第30話 今日からシロといっしょ
深夜、可憐は頬にあたる何かの感触で目を覚ました。暗い中にぼんやりと映る天井はゆらゆらと揺れていて、そのままその一点を見つめていると部屋全体がゆっくりと回っているように感じられた。そう、可憐は発熱のため軽いめまいを感じていたのだった。
再び左の頬にふさふさした何かを感じる。そのやさしい感触は可憐の頬からやがてその額を覆った。可憐はそのふさふさを右手で払うようにして
「シロ……シロなの?」
可憐は尾の主に問いかける。すると四本の尾は揺れて応える。暗い中で畳が擦れる微かな音だけが聞こえた。
「シロ、来てくれたんだ。可憐を心配してくれてるの?」
再び尾が揺れる。その尾が可憐の両頬と額を包み込むと、可憐はそのふさふさに手をあてて感触を確かめる。
「シロ……シロ……」
まるでうわごとのようにその名を繰り返しながら、いつしか可憐は再び深い眠りに落ちていった。
「可憐や、具合はどうだい?」
翌朝、住職夫婦はそう言いながら可憐の部屋にやって来て心配そうにその顔を覗き込んだ。可憐は夫婦に微笑みかけて応える。
「さあ、お熱を計りましょう」
住職の妻が可憐の腕を取って脇に体温計を挟んだ。
「あら、お熱が下がってるわ。よかったね、可憐」
可憐はゆっくりと起き上がろうとするが、もう少し寝ていなさい、と住職がふとんをかけなおした。
「伯父ちゃん」
「ん? どうした?」
「昨日ね、夜ね、シロがね……シロがね、来てくれたの」
「ほう、シロが。それはよかったね。それでお熱も下がったのかな」
「シロ、ふさふさで気持ちいいんだよ」
「そうかい。それはきっと心配して可憐を
午後、心配した可憐の母親は会社を早退して寺にやって来た。しかしその頃には可憐もすっかり元気になり本堂や部屋でいつものようにひとり遊びをしていた。住職は母親を居間に通すと今朝可憐から聞いた昨夜のことを話した。母親は不思議な話に不安を隠せない様子だった。
「心配よりもまず今はすべてを受け入れなさい。あの子にとってあなたはたった一人の家族、あなたはあの子の味方になって見守ってあげなさい」
続けて住職は妻に呼びかける。
「可憐を呼んできなさい」
そして可憐の母親には、着いてくるようにと言いながら玄関に向かった。
「ママ――、伯父ちゃ――ん」
廊下の奥から駆け寄る可憐。住職は神妙な面持ちで
「さあこちらへ、ついて来なさい」
住職を先頭にして母親と可憐が手をつないで歩いて行く。午後の照り返しがまぶしい白い玉砂利を踏みながら本堂を横切って向かった先は、裏手にある稲荷堂だった。
「ママ、ここね、シロのおうちだよ」
そう言って可憐は稲荷堂を指差した。
小さな赤い鳥居の前で住職は一礼する。それにならって可憐と母親も一礼。鳥居をくぐり稲荷堂の前へ。そして
「これはこの稲荷堂に伝わるものです」
住職は懐から白い布を取り出すとその布で木珠を拭き、そしてそれを可憐の母親に手渡して言った。
「これを可憐に与えなさい。肌身離さず持ち歩くように」
母親は手にした木珠を見ながら住職に尋ねた。
「これは……これはいったい……」
「お狐さまのご神体です。お守りのようなものとお考えください」
「ご神体……?」
「どうやらお狐さまは可憐を気にかけてくれているようだ。先ほどもお話ししたように、昨晩も熱にうなされた可憐を
「き、狐? それじゃ可憐のあの話って……」
「そう怖がらずとも大丈夫です。何度も申し上げますが、まずはすべてを受け入れることです。さあ、それを可憐の首にかけておやりなさい」
母親は可憐の首に木珠をかけた。その連なりはまだ幼い可憐には長いようだったが、その姿はまるで紫檀のネックレスを着けているように見えた。
住職はかがみこんで可憐の首にから下がる木珠を手にして言った。
「今日からこれがシロのおうちになるからね。いつも持っていればシロもいっしょだからね」
「ほんと? これからはずっといっしょなの?」
「そうだよ」
「わ――い、ママ――、今日からシロといっしょ――!」
「よかったわね、可憐」
喜びはしゃぐ可憐の隣で住職と可憐の母親はもう一度稲荷堂に向かって深々と頭を下げる。
「お稲荷さま、お狐さま、どうか……どうか娘を、可憐をよろしくお願いします」
可憐の母親は稲荷堂に向かって手を合わせて祈った。すると夏の午後のかすかな風が彼女の前髪をふわりとなびかせた。
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