第31話 誘導

 すっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干すと、可憐かれんは大きなため息とともに肩を落としてつぶやいた。


「あ――あ、こんな自分語りなんてするつもりじゃなかったんだけどなぁ」


 一方ヒロキはコーヒーに口をつけることも忘れて腕組みしたまま可憐の話に聞き入っていた。


「えっと、み、神子薗みこぞのだっけ? 君さ、ラノベ作家になるといいよ」

「はあ?」


 可憐は呆れた顔で聞き返す。


「オレ、今の話にすっかり引き込まれちゃったよ。よもぎなんてさ、見てくれよ、ほら」


 そう言ってヒロキはスマートフォンの画面を可憐に向けた。そこではよもぎが身を乗り出すようにして大きな目を爛々と輝かせていた。


「残念ながら登場する人物も団体も実在するものでフィクションではありません。それに文章を書くなんて課題とレポートだけでたくさんよ。ところで……」


 可憐が首から下がるネックレスを撫でるとシロが再び実体化した。そして白い狐の首筋をもう一方の手で撫でながら続けた。


「この子のことも紹介しないとね。名前はシロ、千年以上も生きている天狐てんこって言う狐なの。今は一五〇〇歳らしいわ、もちろん端数は切り捨てで。とにかくいろいろな能力があるみたいなんだけど、実は私も全部は把握できてないわ」


 そこまで話すと可憐はネックレスから手を離す。それと同時にシロの姿も目の前から消えた。


「て、天狐てんこ? の、能力?」


 ヒロキが素っ頓狂な声で聞き返す。


「そう、能力。私なんてシロに助けられてばかりよ。例えば、私が太田クンの名前を知ってたこととか、よもぎちゃんのことも知ってたこととか、予知能力みたいなものね。それにあとは……誘導とか」

「誘導?」


 次々と出てくる未知の言葉にヒロキはただオウム返しに聞き返すのが精一杯だった。


「太田クンも聞いたことあるでしょう、狸にバカされたとか、狐につままれたとか。例えば、そうねぇ……」


 可憐は空になったコーヒーの紙コップを手にして続けた。


「さっき太田クンが買ってきてくれたこのコーヒー、ブラックだったでしょ? なんで私がブラックを飲みたいって思ったのかしら?」

「それは……オレが……」

「ふふふ、自分がブラック派だから、それで相手も? ちょっと苦しいわね」


 可憐はカップをテーブルに置いて更に続ける。


「そもそも初対面の相手にコーヒーを出すならば、まずは砂糖やミルクをどうするか聞くんじゃないかしら? でも太田クンはそれが当たり前であるかのようにブラックを持ってきた」


 ヒロキはいつの間にか姿勢を正して可憐の話に聞き入っていた。


「どんなに理由をつけようとしても無理があるわ。太田クンは誘導されたのよ、シロに」

「た、確かにオレは何も考えずにブラックを……それが、誘導なのか?」

「極々自然にね。何を疑うこともなく当然のようにね。でもね、よく考えてみて。もしこれが悪意を持った何かからの干渉だったとしたら……」


 ヒロキはぶるっと身震いした。可憐はなおも続けた。


「太田クン、君一人の問題ならまだしも、今は一人じゃないでしょ。よもぎちゃんがいるでしょ。あなた、彼女を守ること、できる?」


 ヒロキは自信を失ったように下を向いてしまった。


「ならどうすればいいんだよ。君はそうやって上から目線で言うけどさ、オレには霊感とか超能力みたいなもんなんてないんだ。この前だってよもぎには感じられたことがオレにはさっぱりだった。守るも何も打つ手なんてないじゃないか」

「だから練習するのよ。ちょっとした簡単なことでもやるとやらないとでは全然違うんだから」


 そう言うと可憐はすぐさま席を立って自販機に向かう。そして席に戻ってきたとき、その両手には温かいミルクティーのカップがあった。


「さ、これはこっち側の先輩としての私からのサービスよ」


 可憐は自信に満ちた笑みとともに二つのカップのひとつをヒロキに、もうひとつを彼のスマートフォンの前に置いた。


「ちょっと待ってくれ、神子薗みこぞの。このミルクティーって……」

「だってよもぎちゃんは紅茶派でしょ?」


 可憐はよもぎが映る画面に向かって目配せしながらやさしく微笑みかけた。

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