第36話 想定外の予定変更

 キバヤンが去って元の落ち着きを取り戻したテーブルで二人はこれからの対策を考えていた。


「四月になればもっと混み始めるだろうし新学期が始まれば営業再開だ、もうここでやるのは厳しいんじゃないか?」

「そうね、どこか他を探す必要があるわね」


 ヒロキと可憐かれんの二人がこれと言った策が思いつくこともなく黙り込んでいると突然ヒロキの隣によもぎが実体化した。


「お、おい、よもぎ、誰かに見られたらヤバいだろ」

「大丈夫ですよ。さっきの背が高い……えっと……」

「キバヤンか?」

「そうそう、キバヤンさんもうまくごまかせたし」

「あいつは大雑把な性格だからなあ」

「それにそれに、よもぎは制服着てます、大学の見学に来た妹だって言えば大丈夫です」

「やっぱ妹キャラの展開かぁ……」


 こうしてテーブル席に着いて他愛もない会話をしている限りよもぎはヒロキに触れずとも安定した実体化ができるようになっていた。可憐は自然に映る二人のその様子を前にしてしばし考え込んでいたが、ついに決断したように口を開いた。


「そろそろ実践的な方法に変えてもいいかなぁ」

「それってどんなことをするんだ?」

「元気な若者はお外で遊びましょう、ってことよ。これまでのエクササイズと同じことを屋外でやってみるの。でもさすがにいきなり雑踏の中は危険だからまずは人の少ないところでね」


 そして可憐が続けて説明しようとするのを遮るようにヒロキが提案を口にした。


「なあ、神子薗みこぞの、それならばオレの地元に来ないか?」

「太田クンの? 太田クンって確か……」

「N市だ。駅前に公会堂があってさ、その公会堂の前にちょっとした芝生広場があるんだ。もちろん無理にとは言わないけど」

「N市駅かあ……確かあそこから私の地元までバスが出てたわよね?」

「バス? 滅多に乗らないけど、確か……」


 ヒロキはスマートフォンでN市駅のバスターミナルを検索する。


「おっ、あるぞ。それも結構な本数がある」

「それなら帰りも心配ないか……いいわ、行きましょう太田クンの地元に」


 よもぎは二人の会話をただ黙って聞いていた。ヒロキはそんなよもぎにスマートフォンをかざす。


「さあ、行こうぜ、よもぎ」


 よもぎは少しばかり戸惑った様子でヒロキと可憐の顔を見くらべていたが、あきらめたように軽い溜息をつくとスマートフォンの中に姿を消した。



 東京西部に位置するN市駅、ペデストリアンデッキの向こうに建つ公会堂がそのガラス張りの壁面に夕焼け雲を映しているのが見える。その光の反射が目の前に広がる芝生広場をやわらかい暖色に染めていた。

 三月の芝生はまだ枯れた色でところどころが剥げて下地の土が露出していた。点在する乾いた芝生の上では学習塾のカバンをかたわらに置いた小学生たちが並んで携帯ゲームに興じ、その向こうでは数人の女児がスマートフォンにつなげたスピーカーからのビートに合わせてダンスの練習をしている。そんな光景を呆然と眺めながら可憐は落胆した。


「これでは無理ね」

「この時間にこんなに人がいることはないんだ。まったくの想定外だったよ」


 ヒロキはなかなか人が減りそうにないこの状況に苛立ちを隠せず、無意識に右のつま先で土混じりの芝生を叩いていた。


「太田クン、落ち着いて聞いて。人数じゃないのよ、問題なのは子どもたち。子どもってとっても感受性が強いの。だからとても影響を受けやすいの」


 可憐はダンスをしている女の子のグループの一人を顎で指しながら言う。


「ほら、あの子。踊りながらこちらにチラチラと視線を投げてくるでしょ」


 可憐が指す先にヒロキも目を向ける。確かにセンターで踊る女の子がターンのたびにこちらを見ているのがわかった。

 もし幼い頃の可憐のように感受性の強い子が今ここに現れようものならば、そしてその子がシロやよもぎのことを感じとってしまおうものなら、もうエクササイズどころではなくなってしまう。この状況に可憐はまるでお手上げと両手を広げるジェスチャーをして見せた。


「これではだめね、リスクが高すぎるわ。残念だけど今日はあきらめましょう」

「こんなところまで来てもらったのに、ごめん」


 ヒロキは気まずそうに頭を下げた。


「いいのよ、太田クンが悪いわけじゃないし。仕方がないわ、今日のところはここで解散かしらね」


 あきらめた様子の可憐にヒロキは顔を上げて「待った」の仕草をする。


「ちょっと待ってくれ。その、神子薗みこぞのがよければなんだけど一緒に夕食しないか?」

「夕食?」

「これまで神子薗はオレたちにいろいろとレクチャーしてくれた。おかげてオレもよもぎも以前では考えられないほどのレベルアップができたと思う」


 そしてヒロキは可憐の前に向き合うように立って続けた。


「だからオレからも、いや、オレとよもぎからも何かお礼をしたいんだ。それにキバヤンが言ってたじゃないか、今日はホワイトデーだ、って」

「ディナーってわけ?」


 可憐はヒロキの顔をいたずらっぽく覗き込みながら聞き返す。


「いや、そんな、たいしたものは出せないけど……」


 自信なさげにボソリと答えるヒロキに向かって可憐はにこりと笑って答えた。


「いいわ。お誘いを受けるわ、よろこんで」


 可憐の快い返事にヒロキの顔にも安堵の色が浮かぶ。


「よもぎのことも考えるとオレんってことになるんだけど……」

「それもOKよ。太田クンのお宅拝見ってわけね」

「そういうことだ、いいよな、よもぎ?」


 ヒロキはスマートフォンを入れたポケットに向かって声をかけた。よもぎの声がヒロキの頭の中に聞こえる。


「う、うん……わ、わかりました」


 料理はよもぎの得意分野である、きっと可憐のために腕を奮ってくれるだろう、ヒロキはそう考えていた。にも関わらず、よもぎの声はどことなくぎこちなく、いつもの弾んだ答えを期待していたヒロキにとって予想外なその反応が気になった。


「どうした、よもぎ。何かあったか?」

「ううん、なんでもないです。よもぎ、可憐ちゃんのために頑張ります」

「さて、そうとなったらまずは買いものだな」


 そう言うとヒロキは先頭に立って足取り軽くペデストリアンデッキを歩いていった。

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