第43話 お供えものに鍋物を

 ヒロキ、よもぎ、可憐かれんそしてシロの四人が揃って鍋を囲む。可憐はシロのために鍋から油揚げを取り分けながら再び問いかけた。


「シロ、教えて欲しいのよ今日のことを。誘導したんでしょ、太田クンと私を」


 シロは目を閉じたままその問いに答えることはなかった。


「ねえ、どうして答えてくれないのよ」


 そんな二人の会話を不安げな顔で見ていたよもぎが場の雰囲気を変えようと努めて明るくシロに問いかける。


「シロさん、シロさん。お味は大丈夫ですか? もし足りないようならポン酢もありますから」


 可憐から器を受け取ったシロは油揚げを一口、よもぎはシロに再び問いかける。


「シロさん、シロさん。よもぎもひとつ聞いていいですか?」


 可憐とヒロキは物怖じすることなく会話を続けるよもぎに期待した。


「さっきスーパーで買いものするときにヒロキさんったら油揚げを三パックも買ったんですよ。これって一パックに三枚入ってるんです。だから全部で九枚です。お豆腐だって買ってるのに、九枚もですよ」

「おいおい、よもぎ、何の話かと思えば油揚げかよ。それに九枚、九枚って言うけどさ……ん? た、確かに九枚は多いか」


 ヒロキはよもぎに突っ込みを入れたつもりだったが逆に納得してしまった。よもぎは表情ひとつ崩さないシロに向かってさらに続けた。


「可憐ちゃんが言ってる誘導って、こういうのを言うんですよね? あのときシロさんは今日いっしょにお鍋を食べるつもりでいて、だからヒロキさんに油揚げを多めに買わせたんですよね?」


 するとシロがようやく問いに答えた。


「いかにも。よもぎ殿が察する通りだ」


 そしてシロは油揚げをもう一口。


「な――んだ、やっぱシロさんも一緒にお鍋食べたかったんですね。可憐ちゃん、よもぎ、なんとなく解りました。シロさんにお願いごとするときはお供えものをしなくっちゃ、ってことなんですよ。そうですよね、シロさん」


 シロは油揚げを味わいながらも神妙な面持ちで頷いた。そのやりとりを見ていた可憐がもう一度シロに問いかける。


「ねえシロ、もう一度聞くわ。今日の誘導は何が目的だったの? やっぱりあの男を私たちと遭わせるためだったの?」


 よもぎの言葉に気をよくしたのか、シロは饒舌に話し始めた。


「可憐よ、お前には見えたであろう、彼奴きゃつに蹂躙されたる女子おなごたちが。今のヒロキ殿ではあれに太刀打ちなどできん」

「だから私にも協力させようって考えたのね」

「可憐よ、お前はもうヒロキ殿と協力しているではないか。それに為すべきことの答えも出ておろう。今はこのまま精進を続けよ。そして力を合わせ知恵を絞りて臨むのだ。さすれば道は開かれようぞ」



 可憐もよもぎも真剣な眼差しでシロの言葉に耳を傾けていた。ただ一人、ヒロキを除いては。可憐はそんなヒロキに眉をひそめる。


「ねえ太田クン、話聞いてる? さっきからシロをチラ見してるばかりでとても落ち着かないんだけど」


 ヒロキは可憐の顔を一瞥いちべつすると、再び視線をシロに戻して恐る恐る尋ねた。


「シロ、さっきから、その、鍋のつゆが袖口に。シミになるんじゃないかって気になって……」

「あのねえ……もう、完全に主夫しゅふ気分ね、太田クンは」


 呆れる可憐の隣でシロは落ち着き払って答える。


「案ずることはない、ヒロキ殿」


 そう言ってシロは手に持った食器をちゃぶ台に置くと、一瞬だけ姿を消した。まばたきほどの後、シロは再び現れて何事もなかったのように食事を続けた。

 ヒロキが気にしていたシロの袖口に目を向けると、なんとそこはシミひとつない純白に戻っているではないか。


「なるほど、リセットか。これってよもぎもよく使うワザだよ。手を洗った後とか。なあ、よもぎ」


 ヒロキは同意を求めようとよもぎに話を振る。よもぎは目の前で起きた一瞬の出来事に驚いた様子で、右手の箸に熱い豆腐を載せたまま呆然とシロを凝視していた。


「ヒロキさん……あれってよもぎもよくやりますけど、実際に見たのは初めてです。あんな風に見えるんですね。ちょっとびっくりしました」


 そのときよもぎが持つ箸から豆腐が滑り落ちた。ヒロキの目にスローモーションで落ちていく豆腐がハッキリと映る。そしてまだ湯気が立つ熱い豆腐はよもぎの腿の上に着地した。


「あっ、熱っ、ごめんなさい、よもぎ、やっちゃいました……そうだ! よ――し、よもぎも」

「あっ、よもぎ、待て!」


 ヒロキの静止を待たずによもぎは一瞬姿を消して、再び現れた。


「へへへ、どうですか……あっ!」

「よもぎ……お前なあ、だから待てって言ったろう」


 よもぎのスウェットパンツから豆腐もシミも消えていたが、その足の下、クッションとの間にはよもぎの足で見事につぶされた豆腐があった。


「ヒ、ヒロキさん……」


 よもぎは情けなさそうな表情でヒロキを見る。


「あ――もう、シミは消えても豆腐までは消えないだろう。ほら、ちょっと立って、立って」


 ヒロキはキッチンからペーパータオルを持ってくるとよもぎの足とクッションを拭く。箸を止めてこの一連の光景を見ていた可憐は、腹を抱えて笑い出した。


「アハハハハハ……アハハハハハ、はあ、可笑おかしい、アハハハハハ、ごめんなさい、笑いが止まらなくて」


 あまりにも笑いすぎた可憐は軽く咳き込んだ。


「でも楽しいわね、こういうのって。久々に笑ったわ。ねえ、シロ?」


 シロはこの騒動にも動じずに鍋をつついていた。可憐は慌しく片付けているヒロキとよもぎに向かって続けた。


「今日は本当にありがとう。シロもこうして出てきてくれたし、とても楽しいディナーだわ」


 そして安心した顔でシロを見る。


「何はともあれ今日はシロに翻弄された一日だったわね。ホワイトデーだけに」


 ヒロキは片付けの手を止めて可憐を見つめて言った。


「なあ、神子薗みこぞの、今のってもしかしてオヤジギャグ……」


 そう言うが早いか、ヒロキの頭上には可憐の手刀が振り下ろされたのだった。

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