第49話 クロスオーバーブレイン
大型連休を明日に控えた金曜日の午後、ヒロキは学内カフェテリアのテーブルを陣取って持参したノートPCでN市駅周辺の飲食店における喫煙の可否をチェックしていた。冷めていくコーヒーもそのままにノートPCと格闘していたそのとき、ヒロキが背後に気配を感じて振り返るとそこには彼を見守るように立つ可憐の姿があった。
「太田クン、自宅からノーパソを持って来るなんて気合い入ってるわね」
「ああ、明日からの探索に備えて駅の周辺で喫煙できる店をピックアップしておこうと思ってさ」
ヒロキは前かがみの姿勢から身体を起すと背骨を反らすようにして両腕を上げて伸びをした。
「ねえ、太田クン。私も見せてもらっていいかしら?」
言うが早いか可憐はヒロキの左隣の席に座ってそのイスを寄せた。ノートPCの画面を覗き込む可憐の髪がヒロキの腕にふわりと触れる。そして寄り添う可憐の右腕がヒロキの左腕に触れた。
これまでヒロキと可憐は毎日のように顔を合わせていたが可憐の
「参ったなあ……こういう展開は苦手だ」
内心困惑しているヒロキをよそに可憐の頭の中では楽しそうなよもぎの声が響いていた。
「可憐ちゃん、可憐ちゃん。なんだかヒロキさんが困っちゃってますよ」
「えっ、よもぎちゃん、どうして……あっ、わかったわ」
可憐は悪戯っぽい笑みを見せると自分の右腕をヒロキの左腕に絡めた。
「うおっ、何するんだ、
ヒロキは慌てて可憐と距離を保とうとしたが、しかし可憐はその腕をしっかりと掴んで離さなかった。
すると今度はヒロキの頭の中に可憐の声が、いやそれだけでない、よもぎの声までもが聞こえてきた。
「ねえ、よもぎちゃん。私の声、聞こえる?」
「はいは――い、聞こえますよ――、感度良好で――す」
ヒロキの頭の中によもぎと可憐の会話が流れ込んでくる。ヒロキが可憐の顔を見ると、可憐は声を発することなく軽く微笑んでヒロキの顔を見返していた。
「可憐ちゃん、可憐ちゃん。ヒロキさんってば可憐ちゃんが隣に座っただけですっごく緊張してたんですよ」
「ほんとに? あっ、さっき腕が少し触れたけど、あのときかなあ」
「そうそう、あのときです。おかげでよもぎまでドキドキしちゃいました」
「あっははは、なんか
「でもでも、可憐ちゃん。内緒話はできないですよ。だってヒロキさんに筒抜けなんですから」
そのときヒロキがあきれた口調で割って入る。
「お前らなあ、どうでもいいけどオレの頭の中で会話するなよ」
「へへへ……」
「ふふふ……」
よもぎと可憐の笑い声がヒロキの頭の中でこだました。
「まったく、なんて展開なんだ。まるで脳内クロスオーバーだよ」
女子二人にすっかり翻弄されながら、ヒロキは困惑のため息とともにすっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干した。
翌日、ヒロキは午前一〇時にN市駅前のバスターミナルで可憐と待ち合わせをしていた。降車口から数人のお年寄りに続いて降りてきた可憐は左肩に大きめのトートバッグを抱えていた。
「太田クン、おはよう! さっそく行きましょう」
「おい、行きましょうって……てか、その荷物はなんだ?」
「これから連休って長丁場になるし、なにより女の子にはいろいろとあるのよ、いろいろと。とりあえず一旦荷物を置きたいわ」
そして可憐はヒロキの片手を掴む。
「そうよね、よもぎちゃん。まずは太田クンのところでお茶しましょ」
「ですです可憐ちゃん、女の子っていろいろ大変なんですよね。ではでは、行きましょう、さあヒロキさんも」
「お前らなあ、ほんとに人の頭の中で……」
ヒロキは可憐の荷物を持とうと手を差し伸べたが可憐は「ありがとう、でも大丈夫よ」と言って肩のバッグをかけ直して歩き出した。
――*――
N市駅北口のペデストリアンデッキ、喫煙コーナーとなっている張り出し部分の手すりに寄りかかりながら気だるそうな咥えたばこで眼下のロータリーを見下ろすひとりの男がいた。
洗いざらしの
ハーレム男、その名を聞くたびに可憐の脳裏には初めて男を見たときのあの光景がよみがえる。可憐はその呼び名をえらく嫌っていたが、ついにはヒロキと同じくそうと呼ぶことにした。
「いい感じはしないけど、記号のひとつなんだって割り切ることにしたわ」
そう言って可憐は渋々とそれ受け入れたのだった。
男は張り出しの向こう、空に向かって紫煙を吐き出した。
男は足元でくすぶる吸い殻を踏み潰すとゆらゆらと歩き出した。並んで歩く二人の姿を遠巻きに眺めながら冷たい笑みを浮かべていた。
男の存在に気付かずに遠ざかる二人を見送った男は踵を返してヒロキたちとは逆のの方向に歩いていく。道すがら男は頭の中の誰かに吐き捨てるように呼び掛ける。
「なあ、お屋形さんよお。もうそろそろいいだろ、オレの方からいただきに行ってもよ」
しかしそれに答える声はなかった。
「あのガキ、ここのところチョロチョロと目障りなんだよ。あいつをぶっちめてよ、ついでにアレもいただくってことでよ、な、いいだろ?」
街中でひたすら独り言をつぶやきながら男は、イライラを募らせながらペデストリアンデッキの階段を下りていった。
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