずなさん!」


 ついによもぎが声を荒げたそのとき、ようやっとなずなが口を開いた。


「お屋形様もご主人様も素晴らしいお方です。何より私はお二人の庇護により俗世の不安から開放されました。それからは気持ちがとても安定しているのです。まもられているという安心感ですね」


 なずなはよもぎを振り返ることなく前を向いたまま明るい口調で話し続けた。


「ここでの名前はお屋形様がお決めになります。でもよもぎさんは俗世でのお名前をご記憶されておりますのでお屋形様のご配慮によりそのお名前をここでもお名乗りいただくことになります」

「なずなさんは? なずなさんもその……親方さんに……」

「お屋形様ですよ、よもぎさん」


 なずなはキッパリとした口調で訂正する。そして再び一方的な自分語りを始めた。


「ここに来るみなさんは俗世での記憶を無くされている方がほとんどです。お屋形様には私の他に三人がお仕えしていますがみなさんもそう、ですからお屋形様が名前をお付けになりました。私はよもぎさんと同じく俗世での名前を憶えていました。なのでそれを名乗ることが許されているのです」


 よもぎはなずなと少しでも打ち解けようと名前にまつわる話題を投げかけてみた。


「なずなさん、なずなさんの名前って春の七草のひとつですよね。えっと、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、だったっけ。よもぎは七草じゃなくてただの草だよね、へへへ」

「よもぎさん、そんなことはありませんよ。よもぎさんのお名前、それは春の息吹を感じさせるとてもよいお名前ですよ」


 ようやっと会話が噛み合ったことで二人の間に漂っていたギクシャクした空気が多少なりとも薄まったことを感じたよもぎはここぞとばかりに続く会話を試みてみたものの、しかしそれ以上に会話が続くことはなかった。


 またしても沈黙が訪れた。闇の中でただ足音だけがコツン、コツンとこだましている。そんな空気に居たたまれなくなったよもぎはついになずなの行く手を阻むようにして立ちはだかった。


「なずなさん、どうしてはぐらかすんですか。なずなさんはさっきからよもぎの質問に全然答えてくれてません。もう一度聞きます、どうしてなずなさんはよもぎのことを知ってるんですか!」


 なずなは微かに動揺の色を見せたものの、すぐに顔を曇らせると俯いて視線を外らせてしまった。


「なずなさん、答えてください。なずなさん!」


 するとなずなはゆっくりと顔を上げてよもぎの目を見据えて言った。


「よもぎさんも私も霊体のままである限り俗世に長くいることはできません。私たちはとても不安定な存在なのです。これまでよもぎさんには俗世でのよもぎさんを護ってくれる存在がありました。でも私にはそんな人はいなかった。だから、だから私は……」


 そこでなずなは一息つくと、今度はうって変わってまたも明るい表情で遠くを見つめながら続けた。


「そう、今の私にはお屋形様がいらっしゃるのです。お屋形様のご加護とご主人様からのご寵愛ちょうあいのおかげで私は安寧あんねいときを過ごせているのです」


 なずなは再び歩き始め、立ちはだかるよもぎの脇をするりとすり抜けるとそのまま歩を進めた。


「少しお話が過ぎましたね。さあ急ぎましょう、これ以上お待たせするわけには参りませんので」


 またしてもすれ違う会話。よもぎは半ばあきらめたように小さなため息をつくと仕方なさそうになずなの後について歩き出した。



 よもぎとなずな、二人の間は再び重たい沈黙の空気に満たされた。等間隔で延々と続く燭台の灯が織りなす単調なリズムがよもぎの感覚や思考をぼんやりとしたものに薄めていく。メトロノームが刻むようにコツリコツリと響き渡る二人の靴音が醸し出す浮遊感とも眠気ともつかぬゆらぎによもぎの意識が包まれ始めたそのとき、なずなが振り向いて微笑みながら前方を指差した。


「さあ、間もなくですよ。お屋形様もお待ちかねです」


 なずなに促されてよもぎが目を向けたその先には横一列に並ぶ燭台とそれらにぼんやりと照らされた空間が広がっていた。

 ほのかな淡い逆光の中に並ぶ四つの人影が見える。三つのシルエットはなずなの言葉通り揃いのメイド服に身を包んでいるのが見てとれた。そしてもうひとつ、それら三つを従えるようにして立つ頭一つ高い姿があった。


 やがて二人を誘導していた燭台の列が終端を迎えたそこはかなり広い空間だった。正面には背の高い燭台が左右それぞれに数台ずつ並び、それらに灯る炎が空間全体をほんのりと照らしていた。

 その明かりを背にして立つ長身の女性、彼女だけがなずなや他のメイドたちとは異なるヴィクトリアスタイルで、淡い光に照らされる横顔は陶器のように白く滑らかな肌であることが見てとれる。美しい金髪はひっつめてシニヨンにまとめており、枝毛のひとつも乱れもないその髪型は厳格さと統率力の象徴のようだった。

 上品で落ち着いたスタイルのその女性は彼女が従えるメイドたちよりも少しばかり年長に見えるが、その眼光は年齢以上に鋭く狡猾そうで、見つめられただけでも怯んでしまう程の威圧感があった。

 凛とした雰囲気を漂わせて立つその女性の胸元には五つの勾玉まがたまが飾られていた。それらは金色に輝く玉を中心にして左右に銀の玉が二個ずつ対称に並んでおり、そのレイアウトが意味するものは中心の金がその女性を、左右の銀がそれぞれ四人のメイドを表しているであろうことは容易に理解できた。

 前時代的なヨーロッパ風のメイドスタイルと日本古来の勾玉という組み合わせ、よもぎはそのコーディネートになんとも言えない居心地の悪さを感じていた。


「お屋形様、よもぎさんをお連れしました」


 なずなはその場に片膝をつくと女性の前でうやうやしく頭を下げた。

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