第34話 五メートルの感覚
ヒロキ、よもぎ、そして
「太田クンとよもぎちゃんがどれだけ離れられるか、どれだけの時間それを維持していられるか、それが次の課題よ。距離感を掴むの。そして……」
可憐はテーブルに両肘をついて身を乗り出して続けた。
「重要なのは物理的な距離とか時間とかじゃないの。離れた位置からよもぎちゃんが確実に太田クンのところに戻れることが大事なの」
「それって緊急避難みたいなものか?」
「そうね、そう考えてもらって構わないわ。もし外部からの干渉があったとき、すぐに太田クンのところに戻らなくてはならない。だからどのくらいの距離ならばそれが可能なのかを知っておかないといけないのよ」
「なるほど。距離と時間を維持しながら戻るためのパワーも温存しておくってことか」
「そういうこと。もちろん太田クン、あなたもよ」
可憐はヒロキの鼻先を指差しながらなおも続ける。
「太田クンは距離が離れたとしてもよもぎちゃんを掴んでいることをイメージして。そしてよもぎちゃんが戻ろうとしたら、彼女の意識をしっかりと引き寄せてあげるのよ」
「できるかどうかわからないけど、やってみるよ」
「よもぎもがんばります」
そう言って二人は互いを見合って頷いた。
「さあ、二人ともそこに並んで。そうしたら足下を見て。ここの床をスケール代わりにするわよ」
可憐に言われてヒロキは床に目を落とす。そこはアイボリーの下地にライトグレーのマーブル柄が入ったビニルタイルが縦横交互の市松模様になっていた。まじまじと床を見つめるヒロキに可憐はその根拠と意味を説明する。
「これね一枚が四五センチ角なの、これをものさしの代わりにするのよ。さ、二人ともタイル二枚分だけ離れてみて」
ヒロキとよもぎはお互いの顔と床を見比べながら半歩つづ左右に分かれた。
「これが九〇センチの感覚。それじゃいくわよ。ハイッ」
可憐はウォッチのボタンを押すと三〇秒ごとに経過時間を読み上げる。
「三〇秒……一分……一分三〇秒……二分」
二分の声とともによもぎが口を開いた。
「可憐ちゃん。よもぎ、全然平気です。このままヒロキさんのスマホに戻るのも大丈夫です、きっと」
「そう、この程度の距離ならば全然大丈夫ってことね。エクササイズしてきた甲斐があったわ」
誰もいない春休みのカフェテラスで三人は日々エクササイズを続ける。よもぎとヒロキは床タイルの目をたよりに間隔を徐々に広げていく。四枚、八枚、おっかなびっくりながらもここまでは問題はなかった。可憐は頑張れ、頑張れと檄を飛ばす。
「次は十二枚よ。五メートルちょっとね。さあ、気合い入れて!」
よもぎとヒロキは揃ってタイルもう一枚分の距離を広げた。しかし離れるやいなやよもぎはヒロキのすぐ隣まで瞬間移動してしまった。ヒロキの腕を掴んで離さないよもぎは肩で
「可憐ちゃん、よもぎ、今のがギリギリかもです。このまま戻れないんじゃないかってすごく怖くなって」
「心配要らないわ、今はシロが緩い結界を張ってくれてるの。だから余計な干渉から守られてるし、戻れなくなることもないわ」
可憐はヒロキに向かって五を示すように右の手のひらを広げて前に出した。
「五メートルね。これが今のあなたたち二人の限界。今のよもぎちゃんの霊力でこの距離を広げていくのはかなり難しいわね。できなくはないけどそれにはとても時間がかかるわ」
可憐は手にしていたウォッチを左手に戻しながら続けた。
「太田クンは今の感覚、そうね五メートル感覚とでも言うのかしら、それを忘れないようにして。
そしてよもぎにも声をかける。
「よもぎちゃんはこの距離をどれだけの時間維持していられるか、もちろん太田クンのところに戻る余力も考慮してだけど、それが当面の課題ね」
こうして新しいエクササイズを始めてから二週間、よもぎとヒロキは五メートルの感覚をすっかり自分たちのものとしていた。だがこれはよもぎの霊力が強くなったからではなく、よもぎとヒロキがお互いに気持ちの同調やイメージングのコツを掴んだことによるものだった。そしてこれこそが可憐が目指していたエクササイズの成果だった。
「太田クン、よもぎちゃん、とにかくこの距離感を忘れないでね」
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