第47話 仰せの通りに、お屋形様

 薄暗い店内に響くアップテンポのビートと目の前のスピーカーから流れる効果音は周囲から隔絶されて自分だけの世界に没頭するのに十分な音量だった。男はたばこに火を点けると一服目を大きく吸い込んでしばらく肺に溜めた後、目の前で回転するドラム式スロットのリールに向けてそれを吹きかけた。 (注)

 男の戦果は今のところ散々だった。大当たりを引いてもその後が続かず、得たコインはダラダラと飲み込まれるばかり。既に四台を渡り歩くもすべてがこの調子で、かれこれ三時間も真綿で首を絞められる状態が続いているのだった。男はコインを投入してはレバーを叩く。その動作は勝負や娯楽というよりもむしろ単純作業の繰り返しと化していた。


 やがてたばこの灰を落とすこともせずに惰性でレバーを叩いていた男の手が止まる。当たりの告知ランプが点灯したのだ。


「そろそろ来てくれよな、でっかいのがよぉ」


 男はコインを投入すると今まで以上に力を込めてレバーを叩く。回転する絵柄がうっすらと赤く見えるタイミングを狙ってストップボタンを押すと左リールの下段に7が止まった。右リールの上段にも7。


「よし、もらった!」


 男はそうつぶやくとタイミングを計って真ん中のリールのストップボタンを叩く。見事、右上がりに777が揃って大当たりのファンファーレが鳴り響いた。男はスツールに座りなおすとたばこの煙とヤニでべたついた金髪をかき上げながらボーナスゲームを消化した。


「よし、勝負はここからだぜ」


 大当たりのゲームが終了して頭上のスピーカーから鳴っていたBGMが鳴り止むと、男は新しいたばこに火を点けてそれを深く吸い込む。十数回のゲームを消化したところで再び大当たりの告知ランプが点灯した。


「さて、ここからどれだけ続くかだな」


 男は左リールの中段に7を止めた。今度は真ん中一直線で777を揃えた。



「けっ、時間ばかりかかりやがって、おもしろくねぇ」


 結局その日は勝ったり負けたりで純粋な勝ち分はそう大したものではなかった。男は景品交換所を出るとブツブツと文句を言いながらゆらゆらと歩き出した。


「お屋形のヤツ、今日は手抜きしやがって……そういやあ、あの小娘もいつになったら手に入るんだよ。どいつもこいつもナメた真似しやがって!」


 男が歩く先では飲食店の勝手口から小皿を手にして出てくる従業員の姿が見えた。その皿には魚のあらを煮たものが盛られていたが、毎日ほぼ決まった時間に出されいるのであろう、待ってましたとばかりに周囲から数匹の猫が集まってきた。

 男は猫のことなど構うものかと歩いていく。危険を察した何匹かは思い思いの方向に逃げていったが、ただ一匹だけ白地に黒のぶち柄の猫だけが小皿に鼻面を突っ込んで食べ続けていた。


「チッ」


 男は舌打ちする。


「邪魔だ、ムカつくんだよ!」


 そう言うが早いか男は猫の脇腹を蹴り上げた。


「ギャッ!」


 短い悲鳴とともに猫は慌てて走り出す。突然の災難に方向を見失ったのか、右往左往しながらもなんとかビルの隙間に逃げ込んだ。

 猫たちの様子を覗おうと再び顔を出した先ほどの従業員がその光景を目にして声を荒げた。


「おい、あんた、なにしてんだ! そりゃ虐待だぞ」


 男は「あ? 何?」と従業員を威嚇するように凄むと、その足下に唾を吐き捨てながら夕刻の飲食店街に消えていった。



――*――



 照明器具が取り外された天井の下、フロアランプの白熱灯のみに照らされたウェーブのかかった金髪、白い肌に血のように赤く冷酷そうな薄い唇が薄ら笑いを浮かべている。切れ長の眼が鋭い眼光で足元に頭を垂れてひざまづくメイド服の女性を見下ろしていた。


「なずなよ。あのよもぎなる小娘と同調できるのはれのみじゃ。しかしれの力などたかが知れたもの、わらわがそれを補なう故、れはこれからもあの小娘を引き寄せ続けるのじゃ、よいな」

「仰せの通りに、お屋形様」


 ショートボブヘアのメイドが深くこうべを垂れると栗色の柔らかな髪がその顔を覆い隠す。その隙間からわずかに見える唇はぐっと締められてかすかに震えていた。


「さがれ。さがってあやつへの奉仕を続けよ」


 お屋形様はベッドに大の字になっている男を顎で指して言った。なずなと呼ばれたメイドは頭を垂れたまま後ずさりすると、まわれ右をしてベッドに乗って男の横に添い寝する。なずなは命令通りに横たわる男の下腹部をまさぐり始めた。

 白熱灯色だけの仄暗い部屋の中でお屋形様のビクトリア調メイド服の襟と袖の白だけがくっきりと浮かんでいる。お屋形様はベッドの上での狂宴を見下ろしながら不敵な薄ら笑いを浮かべた。


「よもぎなる小娘も我が傀儡くぐつどもも所詮は下賎な地縛霊、わらわから見れば下等なけがれの一つに過ぎんわ。せいぜい其奴そやつの慰みものとなりて、わらわの精気の糧になるがよいのじゃ。やがてその役目を終えたならばあとは消えゆくのみじゃ」


 ベッドの上では男の身体からだがピクピクと軽い痙攣に震えていた。痩せた筋肉が収縮するたびに男の全身から淡い陽炎が精気となって浮き上がる。お屋形様はそれ自分の鼻先に引き寄せては深く鼻から吸い込んで恍惚の表情を浮かべた。こうしていつ果てるとも知れない淫靡いんびな宴は今宵も夜更けまで続くのだった。



 注:本作初版を執筆当時は東京都内の飲食店、遊技場などでも喫煙は可能でした。

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