第51話 猫又の王様

 部屋の中はすっかり静まり返っていた。窓の外から空調の室外機と思しきモーター音が遠く微かに聞こえてくる。そんな真夜中に目を覚ましたヒロキが時間を確認しようと壁にかかる時計に向かって首を捻ると、薄ぼんやりと浮かぶ時計のシルエットから短針が三時を指しているのがわかった。


「夜中の三時じゃないか」


 寝返りとともに再び眠りに就こうとしたそのとき、ヒロキは両足のつま先に軽い痺れを感じた。その違和感を意識した瞬間、つま先の痺れがふくらはぎ、膝、腿へと広がって、あっと言う間に彼の全身は痺れに包まれた。


「か、金縛りか?」


 身動きができないままヒロキは自分の頭の上、枕元のもう少し上のあたりに怪しい気配を感じた。もしやハーレム男がこの場所を知られたのか?

 突然の出来事にヒロキは狼狽した。


「ヒロキさん、大丈夫です。心配ないですよ」


 焦るヒロキの頭の中によもぎの声が響く。同時に全身の痺れは消えて蹂躙からも開放された。ヒロキはすぐに起き上がると、相手の正体を確かめようと気配を感じたあたりに目を凝らす。ほの暗い部屋の中で周囲の背景よりも一層黒いシルエットが浮かんでいた。それはちょうど枕を立ててそこに置いたくらいの大きさだった。同時に右隣にも別の気配を感じる。視線だけを向けてみるとそこには見慣れた小さなおさげ髪があった。

 ヒロキの隣で一緒になって枕元を見つめるよもぎが潜めた声で言う。


「ヒロキさん、ヒロキさん。あの影ってもしかして……」

「うん、オレも同じ考えだ。あれはさっきのキジトラ猫じゃないかって」


 目の前のシルエットと暗い背景との境界が明確になってくる。その形は確かに猫が座っている姿だった。ヒロキの目が徐々に慣れてくると、その姿はシルエットから毛色も質感もハッキリとしたものになってきた。しかしそれはヒロキの目が慣れてきたのではなく暗い部屋の中でも猫の姿だけが浮き上がって見えていたのだった。


「ほう、金縛りに動じないとは、やっぱり霊体なんぞ連れてヤツは違うなぁ」


 頭の中に甲高い男の声が響く。ヒロキは声の主を探そう周囲を見渡す。


「おい、こっちだよ。あんたの目の前」


 なんと、しゃべっているのは目の前に座る猫だった。


「ヒロキさん、おばあちゃんはおじいじゃんって言ってたけど、この猫ちゃん、声の感じは若いですよね」


 よもぎがそう耳打ちしたが、ヒロキは呆然とした顔で相槌を打つのがやっとだった。そんな二人を前にしてキジトラの老猫はゆらゆらと尻尾を揺らしながらなおもしゃべり続けた。


「今日は世話になったな。オイラはここら一帯をまとめてる世話人というか管理者と言うかそんなもんだ。配下の連中はおいらのことを王様なんて呼んでるけど、あんたらはそうだなぁ、婆さんと同じくキジ丸とでも呼んでくれ」


 ヒロキはすっかり言葉を失い、キジ丸と名乗る奇妙な猫を見つめることしかできなかった。すっかり固まっているヒロキの肩をよもぎがつつきながら声をかける。


「ヒロキさん、しっかりしてください」

「あ、ああ、大丈夫だ。しかしついていくのがやっとだよ、こんな展開」

「でもでも、悪い子ではなさそうです。化け猫でもないみたいだし」


 するとひときわき強い口調の甲高い声が二人の頭に響く。


「そこの霊体、化け猫とは口が過ぎるぞ、せめて猫又くらいにしろ!」

「えっ、化け猫と猫又って違うのか?」


 よもぎに同意を求めるヒロキに一層強い口調が返される。


「違う、全っ然、違う。オイラはあいつらのように脂っこいものは好まないし人間に恨みもない、それに猫又の方が芸達者だ」

「わかった、わかった。なんだかオレもすっかり慣れっ子になったみたいだし、話を続けようぜ。それで猫又のキジ丸がオレたちに何の用なんだよ」


 よもぎがいっしょにいる安心感からだろう、いつの間にかヒロキは怪異に動じることなくキジ丸と普通に会話を交わしていた。



 キジ丸は挨拶もそこそこに今日これまでの顛末を語り始めた。お向かいの老婆とボランティアが早速キジ丸を獣医に診せたところ、案の定慢性腎不全と診断された。その結果を聞いた老婆は老いたキジ丸を最期まで看取る決意をしたのだった。


「それにしても腎不全とはな、オイラもヤキが回ったもんさ」

「ねえ、キジ丸。その病気はお薬を飲んでいれば治るの?」

「オイラたちにとって腎不全ってのは不治の病さ、薬なんてただの延命措置みたいなもんだよ。さて、どっこいしょっと」


 二人の目の前でキジ丸はゆっくりと二本足で立ち上がった。突然のことによもぎとヒロキは驚いて目を丸くする。しかしそんな二人を尻目にキジ丸はまるで人間がそうするように前足で腕組みをしてみせた。


「実はマジでヤバかったんだ。ここのところ身体からだはだるいわ、喉はやたらと渇くわで、こりゃいよいよかな、ってな。しかし、オイラにはまだまだやらなければならいことがある」

「やらなければならないこと?」


 ヒロキは目の前で起きているこの奇妙な状況もさることながら、なによりキジ丸の言葉に興味津々の思いだった。

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