第35話 今日はホワイトデーじゃないか
三月も半ばになるとこれまでは閑散としていた学内カフェテリアにも学生たちが戻り始めていた。新学期の準備をする学生や部活動の新入生歓迎イベントの準備など、彼らはそれぞれお決まりのテーブルを陣取って歓談を続けている。可憐とヒロキ、それに実体化したよもぎの三人はいつものように一番奥のテーブルに揃ったものの、人の流れが引く気配はまったく感じられなかった。
「ヒロキさん、可憐ちゃん。今日は練習できそうにないですね」
キャンパス見学の高校生にカムフラージュしたつもりで実体化していたよもぎは周囲を見渡していたと思いきや、ヒロキの肩越しに見えた何かに視線を止めた。そして「あっ」小さな声を発するや否やヒロキのスマートフォンの中に消えてしまった。
突然のことに何事かとヒロキもよもぎが見ていたあたりに目を向けてみると、一人の男子学生がこちらに向かって来るのが見えた。ヒロキよりも長身なその学生は全身黒ずくめの出で立ちで背負っているベースギターのソフトケースもまた黒いレザー製だった。
学生はヒロキの姿を見つけると右手を上げながらズンズンと大股でこちらのテーブルの前までにやって来た。
「よお、ヒロキ、せっかくの春休みだってのにこんなところで何やってんだ?」
ヒロキは学生の顔を見上げるとつまらなそうに彼の名を呼んだ。
「なんだ、キバヤンか」
「おいおい久々なのに、なんだはないだろ、なんだは」
彼の名は
ヒロキは立ったままのキバヤンに席に座るよう促したが、背中のベースギターを下ろすのが面倒だと言ってそのままで会話を続けた。
「ところでヒロキ、さっきまでお前の隣のそこに女の子がいなかったか? 制服姿の女子高生って感じの」
「女の子? いないよそんなの。キバヤンの見間違いじゃないか?」
ヒロキはとぼけた顔て答えた。
「そうかあ? 確かにいたんだけどなあ……絶対いたよなあ…………あれ?」
キバヤンは消えた女子高生の痕跡を探そうとキョロキョロしていたが、やがてヒロキの向かいに座る可憐の姿を見て驚いた声を上げた。
「あれれ? 君、
キバヤンは興味深げに可憐の顔を覗き込む。
「おいキバヤン、彼女のこと知ってるのか?」
「知ってるも何も……なるほど、そういうことか」
キバヤンは手を顎に当てて納得したように頷いた。ヒロキはそんなキバヤンを見上げて彼の真意を確かめる。
「なんか引っかかるなぁ、その言い方。おいキバヤン、ハッキリ言ってくれよ」
「お前、知らないのかよ。彼女、入学してきたときはそりゃもう話題騒然だったんだぜ」
「そうなの?」
「そうだよ、黒髪ロングで姫カットのクールビューティーなんちゃってさ、かなり話題になってたんだぜ」
可憐はキバヤンから発せられる強いオーラにも似た雰囲気に圧倒されながらも平静を装いつつその様子を伺っている。キバヤンはそんな可憐を視界の端で窺いながら続けた。
「今でも彼女のファンは多いんだぜ。しかしまさかヒロキがこんなところで神子薗チャンとお茶してるなんてなあ……で、お前ら、つき合ってんの?」
キバヤンの「つき合ってる」という言葉にヒロキと可憐の二人は声を合わせて否定した。
「ち、違うって!」
「ち、違うわ!」
その声は見事に重なり合って響いた。キバヤンはヒロキの肩をポンポンと叩きながらうれしそうに笑う。
「おいおい、お前ら、ハモってんじゃん、見事に」
そしてキバヤンは遅まきながら可憐に軽い挨拶をした。
「神子薗チャン、立ったまま高いところから失礼。オレは
「
そう言って可憐は席から立つことなくその場でペコリと挨拶した。
「ハハハ、こりゃ噂通りだな」
「噂って何です、先輩?」
可憐は
「人を寄せ付けない独特のオーラがあるんだけど、それがいいってさ。今でも君のファンは多いんだぜ。それと俺のことはキバヤンって呼んでくれ」
「は、はい、キ、キバヤン先輩」
「先輩ね……ま、いいか。それにしても……」
困惑気味の可憐をよそにキバヤンはヒロキの肩に手を掛けて続けた。
「大学生活四年目にしてようやっとヒロキにも春がやって来たわけだ。それもまさかの神子薗チャンとなんて、こりゃ快挙だよ、快挙。なあ神子薗チャン、こんなヤツだけどよろしく頼むよ」
そう言うとキバヤンは肩のベースギターケースを背負いなおしてカフェテラス内に同じサークルの仲間を探す。
「さてと、そんなお二人さんの前で長居は無粋ってやつだな。こっちは今日これから新歓ライブの打ち合わせなんだ。打ち合わせという名の飲み会なんだけどな。でもおかげでいい酒の肴ができたよ」
「おい、違うって……」
必死に取り繕い否定する否定するヒロキ、そしてそれを遮るように手を左右に振るキバヤン。
「素直になれよヒロキ。今日はホワイトデーじゃないか」
キバヤンのその一言でヒロキは今日がホワイトデーであることに気が付いた。向かいに座る可憐も彼もその一言にピクリと反応した。
「そっか、今日は三月十四日だったのか、でもまあオレには無縁な話だけどな」
「またまたそうやっておとぼけを。ここで待ち合わせして、今夜は二人でディナーなんだろ?」
「だ――か――ら――」
ヒロキはなおも否定したがキバヤンはまったく意に介していないようだった。
「さて、そろそろ行くとするか。ヒロキ、新学期のライブ、神子薗チャンと二人で見に来てくれよな。絶対だぞ。じゃあな」
そう言ってキバヤンはカフェテラスを後にした。
「まったく、とんでもない展開だったな。キバヤンのヤツ、新歓イベントの前なもんだからやたらとハイになってんだよ。ごめんな神子薗」
「全然平気よ。でもキバヤン先輩からすごいパワーを感じたわ。太田クンにもあのくらいのパワーがあればよもぎちゃんも安心なんだけどね」
「ふん、あいつは特別なんだよ」
ヒロキはキバヤンが出て行ったエントランスをぼんやりと見つめながらそうつぶやいた。
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